26 師の親心
「ぐぬぬぬぬ」
「……所で龍皇様滅茶苦茶唸ってるけど大丈夫なのかあれ」
歌を歌い終わったのか、顔を赤くして唸り声を上げているイングヴァルドからは余裕など一片たりとも感じられない。本来、体内から魔力を精製できる龍族の魔法行使は人間の物と違ってエーテライトの消費量などからどれだけの魔力を使用しているかは分からない。だが今、未だ魔法に至らぬ大量の魔力がイングヴァルドの周囲を漂っているので嫌でも分かってしまう。龍体と言う外付けの強化装置が無くともその規模は古式さえも上回る物。最強種族と言うのは伊達では無かった。
そしてそんなイングヴァルドの魔法を、恐らくは現在最も大陸で詳しいアルは一言で断ずる。
「大丈夫じゃないでしょうね」
「ちょ」
流石のカルロスもその回答には絶句した。今、イングヴァルドが魔法の制御に失敗したらこの辺りはまとめて吹き飛ばされるだろう。頑強なイングヴァルド、魔法に長けたアル、そもそも死なない第三十二分隊は兎も角生身の人間であるクレアとハーレイは危険である。避難させなくては、そう思って振り向いたカルロスの視界に飛び込んできたのは――既に安全圏まで退避している二人だった。よくよく見ればこの場に残っているのはイングヴァルド、アル、カルロス、トーマスの四人だけになっている。
「……あいつら状況判断が早いな」
「そも、龍体とは誰が作るのか。それについて説明していませんでしたね」
「師匠……気にせず続けるんですね」
観衆が減った事を気にすることも無く、アルは龍族について語り続ける。果たして、これは誰に向けての説明なのだろうかとカルロスは考えた。いや、実の所カルロスの中ではすでに結論が出ている。単なる消去法だ。今この場に残ったのは四人。龍族のイングヴァルドに説明は不要だ。解説者であるアルも除外。そうなればカルロスとトーマスの二人。そして、かつて師は龍族について語らなかった。そうなれば残りは一人だ。
「トーマスに何をさせる気ですか」
「私からは何も。ただ」
小声で尋ねたカルロスに、小声でアルが答える。うっすらと、眼を開いてアルは値踏みするようにトーマスを見つめる。その視線に気付いたのか。二人に背を向けたままのトーマスが背中を震わせた。
「選ぶのは陛下です。私はその時に備えるだけ」
どこか寂しささえ滲ませて、アルはそう言った。相変わらず、本人が必要だと思った事しか語ってくれない人だとカルロスは嘆息する。そのせいで意図を読み取る側は苦労するのだ。少しばかり逸れた解説をアルが再開する。やはりトーマスに届く様に声を張り上げて。
「話を戻しますが、龍体とは本来母親が子へと送る物です。その時の全魔力を注ぎ込んで生み出す子の為の器。今の陛下が龍体を作り出すにはまだ若すぎる」
「というかそもそも子供がいないのでは……」
もしかして、大前提が既に狂っているのではないかとカルロスは思わずにいられない。その呟きにアルは頷いた。
「ええ。ですからこれは大分イレギュラー且つ反則的な龍体の生成です。言ってしまえば未来の前借り。せめてその未来となる因子が無いと成功も有り得ないでしょう」
「因子……?」
「まあ今の所は候補、と言った所ですか。ええ。まさしく奇跡とも言えますね――貴方が彼を生きた屍にした事も含めて。今回の龍体は何れ陛下の後継者へと渡される物。そこに私の様な不純な因子は含まれない方が良い」
「ん? んん?」
何となく、話が見えてきたカルロスは唸る。
(それはもしかすると、もしかして。そう言う事だろうか)
本来子供の為に生み出す龍体。その未来を先借りする。その為の因子。アルがトーマスに期待している役目を察したカルロスはしばし目を閉じて唸る。また小声になってカルロスはアルに問いかける。
「……いや、俺が言うのも何なんですけど……トーマスの何処が良かったんでしょう。あいつは信用できる相手だけど普通の人間なんですが」
「リビングデッドを普通の人間と言い切れる貴方には感心しますが……まあそれはさておき。こればかりはもう陛下のお心次第と言いますか。有体に言えば魂を気に入られたとしか」
分からんとカルロスは投げた。龍族にしか分からない何かがあるのだろうと納得しておく。そしてそんな解説をしている間にもイングヴァルドの顔色は尋常では無い事になっていた。具体的に言うと真っ赤。
「……何かそろそろやばい気がするんですが」
「仕方ありませんね……トーマス君! 何をしているのですか! 陛下を補佐しなさい!」
「ええ!? っていうか俺、魔法とかまともに使えるのは活法とちょびっとの融法くらいしか……」
「魔法的な素養など最初から期待していません! 陛下に肩を貸すなり、椅子になるなり……方法は任せます! 少しでも陛下を楽にしてあげなさい!」
期待していない発言にまたトーマスはショックを受けた様だった。そしてその後の指示に更に困惑している様子が見て取れた。流石に椅子は無いだろうとカルロスも思う。
「あう……」
トーマスがうろたえている間に、とうとうイングヴァルドに限界が来た。情けない声と共に身体をふらつかせる。地面へと倒れ込みそうになるその身体をトーマスが支えた。
「あぶね!」
「ふぎゃ!」
間一髪だったと胸を撫で下ろすトーマスとは対照的に突然の接触に悲鳴を上げるイングヴァルド。瞬間、弾け飛びかけていた魔力の流れが収束する。周囲を漂っていた魔力が一気にイングヴァルドの身体を通し、一つの魔法へと生まれ変わる。閃光と共に現れたのは巨大な骨格。真っ白な骨がバランガ島の一角に出現した。
「成功しましたね」
「……今のは」
「トーマス君が接触したからでしょうね。陛下も分かりやすい」
「わ、我が龍鱗に触れる事許さず!」
「は、はい! ごめんなさい!」
照れ隠しなのだろうか。弾かれたように離れるイングヴァルドを見ているととても初心だと言わざるを得ない。1400歳とは思えない純情さだ。実際の精神年齢は14歳かそれよりも下と考えると妥当なのかもしれないが。
「……まさか私の寿命のあるうちに陛下の相手を見定める事が出来るとは……長生きはする物です」
しみじみとアルがそう言うがふとカルロスは気になる事があった。
「ちなみに龍皇様の母君が龍皇様を産んだのは何歳の時なので?」
「話では2600を超えた辺りだったとか……」
なるほど。今から1200年後を想定していたのなら、流石のアルも寿命だろう。寿命の筈である。長耳族の平均年齢は400歳の筈だが、この師が老いる姿が想像できない。というか、今何歳だろうと言う根本的な疑問。
一先ず最大の懸念事項だった擬似龍体の骨格と言う問題は解決した。次はこの骨格への肉付けを考える時である。避難していた面々を呼び戻してカルロスは次なる作業に思いを馳せた。
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