39 龍皇

 銀の龍鱗が空に煌めく。

 雪の吹雪く雲を切り裂いてイングヴァルドは大気を揺るがす咆哮を放った。それは敵対者への威嚇であり、己自身への怒りだ。自分に抗しえる大罪機の所在が掴めるまで動かない。傷の癒えていない今、不意打ちを受けたらそれが決定打となりかねない。だが――自分が何故そんな選択をしたのか、イングヴァルド自身が良く理解していた。敗北を恐れたのだ。

 

 龍族と言う最強の種。だが、イングヴァルド自身は歴戦という訳では無い。イビルピースとの戦いで傷付いた以後は長耳族達に守られて――そう、守られていたのだ。イングヴァルドがメルエスを守護して来たように、長耳族達もイングヴァルドを守ってきた。メルエスこそが龍皇イングヴァルドを守る為の揺り籠。何時の日か真に天地を統べる皇となるその時までの優しい牢獄。

 

 長耳族達はこの窮地であってもイングヴァルドを守ろうとしていたのだ。彼らが本気で傷付いたイングヴァルドを戦力として数えていたのならば。幾らでも戦術の提案のしようが有った。それすらなかった。どころか前に出ない様にする意見を挙げてさえいた。その事実に気が付いた時、イングヴァルドの全身を焼き尽くすかのような怒りが身を襲った。

 

 長耳族達に侮られていると感じたのではない。これが人龍大戦に生きていた龍族ならば己のプライドを傷つけたとして長耳族を焼き払おうとしただろう。だがイングヴァルドは違った。己の不甲斐なさで彼らに負担を強いている。その情けない自分に怒りを覚えたのだ。

 

 そうして傷付いた龍皇は空を飛ぶ。龍族だけに許された特権。ただ一頭の為だけにある聖域だ。長耳族達の制止も振り切って、ただ真っ直ぐにアルバトロス軍へと向かう。例え相手が六百年前に同胞を殺し尽くした古式魔導機士。その残骸であろうと。嘗て存在した五(・)種族。その中でも最も力を持っていた神族の眷属であろうと。|自分の同胞(長耳族)を守る為に戦う事を決意した。

 

 イングヴァルドの能力は間違いなく大陸でも最強の一角だろう。龍族と言う圧倒的なアドバンテージを持った肉体。未だ成長途中とは言え、比肩し得る者は存在しない。

 

 現在の状況を一言でいうのならば――遅すぎた。結果論ではあるがイングヴァルドは攻めるならば初日に動くべきだった。長耳族達の考えは、既に可能なら自分たちで撃退する。それが叶わないのならば、オルクスへの脱出を龍皇に勧めるつもりだった。空と言う唯一の道を持つイングヴァルドならばそれが可能だった。そして、今はもうその脱出を考える局面だった。イングヴァルドとてその事は理解している。それでも飛ぶのは自分ならばまだこの状況から巻き返す手があると信じていたが故。それは自身の能力への自身であり無自覚な傲慢さだった。

 一直線にアルバトロスの陣地へと飛来し――万全の体制で待ち構えている軍の歓迎を受ける事になった。とは言えイングヴァルドとて全くの無策という訳では無い。アルバトロス側も戦力を一か所に集中させてはおらず、三か所に分かれて布陣していた。その中の一つ。グラン・ラジアスの気配がしない場所――即ち、最も魔力が薄い陣地を狙ったのだ。周囲から削り取って行けばまだ勝機はある。

 

「ぐっ!」


 重機動魔導城塞(ギガンテスフォートレス)の四機が一斉に対空法火を開始した。機法による物だが、その弾幕は濃密。成熟した龍ならばその程度で鱗が傷付くことも無いが、イングヴァルドは未だ若龍の部類だ。比較すれば柔らかい――魔導機士の装甲以上には頑強な――鱗が砕かれてその下の肉を抉る。イングヴァルドの喉から苦悶の声が漏れた。癒えたばかりの傷が抉られる。

 だがそれはあくまで傷を負ったというだけの事。人間で例えれば切り傷程度だ。致命傷には程遠い。痛みも堪える事が出来る程度だ。

 

 そして反撃が放たれる。咥内。その奥に存在するエーテライト。龍が自然に持つようになった天然の魔法道具。眷属である竜種――地竜なども似たような構造の器官を持っているが、発現する現象は桁違いだ。

 

 |龍の咆哮(ドラゴンブレス)。そう呼ばれる攻撃は余りに有名すぎる物だ。その実態は魔法現象。銀色の龍鱗を持つイングヴァルドの龍の咆哮は魔力を光に変換して触れた物体を焼き尽くす。太陽が地上に現れたかのような光は一撃で重機動魔導城塞を貫く。カルロスがエフェメロプテラで攻略する際には装甲の薄いところを狙い、挙句に相手の最大火力を叩き返す事で漸く沈黙させた相手。その最も防御が固い部分を薄紙の様に打ち抜いた光景はアルバトロス側にも大きく動揺を与えたと言える。

 

 その隙を見逃さずにイングヴァルドは一息に急降下した。狙うは残りの重機動魔導城塞だ。もう一機いるそれらが厄介だと判断した。強靭な脚とその先端から生えた爪。それで容赦なく城壁の様な装甲に深い傷を与える。怯んだ隙に地面に降り立ったイングヴァルドは尾を払う。それだけでエルヴァートが数機巻き込まれて残骸へと姿を変えた。

 

 地面に降り立ったイングヴァルドの全高は重機動魔導城塞よりはやや低い。三十メートル程だろうか。魔導機士と比較すれば約三倍のサイズだ。そして何より全長が違う。頭部から尾の先まで合わせると百メートル近くあるだろう。そんな生き物と、四十メートルの巨人が格闘戦を繰り広げているのだ。その足元に居た機体は一溜りも無い。

 

 イングヴァルドの尾が重機動魔導城塞の足を絡め取った。そのまま一挙に釣り上げるように尾を引く。仰向けに転倒したところに馬乗りになり、手足の爪と牙で腹部をあっと言う間に削り取っていく。瞬く間に露出した魔導炉をイングヴァルドは一息に噛み砕いた。その際に咥内に残っていたエーテライトが流れ込んできた。満足げに飲み込む。

 龍族は長耳族同様自力で魔力を生み出せる種族だ。だが同時に外部から補充する事も可能だった。今の様に。

 

 勝ち誇る様にイングヴァルドは吠える。その動作でまた周囲が委縮する。後は戦力とも呼べない新式を蹂躙するのみ。順調に進む戦局にイングヴァルドは僅かに気を緩めた。

 

 そしてその油断の代償は高くつくことになる。遠距離から放たれる濃密な魔力。その存在に気付くのが一瞬遅れた。仮に気付いたとして対処できたかどうかは微妙な所だが、少なくともこうも無防備に喰らう事は無かっただろう。

 

 突如眼前に生じた光さえ通さない闇。それを目視した瞬間にすっかり馴染んでいた自分の肉体がまるで自分の物では無いかのように重く感じた。瞬く間に立つ事も出来ず、地面に縫い付けられる。

 

「やれやれ派手にやってくれたの……まさか機体に乗り込む僅かな時間で重機動魔導城塞が二機もやられるとは思わなんだ」


 実際、人龍大戦時に指摘されていた欠点――つまりは龍族の持つ矛に耐えられる盾を用意できなかったという問題を解決できなかった以上、決定打には成りえないだろうとは予測されていたが、まさか時間稼ぎにすら耐えられないというのはアルバトロスの側でも予想外だった。

 

「ベイルアウター。まあ人龍大戦時代に龍を殺した何て逸話は無い。ヴィンラードと比べれば凡庸な機体よ」


 だが、とヤンは続ける。

 

「龍を空から叩き落したっていうんじゃこいつは間違いなく最多を誇っておるよ」


 そう言って、第二親衛隊隊長ヤン・クローリーは操縦席の中で相手には見えない事を理解した上で笑った。

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