40 逃亡の果て

「おや、珍しいですね。先輩。部屋にまで入ってくるなんて」

「そうだな」


 ラズルからの指示を受けた翌日。カルロスはアリッサを監禁している部屋に足を踏み入れていた。無機質な石造りの部屋に一歩足を踏み込んで眉を顰める。

 これまでアリッサは徹底的に他者との接触を避けられてきた。融法で絡め取られる可能性がある以上仕方がない。

 その結果彼女は殆ど放置状態と言う有様だ。食事だけはカルロスが隣の部屋から入れていたが、そんな環境で風呂など望めるはずもない。辛うじて便所だけは併設されているので糞尿に塗れている訳では無かったが……大分薄汚れてる。

 アリッサも自分が汚れている自覚はあるのだろう。軽く肩を竦めて愚痴る。

 

「せめて濡らした手ぬぐいくらいは貰えませんかね」

「……後で手配しよう」


 アリッサを気遣った訳では無い。不衛生にすることで疫病が蔓延することを防ぐためだと、言い訳を用意してカルロスは頷いた。同時にどこか皮肉気な考えが浮かぶ。もうすぐ処刑される相手にそんな事をして何になるのかと。

 

「お前に聞きたい事がある」

「聞きたい事、ですか?」

「アルバトロス帝国の内情だ。東征に反対している人間はどれだけいる?」


 そこはログニスもハルスも気にしている情報だった。ハルスも大国ではあるが、単独で今のアルバトロスとやり合うのは厳しい。ログニスを併合したアルバトロスは単純な国力ならば大陸一だ。

 それ故に、相手の派閥争いで動きを鈍らせたいという狙いもあった。しかし。

 

「いませんよ」


 簡潔に述べられたのは信じがたい言葉。

 

「アルバトロスに東征に反対している人間はいません。少なくとも高位の人間は皆賛同しています」

「馬鹿な……!」

「内容については様々な意見が溢れていますが、いずれも大陸を制覇するという目的は合致しています。当てが外れましたか?」


 からかう様に尋ねてくるアリッサにカルロスはしばし沈黙する。そんなことがあり得るのだろうかと言う疑問。

 

「ログニスやハルスがどう考えているかは知りませんが……アルバトロスは本気で大陸を統一するつもりです。言葉だけやポーズだと思っているならその認識を改めた方が良いですよ」


 既にそれは帝都で味わっている。だが国の全てがその為に動いている。その事に違和感を覚えずにはいられない。

 

「聞きたい事はそれだけですか?」

「……アルバトロスの東征開始時期は?」

「さあ? 私が出撃した時点で、先輩が与えた損害の立て直しに奔走していました。まあ一年は無いんじゃないでしょうか」


 カルロスは小さく舌打ちする。そんな事は分かっているのだ。それからもカルロスは幾つかの質問をしていくが、アリッサの解答はこちらが既に把握している様な物ばかりだった。カルロスにとって新情報を強いて挙げるのならば、帝城で交戦した巨大な機体が重機動魔導城塞(ギガンテスフォートレス)と呼ばれる人龍大戦の遺産だという事くらいだ。

 

「おしまいですか?」

「……ああ」


 諦めたようにカルロスは溜息を吐く。ラズルから依頼されていた質問内容は終えた。彼が満足するかどうかは別として、解答は持ち帰る事は出来るだろう。

 

「そうですか……私からも一つお願いがあるんですが、聞いてくれますか。先輩」

「内容による」

「私を殺してくれませんか?」


 その願いに、カルロスは止まっている心臓が動き出すかと思う程の衝撃を受けた。融法で自分の頭の中を探られたのかとさえ思う。だが未だに融法阻害の魔法道具は正常に稼働している。

 

「多分、私は処刑されるんでしょう?」


 何も答えられない。イエスもノーも。どんな言葉であろうと発したらそれを取っ掛かりにアリッサは正解に辿り着く気がした。

 

「先輩は私を交渉材料にしようと思っていたみたいですけど、きっとアルバトロスは……レグルス殿下は私たちをいなかった事にすると思います。そうなれば王党派は私を生贄に捧げようとするでしょう。よしんばそれを避けられたとしてもアルバトロスは私の口を封じようとするでしょう」


 アルバトロスにとって汚れ仕事を引き受けてきたアリッサの存在は不具合でしかない。自分たちの手元に無いのならばなおさら。その手管がどんなものか想像も出来ないが、有り得ない話ではないと思った。

 

「ですから、そうなる前にせめて。先輩の手で――」


 アリッサの言葉が中途で途切れる。大きく目が見開かれて、口元からかすれたような声が一息分漏れて。

 

 糸が切れたように倒れ伏した。

 

「アリッサ!?」


 石畳に頭を叩きつける前にどうにか抱き留める。眼の焦点が有っていない。かすれたような声が喉から漏れる。

 

「ああ、こう言う手段で来ましたか……」

「何が起きている!?」

「さっき言った口封じです、よ」


 その時点でアリッサは確信していた。自分の脳に埋め込まれたエーテライト。それが完全に機能を停止すれば自分は生きてはいられまいと。死因を今伝える事に意味は無い。止める事など出来ないし、興味があればカルロスは自分の死体を解剖でもして調べるだろうと判断した。

 

「お願い、です。先輩。私は、終わりになるなら先輩が良い……」

「出来ない……」

「ああ、そうですよね。憎い相手の願いを聞く事なんて……」

「そうだ。お前は憎い俺達の仇だ」


 そう言いながらカルロスは解法でアリッサの身体を精査するが異常を見つけられない。――ある意味でそれは当然だった。今のアリッサの身体は肉体的には正常に戻っているのだ。その正常ではもう生きていく事が出来なくなっているのだから最早寿命の様な物である。

 

「じゃあ、遺言だけでも、聞いて下さいよ」


 アリッサの口が小さく動く。その言葉を、カルロスは一言一句忘れぬように己に刻み込む。それを言い終えた後、口元に小さな笑みが浮かんだ。


「ああ、でも……先輩がこうして抱きかかえてくれるんでしたら。それもそれで、あり、ですかね……」

「アリッサ……」


 その言葉にカルロスは愕然とする。確かにカルロスはアリッサの身体を抱き留めた。だが、その直後に解法を隈なく掛けるために石畳に静かに横たえたのだ。その事にさえアリッサは気付けていない。

 

「三回目……でもまた失敗してしまいました」

「アリッサ?」


 うわ言の様に、アリッサが呟く。一体何の事か。全く見当もつかない。

 

「私は、何時になったら辿り着けるんでしょうか」


 その言葉を最後に、アリッサは動かなくなった。死んだのだと診断するのに労する事は無かった。継続していた解法が、あらゆる視点からアリッサの死を伝えてくる。

 そっと手を翳す。四年前に行った事を再度行おうとする。ブラッドネスエーテライトの精製。だがその術式は失敗した。カルロスがミスをしたわけではない。この術式は相手の同意も必要になる。アリッサは、オマケの様な二度目を過ごす気は無いと拒絶したのだ。

 

「お前は憎い俺達の仇だ。そして……俺の後輩だ」


 そっと開いたままのアリッサの瞼を下ろしてやる。そうするとまるで眠っているかのようだった。然程の苦痛も無く逝けたのはアリッサにとって幸福だったのかどうか。

 

「っ!」


 沸き上がってきた激情のまま拳を石畳に叩きつける。

 

「ふざけるなよ、レグルス・アルバトロス」


 大層な名目を掲げて、それに大勢巻き込んで。その結末がこれかと。


「自分の配下さえも使い捨て。こいつにやりたくも無い事を強いて、その挙句が功績も何もかもを無かった事にして殺すのがお前のやり方か」


 自分にされた仕打ちはある意味で仕方ないと思えた。国が違う。カルロスはレグルスが守るべき国民では無かった。感情は兎も角理屈の上では納得できるのだ。だがアリッサは違う。アルバトロスの人間である彼女は本来、守られるべきでは無かったのだろうか。

 

 オルクスで、レグルスの理想はある意味で正しいと分かった。大陸を統一し武力を束ねる。そして神の気紛れで乱れる世界を静めるために神を討ち、人の手に世界を取り戻す。そうすれば今までに幾度か起きた大きな争いの芽は消える。遠回りではあるが平和を求める物であった。

 

 だからこそ。カルロスは叫ぶ。

 

「だったらお前の理想を否定してやる」


 理想はきっと正しい。だが、その過程は絶対に間違っている。カルロスはそう断じた。

 相容れない。カルロスは大それた願いを掲げていた訳では無い。魔獣と言う理不尽から人々を守りたい。根本はそれだけだった。神と言う理不尽を無くすためにレグルスが大陸の人々の理不尽となるのなら。きっかけを作り出した物としてカルロスはその理不尽から人々を守ると誓う。

 

「そんな物の為に、俺の願いを汚されて堪る物か!」

 

 ここにカルロス・アルニカの逃亡の道程は終わりを告げる。

 

 そして、最新の神話が始まる。

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