30 想定外

「学園への潜入、ですか?」

「そうです。俄かには信じがたい話ですが、ログニスの学生が新しい魔導機士(マギキャバリィ)を作成したという噂が存在します。その真偽を確かめ、事実ならばその情報を集めなさい」

「私、潜入の訓練何て受けていないんですが」

「大丈夫です。貴方はただの学生として通いながら噂を確かめていけばいい。ただし……努々忘れない事です。貴方の片割れは私が握っている事を」


 ログニスの学園ともなれば監視の目も緩むだろうと思っていたアリッサを引き締める様にカグヤはそう脅しをかけた。脳に埋め込まれたエーテライト。それは二つに分かたれた物の片方が入っている。もう片方はカグヤが言った通り、アルバトロスのどこかに保管されている。シンプルな反乱防止だ。そのエーテライトを砕くと、共振している脳に癒着したエーテライトも砕ける。

 

 それがアルバトロスに握られている限り、アリッサに自由は無かった。

 

 アルバトロスが情報を得てからわずか三日でエルロンド入りした。学生として忍び込み、魔導機士の噂について集める。呆れるほど容易く噂は集まった。その信憑性についてはさて置き……学生と言う身分がこれほど有効だというのはアリッサにとっても驚きだった。当時は全く別の名前を名乗っていたが、王立魔法学院の学生だというだけでエルロンド市民の口も軽く、また同じ学生間の噂話も数多く聞けた。

 そうした諸々からカルロス・アルニカと言う人物を絞り込んだ彼女はどう接触しようかと頭を働かせていた。結局策を実行に移す前に偶発的に図書館で遭遇し、接触を図ったのだが。

 

 そうしてカルロスの記憶の中から自分と条件が合致し、それなりに懐に入り込めそうな人物の記憶を読み取り――彼女はアリッサとなった。

 

 首尾よくカルロスの助手としてログニスの秘密計画である量産型魔導機士作成に関わる事が出来、ログニスが作った機体の情報をアルバトロスに送る生活が始まった。楽しい時間だった。一つの目標の為に一丸となって進む。それはそれまでのアリッサには無かった経験。

 

 何よりも、カルロスが優しかった。融法で内面を読み取っているアリッサにはそれが本心か口だけかと言うのは分かる。カルロスは本心からアリッサを気遣っていた。そのアリッサはここにいる彼女では無く、遠い場所にいる名前を借りた誰かだったのだけれども。

 それでも今までアリッサを人間扱いしてくれた人はいなかった。きっと他人からすればそんな事で、と鼻で笑ってしまうだろう。それでもそれは初めて他者から与えられた物だった。紛れも無い好意。アリッサにとっては恋をするのに十分な理由だった。

 

 そんな風にしていると、まるで自分がただの学生の様な気分になってきて。アリッサは学生生活を楽しんでいた。そうした中でアルバトロスへの報告――そこに欺瞞情報を入れ始めたことに深い意味は無い。ただアリッサは少しだけ心配になったのだ。もしもアルバトロスがこの研究に危機感を持ち、暗殺指令を出して来たらどうしようと。

 

 アリッサは命令には逆らえない。だからそんな命令が出されることが無い様に先手を打ったのだ。半分の真実を添えて。

 

 それからも経過報告だけが続いた。

 

 偶々という体を装って休日のカルロスに付き纏ったりもした。そうしていると本当に自分が普通の学生になったみたいでとても楽しかった。

 その内容がクレア――アリッサにとってクレアは接触を避け、何時まで経っても融法で取り込むことのできない厄介な相手と言う認識だった――へのプレゼント選びと言うのは癪だったが。

 それでもその日の終わりにはカルロスがプレゼントをくれた。それはアリッサがこれまでに持ったことの無い私物。潜入用の支給品では無く、アリッサだけの物。初めての宝物。

 

 それを大事にしている内に――。

 

 アリッサに指令が下った。

 

 第三十二工房の新式魔導機士の試作機。それの実機と開発者であるクレア・ウィンバーニを奪取せよと。

 その指令を受けた時に感じたのは終わってしまうのかと言う寂寥感。

 

 それと同時に恐怖した。自分は今、裏切ろうとしている。約半年を共に過ごした人たちを。その事に気付いてしまった。

 想定外だった。何れ裏切るのは規定路線。だというのに、こんなにもそれを恐れているなんて余りに予想外。

 人間らしく過ごした時間は、アリッサから間諜としての覚悟を奪い去っていた。知らぬ物を耐えるのは容易い。真に辛いのは一度それを知って尚耐える時である。そんな言葉を思い出した。

 

 知らなかったのだ。人を裏切るというのがこんなにも苦痛を伴うという事を。例えそれが自分が生きていくための代償だったとしても、アリッサは容易く耐える事は出来そうにも無かった。

 

 悩み、悩んで一つの決意をした。それは全てを捨て去る覚悟。もしもカルロスが自分を選んでくれたならばアルバトロスを裏切る。そんなもしもが実現したのならば己の命さえ捨てても構わないとアリッサは思った。

 

 ――結局の所。彼女は自分と言う物を捨てきれなかったのだ。カルロスを助けたいと思うのならば全てを打ち明けるべきだった。そうしなかったのは彼に選ばれたいという願望ありき。同時にそこまでの覚悟は無かったのだ。極論を言ってしまえば自分を選んでくれなかった相手の為にまで全てを捨て去る事は出来なかった。

 

 そうしてカルロスには選ばれなかったアリッサはそれでも己の裁量が許す限りカルロスを助けようとした。あくまで優先はカルロス。助けたい中にクレアは含まれていない。それでもアルバトロスが拉致した後に殺す事は無いと分かっていたのでそこまで心は痛まなかった。

 その一環が仕掛けた麻痺性のガスだ。抵抗しなければヘズン率いる第十三大隊も危害は加えないだろうという判断からだったが、これは結果的に失敗に終わった。直前に察知したカルロス達は自力でガスの影響から抜け、反撃してしまったのだ。カルロスに至っては残っていた試作機を駆ってクレアを奪還するために動いてしまった。

 

 そうしてどうするべきかも分からないまま、己の足でカルロスを追ったアリッサが目にしたのは――心臓を貫かれ、湖に沈んでいくカルロスの姿であった。

 

 任務完了となりアルバトロスに帰国したアリッサを待っていたのは虚無感だった。再び訪れた空虚な日々。ログニスでの色付いた日々が嘘の様に真っ白な生活。

 カルロスがいない。ここには自分を気遣ってくれた人がいない。そう考えるだけで何故自分は生きているのだろうという事さえ疑問に思えてくる。死にたくなかったから皆を裏切ったのに。今は生ある事に疑問を抱いている。

 

 そんな有様だったからか。奪取した試作機の解析が進み、クレア以外の重要人物の存在が浮上した時にアリッサは抵抗も無くそれを認めた。報告を怠っていたと。

 

 その結果は監禁に限りなく近い軟禁だ。高い融法の持ち主であるが故に殺すには惜しいと思われたのか。理由は定かではない。

 

 本当に想定外だった。自分がこんなにも一人に執着するというのも、拷問の様に身体を切り刻まれていた幼少期でさえ死にたくないと思っていた自分が今は死にたいと思っている事も。

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