37 終結

 どうにか岸辺に辿り着いた時には随分と身体が冷え切っていた。ずぶ濡れで荒い息を吐きながらカルロスは膝を突いて呻く。

 

「死ぬかと思った」


 その言葉にクレアが蹴りを入れた。クレア自身相当に疲弊しているのか、本人の身体能力不足もあって非常に非力な蹴りだったが消耗した今のカルロスを転ばすには十分な物だった。

 

「それはこっちのセリフなのだけれども。カス」

「いや、あの時は――」

「こっちを向かない。気を遣いなさい。カス」


 もう一発蹴りを入れる。今のクレアの服はたっぷりと水を含んでいる。水中に飛び込んだ段階で、カルロスが皮鎧など大きな物は外して行った為、今は学院から配布されたシャツとズボンだけだ。ぴったりと張り付いて全身のラインを見せている今の状態は余り人に見せたい物では無かった。

 そうしなければ危なかったというのは理解している。

 理解しているのだが、それで全身まさぐられた事を我慢できるかと言えば話は別。付け加えるのならばカルロスが平然としているのも腹立たしかった。

 

 魔法で服を乾かそうと思ったが、皮鎧を外す中で魔導炉も湖の底に沈んだらしい。溜息をついてクレアは岸辺に座り込んだ。

 

「それでどうするの?」

「まあ戻るしかないだろう」


 剣の一本も無い状態で魔獣が大量発生中の街へと向かうのは非常に不安だが、ここで濡れたままいる訳にも行かない。

 何より陽が大分傾いている。ただでさえ人数不足と言われている現在の防衛線で果たして救援に人手を割いてくれるかどうかも分からない。それ以前に。

 

「……っていうか、エフェメロプテラに乗っていたのが俺たちだって分かっているよな……?」


 今更ながらではあるが、そこにカルロスは思い至った。魔導機士に乗って戦っていました! と言っても物は既に湖の底。証明できなければ敵前逃亡扱いである。

 

「やべえ、俺何も言わずに来ちゃったんだけど」

「大丈夫よ。私がちゃんと言っておいたから」

「何て?」

「カスの手伝いをしてくるって」

「俺が何をするか言ってないよねそれ……」


 一刻も早く戻るべきだとカルロスは腰を上げる。大型魔獣を倒すという大金星を挙げたのに処罰されたのでは割に合わないにも程がある。日が暮れたらこの濡れた服では風を引く。

 

「とりあえずエルロンドに戻ろう」

「賛成ね。お風呂に入りたいわ」


 今更ながら後ろにいるクレアの恰好が非常に悩ましい物である事に気が付いてカルロスが身を固くしたがそれはさて置き。

 

 少し歩けばエフェメロプテラが跳躍した箇所まで戻ってこれた。深々と足跡が刻まれているので見つけやすい。いざとエフェメロプテラで駆けてきた道を見て、顔を青ざめさせる。

 

 魔導機士が踏み固めた道。そこを通って中型魔獣――すっかり顔なじみとなったグレイウルフが湖へと走ってきている。遠目だが傷を負っている様だった。防衛線で押し返されてこちらに流れて来たのか。理由は定かではない。

 重要なのは何も抵抗する手段も無く、装備も無い状態でそんな物と遭遇したという事。

 

「……クレア。俺がどうにか引きつけるからその間にエルロンドに向けて走れ」


 エルロンドが安全かどうかも分からない。それでもここに留まるよりは生存率が高い。カルロスはそう踏んだ。

 

「ふざけないでカス。一人よりも二人よ」

「……多分1足す1を10位にしないと無理だと思うんだよな、これ」


 微塵も逃げる気の無いクレアは足元から手ごろな礫を拾い上げていた。投石で倒せる気が全くしないが、奇跡が起きれば追い払えるかもしれない。

 そんな事を考えていたカルロスは、迫ってくる魔獣を見て、更にその背後から迫る巨大な影を見て口元を緩ませた。

 

「は、ははは」


 クレアもその陰に気が付いた。取りあえず折角拾い上げたのだからとグレイウルフに礫を投げつける。意外な強肩を見せつけて礫はグレイウルフに真っ直ぐ飛んでいくが、あっさりと避けられた。完全に正面に集中していたグレイウルフは背後の陰に気付かない。

 

「やっぱ本物はかっこいいな」


 純白に蒼い縁取りの装甲を持つ魔導機士。やや昆虫めいた意匠のエフェメロプテラとは違い、如何にも騎士然とした美しい機体だった。手にしているのは魔導機士用に打たれた鋼鉄の長剣と盾。

 それが手にした剣を横薙ぎに振るった。その風圧がカルロスたちの元にまで届く。ただの一閃でグレイウルフは半身に分かたれながら木々の向こうへと飛んでいく。

 その動きに淀みは無い。エフェメロプテラの様なぎこちなさとは無縁の動きにカルロスはほれぼれする。

 

「ガル・フューザリオン。大陸歴二百年ごろの人竜戦争時代の魔導機士。大陸内でもオルクスの機体を除けば最古の部類。間近で見たのは初めてだけど噂に違わず美しい……」


 すらすらと機体の略歴が出てくるカルロスにクレアが同意するように頷いていた。二人とも魔導機士の建造技術の復興を目的としているが、魔導機士その物に対する熱もそう大差ない様だった。

 

 ガル・フューザリオンはしばし警戒するように首を回してから、片膝を突いた駐機姿勢を取る。首筋のハッチが開いて中から搭乗していた騎士が出てきた。茶髪を短く刈り込み、筋肉で厚みを持った身体は騎士科のケビンらに通ずるところがある。年齢は三十辺りか。

 厳めしい顔つきのまま、大声で尋ねてきた。

 

「お前たち、エルロンドの学生だな!」

「はい! 魔導科二学年、カルロス・アルニカです!」

「同じく、錬金科二学年、クレア・ウィンバーニです」


 ウィンバーニの姓を聞いた時に僅かに表情を変えたが、すぐに気を取り直した。

 

「何故そんなにびしょ濡れで……ああ、いや。違う。私はエルロンドで迷宮発生の報を受け、救援に来た。王都守備隊第一大隊隊長のアレックス・ブラン。危急の事態と判断し、魔導機士二機による先遣隊を編成し、先ほど到着したところだ」


 今度はカルロスが王都守備隊第一大隊と言う言葉に表情を変えた。どこか落ち着きを無くしたような、浮かれた様な気配を出し始めたカルロスにクレアは胡乱げな目線を向ける。

 

「エルロンドに到着してすぐに、地竜出現の報と未確認の魔導機士が交戦しているという報告を受けてこちらに急行したのだが……」


 どちらも姿形が無い、と言う無言の言葉はカルロス達にも理解できた。ここまで魔導機士らしき足跡が残っているが、湖の辺りで途切れている。

 そしてそこにいた学院の生徒。何か知っているかと尋ねるのは当然だろう。

 

 そして困ったのはカルロス達だ。どう答えれば良いのか。しばし迷った末二人して湖の半ばあたりを指差す。

 

「どっちも湖の底に沈みました」


 結局、正直にそう言うしかなかった。その時のアレックス・ブランと名乗った騎士の顔は中々面白かったと二人は度々話題にすることになる。

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