02 起源

 幼い日、彼の父の治める土地が大量の魔獣に襲われた。

 領地の山間部。地元の人間も殆ど立ち入らない険しい山の中腹に地脈が淀み、魔力だまりが発生。淀んだ魔力に中てられた元々生息していた生物が狂暴化。一部は魔力を宿して魔獣へと姿を変えた結果だった。

 

 彼の姉に手を引かれて、領民と共に避難した事を彼は幼いながらに覚えていた。

 その横合いを一頭の大型魔獣が襲ってきたことを見ていた。

 己の身を盾とするように抱きしめてくれた姉の腕の隙間から、彼は迫りくる死を凝視していた。例え理不尽に命を奪われたとしてもその運命から目を逸らしたりはしない。最期の一瞬まで余すことなく記憶に収めてやると。そんな決意があった訳ではない。ただ幼き日から死に触れ続けてきた彼は死と生違いがよく分からなくなっていた。

 

 元は猪だったのだろう。全高が人の三倍近くまで巨大化し、牙が赤熱化して離れた個所でも熱気を感じる程だったが、猪だったのだろう。

 

 その猪は避難していた住民を玩ぶように潰して回っていた。巨大な脚で踏み、牙に引っ掛けて投げ飛ばし、高温になった牙を押し付けて焼き殺し。

 

 徐々に加減を覚えて行ったのが傍目にも分かった。人の原型を留めたままジワジワと嬲りながら命を奪っていく様になった猪に姉が小さく震えているのを感じた。

 魔力だまりで狂暴化した獣が人を嬲る様になる理屈は未だに分かっていないらしい。確かなのは、襲われた時に最初の方に殺された人間はまだマシだったという事だろう。高温の牙で腸を焼かれながら突き殺される感覚と言うのは出来る事ならば味わいたくはない。

 

 そして姉の番が来た。当時の彼は姉に抱えられたらすっぽりと隠れてしまう程の身長だった。姉はそこに希望を見出したのだろう。もしかしたら弟――つまりは彼に猪が気付かないかもしれないと。運が良ければ彼は生き延びられると。日頃感じたことも無い姉の力任せの抱擁。それは彼の僅かな身動ぎさえ外には漏らさないという決意の表れだった。

 

 忘れられない。姉の押し殺された絶叫。間近で嗅いだ人の肉が焼ける臭い。猪が牙の先端を姉の背に押し当てたのだ。

 そして――。

 

 姉の叫びを掻き消すような力強い足音と、巨大な剣を振るう音。彼ら姉弟の命を救った救世主の姿を。

 

 魔導機士(マギキャバリィ)。古代魔法文明が生み出した人類の守護者。その雄々しき姿を。嘗て人が龍と戦う為に神から与えられたとされる人類の剣。

 

 その瞬間、まさに彼はその姿に憧れた。

 しばらく経ってから、今はもう製造技術が失われて消え行く運命だと聞いた時にはひどく失望した。だがそれは同時に彼の運命を大きく変える瞬間だった。耳元で「だったらもう一度作ればいい」という囁きが聞こえたのだ。

 

 その二つの経験から彼は死霊術師の大家に生まれた子と言う立場を投げ捨てて、魔導機士の再現に取り組むようになったのだった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「ありがとうございましたー」


 カルロスは学院の資材管理課に礼の言葉を残して退室する。知らず内に滲んでいた汗を拭いながら安堵の息を吐いた。

 

「良かった……小屋の修理申請が通って」


 実験の結果爆散した粗末な小屋だったが、はっきり言って直すのは手間だ。たった二人の研究室でそんな事をしていたらその間の研究は完全に止まる。とは言え、幾度となく爆破してきたカルロスたち『魔力加工研究室』の申請は通らない可能性が高かった。学院の予算とて無限ではない。年度が替わったばかりだったのが良かったのだろう。事務員からはうんざりとした表情を向けられたが。

 管理棟から錬金科の研究棟へ。またうんざりしながら階段を登って研究室へと戻ってくる。その時点でカルロスの全身はうっすらと汗をかいていた。

 

「糞、シャワー浴びてえ」


 実家の両親が見たら顔を顰める事間違いなしの口調でカルロスはぼやく。言葉遣いが乱れてきている自覚のあったカルロスは小さく溜息を吐いた。また実家に帰るのが憂鬱になる理由が追加されてしまった。


「早かったのね」


 穴だらけの制服をテーブルに並べていたクレアが戻ってきたカルロスにちらりと視線を向けてそう呟いた。驚いた様な口ぶりだったが表情は殆ど動いていない。軽く眉が上がった程度だろうか。

 

「ああ、あっさり申請が通ったからな」

「そう。良かったわね」


 そう言いながら視線はテーブルの上に戻った。男女それぞれの穴の開いた制服。そしてクレアの腰元に下げられたランタン状の物体に視線を移して小さく礼を言う。

 

「悪いな。俺の分まで」

「気にしないで良いわ。カスがやるより私がやった方が綺麗になるもの」

「……いや、お前の創法の位階がおかしいだけだからさ」


 クレアが腰に下げているのは超小型の魔導炉だ。小型すぎて出力が不安定になってもそこまでの魔力にはならないので爆発することはない。魔力を持たない人間が魔法を使うためには必須の機材だった。それを使ってクレアは魔法を発現しようとしていた。

 

 創法。人間の生み出した魔導五法の一系統。魔力を別の物質に変換することの出来る魔法だ。彼女はそれを使って穴だらけになった修復を修繕しようとしていた。

 実際に真っ当な手段ではここまでボロボロになった制服を修繕するのは不可能だろう。当て布だらけの姿になるのは確実だった。決して安い物では無い制服を買い直すことを避けるためにクレアは貴重な魔力を使う事にしたのだろう。

 

 改めてみると酷い有様だった。火の粉――と言うにはやや大きかったが――が飛んできた部分は黒い焦げ跡と穴が。破片が刺さった箇所には鍵裂きが。おまけに全体的に中心に皺が寄っていている。とても再使用に耐えうる状態ではなかった。

 

 当然人が扱う物である以上、使い手によって効果は変わる。クレアが創法を扱う際の位階は十段階に分けると第六段階に位置する。第四段階であるカルロスがやるよりもかなり精密な創造が可能だった。

 彼女の若さで陸にまで到達している物は少ない。と言うよりも、全体を見渡しても第六段階と言うのは高い部類だった。現在存命の創法最高位なのが第八段階である事を考えると何れそれを超えるのではないかと言う期待が向けられている。

 高々学生の研究室に対して破格とも言える厚遇なのはその最高位を更新する可能性があるという理由も大きい。

 

「それに制服の修繕位なら俺がやってもそこまで大差ないと思うんだが」

「いやよ、カスに私の制服を渡すなんて。顔をうずめて匂いでも嗅ぐつもりでしょう」

「しねえよ」


 カルロスは一度もそんな変態的な行為はした事が無いというのに酷い風評被害であった。そう言うと何故かクレアは不機嫌そうな表情を作る。小さく鼻を鳴らしながら制服の上に右手を翳す。左手は腰の魔導炉の上に付いている釦を押し込む。小粒のエーテライトが炉の中に零れ落ちて魔力を生み出す。それと同時、彼女の掌に淡い光が宿った。その光はクレアが振った腕の動きに合わせて制服の上に降り注ぐ。一拍置いて生えてくるかのように穴の周囲から塞がっていき、最終的には元の無傷の制服が残された。

 

 見事な手際にカルロスは小さく手を叩く。

 

「お見事」

「褒めても何も出ないわよ」


 と、すまし顔のクレアだが良く見ると機嫌よさげに口角を上げている。存外、分かりやすい性格だった。

 

「それじゃあ素材を取りに行きましょうか」

「おう」


 ログニス王立魔法学院の近郊には人為的に作られた魔力溜まりが存在する。学院で多量の魔力を帯びた素材を必要とするのだが、それを外部から仕入れようとすると費用が莫大な物となる。だったら自前で調達できるようにすればいい、と誰かが考えたのだろう。地脈を歪めて魔力が噴出する様になった。

 カルロスとしては、幼い日にその魔力溜まりのせいで酷い目を見たので余り良い印象はない。それでも己の身さえあればそれなりに経費を浮かせることの出来る場所の存在は研究するうえで有難い。

 

 特に二人の研究の本命は魔導機士と言う金食い虫の研究だ。浮かせられる費用は浮かせておきたい。

 

 クレアに倣ってカルロスも腰から自分の手持ち魔導炉をぶら下げる。自前で調達、要するに狩りである。実家の山で兎狩りに手古摺っていた自分も随分と逞しくなったと苦笑しながらカルロスは自分の得物を腰に佩いた。研究室に置きっぱなしにしている皮鎧を着こんでいく。全く以て魔法使いらしくないことにカルロスの役割は前衛だ。後方からバシバシ火の玉を飛ばして敵を撃破するという姿に憧れないことも無いが、残念なことにカルロスにはその手の才がほとんどない。

 

 ほんの少し、クレアを羨ましく思いながら彼女の背を追って研究室を後にした。

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