【4】獅子の爪痕と折れた牙

柚葉side

26

 数日後、私は彼に借りた傘を持ち小伝馬町の居酒屋に向かった。家庭教師派遣会社から、『再度の依頼に応えるためにも授業をするように』と命じられたからだ。


 連日の雨、灰色の雲が空を覆い今にも振り出しそう。


 やだな。

 今夜も雨なのかな。


 彼とまた顔を合わせなければいけないと思うと、足取りは重くなかなか前に進まない。


 ――時刻は午後五時半過ぎ。

 店の前には準備中の看板。


 店の外にはさらに数人の行列が出来ている。小さな店だが常連客には人気のようだ。


 私は行列の先頭に立つ人に会釈し、色褪せた暖簾を潜りドアを開ける。


「いらっしゃい。お客さん今準備中なんで、六時開店まで並んで待ってもらえますか?」


 カウンターの中で忙しそうに働いている大将と女将。慌ただしく厨房で仕込みをし、私には目もくれない。


「あの……。家庭教師派遣会社から来た雨宮です」


 私に背を向けていた大将と女将が同時に振り返る。女将の険しい顔が瞬時に緩み、笑顔が漏れる。


「あら先生。来てくれんですね。嬉しいねぇ。さぁ、上がって上がって」


「ご依頼の件ですが……」


 丁重にお断りするつもりだったのに、カウンターから出てきた女将は満面の笑みで私の背中を押した。


「あの……」


「バカ息子ならじきに帰りますから。部屋で寛いでいて下さい」


「いえ、あの……。お話が……」


 発言する隙も与えられないまま、私は階段を上らされ彼の部屋へと連行された。女将は部屋のカーテンを開き窓を全開し、部屋に散らばる雑誌や衣類を急いで片付ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る