第28話


 あまりに疲れ、疲労感がまともに知能を働かせることを許さない。

 ソラファの姿がふらついて見えた。


 彼女は俺のように激しくは動かなかった。

 常に最小限の動きで対応し、いなす。


 まともに戦えたのは異様なまでの集中力を発揮した、あの時ぐらいだった。

 あとはなすすべもなく、やられていた。


「……」

「……」


 無言で立ち尽くす。


「そろそろ終わりに、しましょうか」

「……うん」


 疲れなど微塵も感じさせないような表情で、彼女は言った。

 最初から最後まで、氷のように冷静な彼女。

 完璧な容姿にして、その表情が崩れることはほとんどない。


 もうすっかり日は暮れていた。休みをはさみながらも、戦い続けていたのだ。

 もういいかげん、帰る時間だろう。


 そっとうかがうようにソラファを見る。

 なにかを言ってくれるんじゃないかと、今までのことを話してくれるのを期待して。

 俺から聞いていいのかわからない。だが、話していい内容なら、彼女から切り出してくれるはずだ。


 だが、彼女はそういうことを言わなかった。


「三日おきにここで戦います。次は理論と実践を教えるので、それまでは今日のことを思い出して学んでください」


 気のせいか、ソラファの声には疲れが見える気がする。

 もともと繊細な、歌姫の声だから、そんな風に聞こえるだけだろうか?


「わかった」

「ではこれで」


 揺れる視界でふらついたように見える彼女を見ていた。

 結局、何も言ってはくれなかった。

 でも……そんなことはどうでもいいことなのかもしれない。


 所詮過去の事象。おいて行かれた現代。

 俺と彼女の間にはこんなにも差があって、歯が立たないほどに打ちのめされて。


 今まで鍛えてきたのはなんだったのだろう?

 番人様になんといおうか。

 こんな結果を伝えるのが、怖い。


 頭ではわかっているのだ。番人様あいてに正面からという条件なら、互角に戦う彼女。

 そんな彼女に負けたところで、叱られるわけがない。


 でも、惨めな敗者は見捨てられるんじゃないかって、心のどこかで思ってしまう。

 呪いのように『立ち上がれ』と言われた言葉。

 それができなかったときに向けられる失望の目線。


 ――なんでこんなにも、歯が立たなかったんだろう。


 努力すれば叶うなんて信じるな。祈って願いが叶うほど、世界は優しくないんだから。

 そういう教えを何度も何度も説かれた。

 その意味を真の意味で理解していなかったのかもしれない。


 結果論だが、こんなにも努力してきた奴なんてそうはいないはずだった。

 それほどまでに追い込んで自分を鍛えた、鍛えられた。

 業魔を飼うという才能に似た能力の蓄えもあった。

 だからきっと、心のどこかで俺が負けるわけがないんだって、思っていたのかもしれない。


 ――あるいは、門を開けば、きっと。


「お疲れー♪」


 明るく、澄み渡る声。

 どれぐらいじっと座り込んでいたんだろう。

 ジャスミンが、俺の前に立っていた。仁王立ちで。


 あはは、と笑い、恰好崩す。


「ありがとう」と返事を返す。


「どういたしまして―♪ どうだった? 思い出せたでしょ?」

「うん。思い出したよ。でも……」


 彼女は俺の知っている、幼馴染の女の子だ。

 けれど。


「ソラファはいったい、何者なの?」


 遠く離れた場所に行ってしまった気がした。

 あまりにも高い能力と技術。


「ソラちゃん? ああ、確かに特殊すぎる子だよねー。ソウルウェポンも二つ持ってるし」


 ソラちゃん、と言う言葉を聞いて「やはりか」と確信した。

 俺の作った妄想人格は、真の意味での忘却を防ぐためにあったのだろう。まるっきり、その名は彼女を示している。


「ていうか聞いた? ソラちゃんって剣と槍を使うんだけど、鋼の名門じゃなくて星の名門の血筋なんだよ?」

「……ん? それっておかしくない?」


 封魔一族は鎌以外の武器に対して、なぜだか拒否反応が出る。たまにでない奴もいるが、そういう奴は鋼の名門に所属することになる。


「しかも陰術も立派で星の名門らしくないからねー。おまけに次期の歌姫に間違いなくなるだろうし、やけに武術系統の呑み込みがはやい。バン以上に、そこの才能は尖ってるよ」

「……なんでもできるんだな」

「いや? そういうわけでもないんだよ。ソラちゃんは極度の虚弱体質でね、筋力が人族の平均にも劣ってるの。だからソウルウェポンを持って戦わないと、剣の動きはだいぶ鈍っちゃうんだよねー」


 ソウルウェポンは魂と契約し、どこでも出し入れできる機能がある。

 さらに、ある意味での武器との一体化のせいか、体の一部のように使うことができ、重さを半分無視できるのだ。獣がどんなに重い爪を持とうと、それに引きずられることがないように。


「それでやけにつばぜり合いの時は軽かったわけか…」


 思えば一撃は基本的に軽かった。たまに重いものもあったが、それは速度を乗せた、技術による一撃なのだろう。

 本来の筋力はそこまで強くない。


「うん。封魔一族らしからぬ面がいろいろあるからねー。最初は外に出したら危ないぐらいに体が弱かったし……」


 考え込み、固まるジャスミン。

 そしてちらりと、俺の方を見る。


「最初は彼女はひとりぼっちだったの。外に出られるようになっても、輪に混ざれなくて寂しい思いをしてた。なにも私には言わなかったけど、涙をこらえてたのを知ってる」


 そんなことを、柔らかく、言った。


 ジャスミンがじっとこちらを見つめる。


「カルマがソラちゃんを連れ出してくれたんだよ。手を握って『一緒に遊ぼう!』って。うれしかったなあ。そのかわり君がほかの子供と遊ばなくなっちゃったから、心配になったんだけど」


 そう言えば、と思う。

 俺は暴走するまでは普通の封魔一族として扱われていた。それまでは誰かれ構わず仲よくしていたし、両親からも寵愛を受けていた。


「うーんえっと、ここからは私の口からは言えない!」


 突然そんなことを言い出す。

 もじもじと芋虫みたいに体をくねらせる。


「え、なに?」

「まあ、仲良くやりなさいな! きっとうまくいくはずだよっ♪」


 ソラファは確かに強かった。

 彼女と一緒に鍛えれば、彼女と同じぐらい強くなれば、ヘクトールが怖いものではなくなる気がする。


「おーいカルマくーん。君わかってないね?」

「……なにがさ」


 ジャスミンはからかっているだけだ。

 証拠にソラファは俺に何も言ってこなかったのだし。


 表情だってちっとも動かなかった。たまに微笑んでいたけど、そんなんで勘違いするほど自分に期待しちゃいない。


「まあ、その気がないならないで別にいいけどねー。個人の自由だし。でも私はねー。それにバンだってねー」


 ぐちくぢと言い始めるジャスミン。

 お母さん体質なのかもしれない。


「どう? だいぶ綺麗になってたでしょう? 女子三日会わざれば強しっていうしね♪」


 初めて聞くことわざだった。

 それにしても強くなりすぎだと思った。


「そうだね」と俺は言う。


「じゃあ今後に私は期待してるよー。アデュー!」


 そういって風のように駆け抜けていった。


 俺はゆっくり目を閉じる。

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