ハルの捜索
「ハル!」
覗き込んでいた階段の大穴から僕は飛び降りる。塔になっていたようで、下は絶壁だ。僕はあまり運動が得意ではないので、そのままの勢いで着地すると足が痺れてしまう。だから、落下途中にあるバナーポールを使って勢いを殺した。さらに壁を横に蹴って別の棟に跳び移る。少しバランスを崩しながらも、さらに跳躍し崖をくだった。
「ハル! ハルー!」
崖の下は上から見るよりも酷い状況だった。戦いがあった直後だと思えないのは呻き声ひとつ聞こえないからだ。なのにまだ地面が燃えている。木はカラカラに白くなって、もはや残骸しかない。
「ハル……」
ダメだ。この状況だと呼んでも返事はないだろう。別の隊にいるか、それとも逃げ遂せているかを祈るしかない。可能性はふたつだ。別の場所で勇者と戦ったか、すでに橋頭堡に退却したか。どっちだ。悩んでいる時間がもったいない。
三年前、最初の戦いでのハルを思い出す。傷だらけのハルは、止めようとした僕の手を振り払おうとした。
『離せイルベルイー! 勇者を殺さないと、魔王さまが!』
勇ましい彼はきっとどこかで戦っているはずだ。僕は即断した。町の男の話によれば、魔王軍はいくつかに別れたようだ。少なくともそのうちのふたつは壊滅……。
「複数っていくつだよ……。やっぱり一度海岸に戻るべきか?」
自分の言葉を首を振って否定する。そして僕は、太陽が沈みかけているオレンジ色の空を見上げた。
「快晴、星が出る……!」
今夜は夜の帳は下りない。理由はふたつ。まだ森に纏わりついた炎が仄明るく空を照らしているから。もうひとつの理由は、その炎の灯りに負けないほど明るい満天の星空だ。僕は自分のホロスコープを取り出す。そして今の状況を反映させた。レドネアの星空には僕の星も見える。光が強くなっているのはユキが魔王になった影響か、それとも『星の書』を手に入れたからか。どちらにせよ輝きが増すことは良いことだ。なぜなら占いやすくなるから。
僕は自分の星の近くの星を探す。
「これはユキの星、これは父さん。こっちは兄さん、これは――」
知っている限りの星を除外していく。ハルの星の輝きもきっと強いはずなんだ。ユキの近衛騎士になれるなら、強い運命を持ってるはずだから。描き写した星図から当てずっぽうで選びだした星をホロスコープに反映させる。そしてその星が僕の星の交わる箇所を探した。
「この星は…………ない」
ならば、この星はハルの星ではない。
自分は絶対にハルを探し出す。その運命を信じて、その未来に合致する星を探し続けた。
やがて東の空が白み始めたころ、ようやく条件を満たす星を見つけた。
「これ……か?」
言葉の裏にはこれであってほしいという願い。僕はその星の持ち主と自分との運勢を占う。
「南……」
僕は立ち上がった。
走りはじめてどれくらち経ったろう。すでに森は抜けた。疎らに木が生える原野をひたすら南下する。進軍の跡がずっと続いているので、見当違いということはなさそうだ。
やがて魔族の死体が転がりだす。人間の死体がないことから、勇者との戦いの跡だとわかった。進むにつれ死体の数が多くなっていき、胸のざわつきも大きくなった。そして戦場を目撃する。
無数に空いた地面の穴は、砦の麓の森のように炎がこびりついている。そのなかには魔族のものらしき四肢の破片。穴の外には辛うじて原型をとどめた死体が黒焦げになっていた。
「は、は、ハル……は? ハル……」
恐ろしさの余り言葉が上手く出せない。僕は星の瞬きだけを信じて灰が舞う戦場を彷徨い歩いた。
もう勇者は去ったあとのようで、恐ろしいほど静かだ。
どんな小さな痕跡でもいい。とにかくハルを見つけないと。例えばハルの愛槍ドゥーア。あの巨大な槍なら目立つはずだ。他には防具。月白の具足は赤い炎の光を吸収してぼんやりと光るだろう。戦場荒らしのように目を凝らして僕は辺りを見渡す。でも、この惨状ではハルが戦っていた痕跡すら見つけることができなくて、いつの間にか戦場の外れまで来てしまった。
「どうしよう……」
戻るか、それとも別の戦場を探すか?
逡巡する僕が戦場の中心地に向けて踵を返そうとした時、視界の端にキラリと光が映った。それは巨大なランスの先端に反射した光だった。
「あれはドゥーア!」
やっぱりここでよかったんだ! 僕は足をもつれさせながら槍のもとに向かう。槍は根本がどろりと溶け落ちてしまっていた。
柄がない。
まさか――と、そんな恐ろしい想像を振り払って僕はまた周囲をに目を凝らした。
「ハル!」
すぐそこ……というには離れた場所。原野に点在する曲がりくねった木の傍に、竜人族の少年は倒れていた。息はあるが意識はない。折れたランスの柄を握りしめ、自慢の具足は吹き飛んでしまっている。純白の鎧下は血が滲んで真っ赤だ。血が乾ききっていないところを見ると、まだ出血は止まりきっていないようだ。
ハルの血と汗と泥に塗れた鎧下を破り取り、傷だらけの白い肌を晒す。僕は服のまだキレイな部分を破って水筒の水を絞った。そしてまだ血が止まらない腕の傷を拭いてその上から乾いた布を結んだ。
「たしか、この近くに川があったはずだ」
小さいけど水は綺麗だった。
ハルを川べりまで抱きかかえて運び、水を絞った布で肢体の血と泥を拭いた。竜人族は人によって鱗の多寡が違う。全身鱗に覆われている者もいればほとんど鱗がない者もいる。ハルは後者で、首元や腕、あとは脛くらいにしか見当たらない。それもボロボロに剥がれ落ちているけれど。
身体を吹き終えたらローブを着せたパンツ一丁のハルをおんぶして、僕は戦場を離れた。一旦海辺の拠点に戻ろう。僕は意識の戻らないハルを連れて森をひた歩いた。
結論。僕らの上陸拠点は壊滅させられていた。撤退したのか、沈没したのか、すでに一隻の船もない。あるのは即席の砦の残骸と、駐屯していた魔族の死体だけ。
「なんなんだよ……なんなんだよお前!」
込み上げてくるやる瀬無さに身を任せ、いない勇者に向けて絶叫しても、誰かの耳に届くことはない。残響すら掻き消す波の音のなか、僕は立ち上がって再びハルを背負った。
ハルをこのままにはしておけない。とにかく水と食べ物を確保しないと。デキンへの帰還を考えるのはハルが目を覚ましてからだ。
森へと入り、小川の側で一晩を明かす。もいできた果実を搾り、果汁でハルの喉を湿らせた。
いくら豊かな森で、食料の心配がないからといって、何も問題がないわけではない。さもなくとも戦争中という緊張状態が続いているのだ。見知らぬ土地ということもあって、連日の夜警と不安で眠れない僕は次第に疲弊していった。目の下に隈を作った僕は、覚束ない足取りで森を歩く。ずり落ちそうなハルを背負い直して、僕はまた海岸を目指した。
また人魚族の助けを借りよう。そうしなければもうどうにもならない。
浜辺についた僕はハルを下ろして波打ち際に向けて叫んだ。あの女の人、名前はたしか、
「ゲヘナコ!」
返されるのは波の音だけ。ていうか、波が僕の声を掻き消しているんじゃないかってくらい五月蝿くて、憎らしくすらある。何度も何度も彼女の名を呼んでみても、人魚族どころか誰の姿すら見えなかった。
ダメだ……。
良くなる見込みのない現状に気が遠のいて、僕は崩れるように砂浜に倒れこむ。とうとう霞みだした視界に誰かが走ってくるのが見えた。けれど、すりガラスを通したみたいにぼやけていて正体がわからない。
ユロー? まさか、いるはずがない……。だったら、だ……れ…………
見知らぬ人影にどれだけ危機感を募らせても、すでに底をついた体力では朦朧とする意識を持ち直すことはできない。そして僕は自分の意識が途切れたことにすら気づかなかった。
揺れる揺れる。意識が戻って最初に感じたのは誰かにおんぶされている感覚だった。前の背中が暖かくて、息が弾むごとに身体が少し持ち上がった。バレないように僕はゆっくりと目をあける。すると目の前には少女の後頭部があった。隣りにはハルを抱きかかえている女。姉妹だろうか、そんな雰囲気だ。
「でも凄いね! ホントに占いの通りになったよ!」
僕をおんぶしている少女が興奮気味に言った。女は酷く辛そうな声で少女を諌めた。
「ミレイ、ふたりが起きちゃうでしょ。静かにしなさい」
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