勇者伝説と叛逆のアストロロジー

ふじさわ嶺

名前を失った少女

 勇者が誕生した!

 魔王を滅ぼすために!


 今から十二年前、夜空にひとつの星が現れた。

 全天で一等輝くその蒼い星を見て、魔王城の占星術師たちは声高に伝説を叫んだ。


 占星院からこの知らせを受けて魔王さまがとった策はふたつ。ひとつは人間の暮らす大地レドネアに侵攻すること。これによって人間は防戦を強いられ、魔族が暮らすデキンの大地は守られるだろう。

 そしてもうひとつは王位の譲渡だった。今日は新魔王さまの戴冠式。戴冠するのは魔王さまの娘ユキだ。鬼族の姫であるユキは僕の幼馴染なのだ。


 僕はイルベルイー。誇り高き十二氏族の一翼を担う白羊族。その宗家の次男で見習い占星術師だ。魔王城の二大諮問機関の片割れである占星院、その下に位置する占星塾に通っている。


「イル、見ろよ」


 戴冠式が執り行われる魔王城の講堂。白羊族の集団のなか、隣に並んでいた兄が僕に話しかけた。兄が顎で指した方を見ると、竜人族の一団がいた。


「格好良いよな」

「そうだね」


 雄々しい角を持つ竜人族はとても格好良い。それに比べて僕ら白羊族の頼りないこと。僕は白い癖っ毛から突き出るアモン角を少し撫でた。せめて螺旋角だったらな。


「ふたりとも静かにしなさい。じきに式典が始まる」

「ご、ごめんなさい」


 講堂には竜人族だけじゃない、他の十二氏族の宗家が出揃っていた。王族である鬼族はもちろん、人馬族、翼人族、巨人族の人たちはとても狭そうにしているな。あそこの牡牛は人魚族の男たち。雪人族の衣装は暑そうだ。脱げばいいのに。他にも高鼻のお面を被った天狗族に、よく似た耳を持つ人狼族と妖狐族。そして僕は白羊族の集団のなかにいる。


「始まるよ」


 兄が、今度は視線で講堂の大門を指す。さすがに魔王さまの登場口を顎で指すことはできなかったらしい。


「魔王陛下、御入来!」


 進行役の人馬族の大臣の声が響くと、少し騒々しかった講堂内が波が引いていくように静まり返った。


 ゴゴゴ……


 重苦しい音を鳴らして青銅の門が開く。そこから勿体ぶって登場したのは現魔王さまだ。一歩一歩、牛歩で赤絨毯の上を歩く。大人にはこれが荘厳に映るのだろうけれど、子供の僕にとってはただただ退屈な時間。僕は欠伸を噛み殺した。

 ようやく壇上に上がった魔王さまは、マントを翻しながら振り返ると、今度は長ったらしい前口上を述べ始めた。勘弁して!


「――では、新たな魔王となる者をここへ」


 ようやく口上が締められると、「ユキ・エナ・フィラグリヤ王女殿下、御入来!」とユキの名が高らかと叫ばれた。僕は俯き加減だった顔を待ってましたとばかりに跳ね上げる。

 壮大な音楽とともに青銅の大門が再び開かれ、骨に響くような大喝采が沸き起こった。そんな騒々しさのなかでも、僕はしっかりと彼女の足音を拾っていた。トス、トスと、ふかふか絨毯の上を鷹揚に歩く音だ。幼馴染の晴れ姿をひと目見たくて僕は、家族の目を盗んで人混みを縫うように通路沿いに出た。


「うわぁ……」


 そして詠嘆の声をもらす。

 ユキは真紅のドレス姿だった。長い裾が、小さくて可愛らしいユキの足を完全に隠してしまっている。そのせいか僕より小さなユキでも、幼さは感じられない。短く陶器のようにつるりとした二本の白い角はヴェールに覆われていて今日は見られない。漆黒の髪は後ろで結われていて、黄金色の髪飾りがよく映えていた。白い肌がほんのりと上気しているようにみえるのは、化粧のせいだろうか。さもなくとも戴冠式ということで緊張しているだろうに。


 ユキが傍を通っても僕には見守ることしかできなくて。けれどそんな僕の視線に気がついたのか、すれ違いざまユキの気恥ずかしそうに上げた口角が、ヴェールの隙間から見えた。

 壇上に上がったユキは、僕らの方に向き直り一礼する。そして小鳥が歌うような可愛らしい声で誓いを立てた。


「我らこの地を訪れてから五千年がすでに経った。十二氏族の英雄たちがレドネアの地を取り戻すべく戦ったのが二千年前。しかしその願いは勇者によって阻まれてしまった。この荒廃したデキンに追い込められた我々の前に今、再び勇者が立ちはだかろうとしている。今こそ立ち上がれ! まだ幼き身ではあるが、我もまた其方らとともに闘うことをここに誓おう!」


 盛大な拍手が講堂を満たし、新魔王がみんなに迎えられていることがわかる。

 喝采のなか、魔王さまはユキに一歩歩み寄った。強張るユキの表情。継承の儀式が始まるのだ。僕は「がんばれ!」と心のなかで何度も叫んでいた。




『左眼を受け継ぐの。歴代魔王さまの魔力が宿った眼を自分のと交換するのよ』




 ユキが儀式の内容を教えてくれたのは一昨日のことだ。


「其方はこれより名を失う。我ら魔族の象徴たる魔王たれ」


 魔王さまを見上げたユキは、可愛らしい声で頷く。


「全魔族の希望となりましょう」


 ユキを見下ろす魔王さまの指が彼女の左眼を抉る。ほんの小さな呻き声が、緊張に包まれた講堂内に反響した。

 ユキの瞳は朱い。それとは少し色彩の違う紅い眼球がポッカリと空いた眼窩に嵌め込まれた。

 その時だ。ユキの左眼周りの血管がボコリと浮き出てきた。眼球から血管を伝って膨大な魔力が流れ出しているようにも見える。痛むのだろう、ユキは蹲って両手で左眼を押さえつけた。細っこい喉から殺しきれない呻きが僕の心を抉った。


「幼き身体ではさぞ辛かろうに」


 隣にいた人馬族の呟きが頭上から聞こえた。


「継承はなされた! 新たな魔王に祝福あれ!」


 名を取り戻した先代魔王さまは高らかと閉会を告げる。鳴り響く喝采のなか慌ただしく式典は締められ、追い出されるように僕らは講堂を出た。閉じていく扉の隙間から見えた、蹲りながら呻き苦しむユキと、その横で諸手を掲げていた先代魔王さまが、いたく対照的だった。




 後日、僕はユキの庭を訪れていた。荒廃したデキンの大地の中で、緑豊かな場所が数か所あるが、ここがそのうちのひとつだ。伝説に聞くレドネアの地を想像して、何十年もかけてユキが懸命に育てていた。僕も手伝ったので、勝手知ったる場所なのだ。


「いないかな……」


 草木萌える瑞々しい庭をひとりごちながらユキを探す。ユキはこの場所が好きだ。だから僕らが逢う時は大体ここだった。いくら大好きな場所でもさすがに今日は来ないかもしれない。僕が諦めて踵を返そうとした時、生け垣の向こう側から絞り出したようなか細い声が聞こえてきた。


「いー……ちゃん?」


 消え入りそうな弱々しい声だけれどすぐにわかった。ユキだ。僕は生け垣をぐるりと周って小さなアーチをくぐり抜ける。こんな場所あったっけ。最後にここを訪れたのはひと月ほど前だけど、こんな場所はなかった。短い横道を抜けると、白いクレマチスの生け垣に囲われたシロツメクサ花畑の中心に、真っ白ドレス姿のユキが座っていた。


「ユ……魔王陛下!」


 すでに魔王となったユキは、名を失っている。もう鬼族のユキ・エナ・フィラグリヤではなく、魔王なのだ。父からも占星塾の先生からもそう教えられた。しかし顔を上げたユキは酷く傷ついたようで、


「いーちゃんまでそんな風に呼ぶのね」


 と項垂れてしまった。一瞬見えたユキの顔は酷いものだった。左眼は包帯でぐるぐる巻にされ、右眼も泣き腫らしたのか、目元が真っ赤に荒れていた。


「戴冠式からずっと、みんながわたしのことを魔王さまって呼ぶのよ。メイドたちだけじゃない、お父さまもお母さまもお兄さまも。もう、わたしはどこにもいないみたい」


 ユキは右眼から哀しみの涙をぽろぽろとこぼした。僕はユキが好きだ。好きな女の子が泣いているのに一体誰が放っておける?


「だったらせめて僕だけは、せめてこの庭でだけは、ユキをユキと呼ぶよ」


 顔を上げたユキは、嬉しそうに朱い眼を細めてくれた。




「こんな庭、あったっけ?」


 ユキの涙が治まった頃、ユキの隣に腰を下ろした僕は、改めてこの場所について尋ねた。


「戴冠が決まってから大急ぎで作ったの。魔王になれば、いーちゃんとも堂々と逢えなくなってしまうかもしれないから」

「言えば手伝ったのに」

「いーちゃんは占星塾が忙しいでしょう?」

「大丈夫だよ。僕、そこそこ優秀なんだ」

「さすが白羊族の宗家さま?」

「父や兄と比べるとまだまだだけどね」

「……わたしも、所詮お父さまやお兄さまの代わりだわ」


 僕はユキの左眼を見る。見るといっても包帯に隠れて眼球を見ることはできないのだけれど。


「悲鳴、痛そうだった」

「聞こえてたの?! …………恥ずかしいな」

「誰も笑ってなんかいなかったよ」

「本当に?」

「本当さ。みんなでユキのことを案じてたんだ。僕だって」


 ユキは嬉しそうに目を伏せる。


「そっか……でも今はもう大丈夫。まだ少し腫れてるから包帯は外せないけれど、それももうじきに良くなるってお医者さまが」

「そうか、良かった。それにしてもどうしてユキだったんだろう。お兄さんがふたりもいるのに」


 王位に限らず、当主というものはすべからく長子がなるものだ。僕がずっと感じていた疑問を口にすると、ユキは物憂げな笑みで答えた。


「兄上さまたちは前線に出られるから。勇者が魔王を殺しに来るというのに、その魔王が前線に出るなんてとても危険だわ。だったらいっその事、戦いの場に出ない者が魔王となれば良いと、父上さまはお考えにられたのよ」

「そうだったんだ」


 合理的な判断だと思えた。兄たちが人間との戦いで傷ついているというのに、妹のユキだけが安全なところで安穏としているのでは示しがつかない。ならばせめて魔王として全氏族の象徴という形で王族としての職務を負うべきだ。先代魔王さまはそうお考えになられたのだろう。けれど、伝え聞く魔王の運命を思うと素直に納得もできなくて。この複雑な気持ちは、僕がユキと親しいから湧き上がるものなのだろうか。


 僕は改めてユキの顔を見つめた。頭に巻かれた包帯がやっぱり痛ましいけれど、本人はきょとんと円な瞳を僕に向けている。包帯に気を取られて気が付かなかったけれど、左目に泣き腫らした跡に隠れて隈があるようにも見えた。


「ユキ、もしかして寝てないんじゃ?」


 歴代魔王の左目を受け継ぐというのが、どれほどの苦痛なのかは僕には想像もできないけれど、苦笑を浮かべるだけで否定しないところを見るとどうやら図星らしい。


「ほら、膝に頭置いて」


 僕は膝にユキの頭を乗せる。遠慮がちだったユキも、すぐに身を預けてくれた。

 白羊族は占星術師を多く輩出する氏族だが、分家になれば有力氏族の子の側仕えを任されることも多い。その理由は、


「いーちゃんの歌、好き」


 白羊族は魔法特性として歌に催眠効果を持たせることができるからだ。


 この先、魔族の長として多くの重圧を背負うだろうユキ、迫りくる勇者の影に苦しめられるだろうユキ。

 せめてこの庭にいる時だけは安らかに眠って欲しいと思う。戦地へ向かう僕は、しばらくここには来られないから。

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