メイドカフェ 四

 その日の夜、自称サバサバ系は都内某所の繁華街に立っていた。


 彼女の歩みが向かったのは、界隈に数多建った雑居ビルの一つ。その中ほどに居を構えた消費者金融の窓口である。家業の倒産と、それに伴い両親から泣きつかれたのが原因で、五十嵐は何件かの金融機関から、合計で数百万ほどの借金をしていた。


 その催促が自宅まで訪れるようになったのが先月のこと。複数ある借入先の内でも、特に取り立てが激しい同店に、自宅まで来るのは勘弁して欲しいと、わざわざ頭を下げに訪れている次第であった。


「五十嵐さんねぇ、借りたもんはちゃんと返してもらわないと」


「返します! ちゃんとお返ししますからっ!」


 手狭いフロアの片隅で、カウンター越しに会話の声が響く。


 一方は五十嵐だ。


 これに対応しているのはスーツ姿の男性である。年齢は四十代前後、どこにでもいるような特徴のない中年男性だ。ただし、スーツやネクタイはよれよれで、顔には無精髭が生えている。真っ当な客商売の営業とは到底思えない。


「そう言って未だ、利息すらまともに払えていないだろうが」


「本当です、本当にちゃんと返しますから!」


「前もそう言ってたよなぁ……」


「今度は本気です! だからどうか信じて下さい!」


 必死になって頭を下げてはいるが、これっぽっちも返すつもりはない五十嵐だ。ネットで確認した知識に基づき、法外な利息を請求する闇金には元金も含めて、一切支払いに応じる必要はないと考えていた。


 具体的には、近い内に弁護士に連絡を入れようと意識を高く持っていた。そのためのバイト代が、今月末には振り込まれる予定である。胸の内では悪態を吐きつつ、向こうしばらく時間を稼ぐ為、必死に頭を下げていた。


 場合によっては、バイト先で出会った少年との交流が芽吹くかも、とも。


「まあいい、待ってやるよ」


「あ、ありがとうございます!」


「これで駄目だったら、身体を使ってでも稼いでもらうからな? こっちは借用書を抑えてるんだ。裁判でもなんでも付き合ってやる。貸した金は利息も含めて一円残らず、きちっと返してもらうからよ」


「っ……」


 タバコ臭い息を吐いて、男は五十嵐を睨みつけて見せた。


 相手は闇金、裁判なんて絶対に無理だろう。そのように頭では理解しつつも、彼女はぶるりと身体を震わせて同所を後にした。年若い自称サバサバ系にとって、怖い顔をした中年男性からの恫喝は、非常に恐ろしいものであった。




◇ ◆ ◇




 翌日の放課後、西野の端末が着信に震えた。


 今まさに教室を後にしようとしていた時分の出来事であった。ディスプレイにはバイト先の番号が表示されている。本日はこれといってシフトの入っていない彼だから、自ずと疑問が浮かぶ。


 同時に昨日受けた、自称サバサバ系からの電話を思い起こした彼は、多少なりとも期待に胸を膨らませつつ通話を受けた。もしかしたら、彼女が職場から電話を掛けてきたのかも知れないと。


 すると聞こえてきたのは男の声である。


『もしもし、こちら西野さんのお電話でよろしかったでしょうか?』


「ああ、そちらはメイドカフェのオーナーさんか?」


『はい、西野さんのバイト先のオーナーです』


 あてが外れた西野は、少しガッカリした。


 しかし、相手は職場のまとめ役だ。その下で始めたバイト生活に期待を寄せている彼としては、決して無下にできない相手である。今後とも仲良くしていきたいと考えていた。二年A組と同様、円満な人間関係の構築に余念のないフツメンである。


「こちらに何か用件だろうか?」


『お、大野さんから、西野さんに連絡を取りたいとのことで……』


「大野?」


 誰だそれはと疑問に思ったところで、ふと思い起こしたのは、つい数日前に職場までやってきたヤクザ者の姿である。名刺を渡された訳ではないが、会話の流れでそれっぽい名を耳にしていた西野だ。


「……あぁ、あの男か」


『申し訳ありませんが、ご足労願えませんでしょうか?』


「わかった、これから向かう」


『ありがとうございます』


 オーナーの声色に怯えを感じて、西野は即答した。


 まさか放ってはおけない彼である。


 その原因が自身にあるとは夢にも思わない。


 通話を終えた彼は、足早に教室を発った。


 これと数分ほどの差で二年A組の教室にやってきたのが、ローズとガブリエラである。二年B組に所属する彼女たちは、帰りのホームルームが長引いた手前、フツメンの下を訪れるのに時間を取られていた。


 結果的に入れ違いとなった一人と二人だ。


「あラ? 彼の姿が見あたリません」


「ちょっと訪ねたいのだけれど、西野君を見なかったかしら?」


 彼女たちは教室に残っていた生徒に声を掛けた。


 相手は入り口にほど近い場所に腰掛けた生徒だ。これといって特徴のないフツメン男子である。彼は予期せず与えられたローズからの問い掛けを受けて、身体を強張らせると共に、早口で言葉を返した。


「え? あ、西野のヤツなら、さっき電話を受けて出てったけど。た、多分、バイト先じゃないかな? オーナーがどうとか、なんか偉そうに喋ってたから。あ、でも、違ってたらごめんね」


「あらそう? ありがとうね」


 萎縮した様子で返事をする生徒。


 踵を返した二人は、バイト先に向かい足を急がせた。




◇ ◆ ◇




 学校を出発した西野は、タクシーを拾ってバイト先まで急行した。


 愛する職場を乱さんとするヤクザ者に鉄槌を下す為だ。


 店は本日も営業しており、外からでも盛況っぷりが窺える。オープン直後ということも手伝い、当面は賑わい続けそうな予感が感じられた。これを傍目に眺めつつ、勝手口から店内に入った彼は、バックルームに向かって一直線。


 すると同所を訪れるや否や、ヤクザ者から泣きつかれる羽目となった。


「若旦那、お願いです、どうか助けてください!」


「…………」


 西野が姿を現すと共に、親分は椅子から降りて土下座を始めた。


 傍らには子鉄の姿もある。


 場所は従業員が休憩に利用するスペースだ。中央にはテーブルセットが用意されている。そこには飲みかけのグラスが一つ見受けられた。今の今まで大野が腰掛けていた席である。フツメンが訪れるまでは、そこで寛いでいたのだろう。


 部屋には他に隅の方で、ピンと背筋を伸ばして立つオーナーの姿が見受けられる。こちらは顔色を青くして、ガクブルと身体を震わせながら、一連の様子を見つめていた。今にも倒れてしまいそうだ。


「以前にも言った筈だ。アンタとこちらは他人同士、顔を合わせても知らないふりをしろと。それがどうして、わざわざオーナーに迷惑を掛けてまで、連絡を取るような真似をしたんだ?」


 ヤクザ者の姿を確認して、西野は不機嫌そうに語ってみせた。


 さっさとどこへとも行ってしまえと言わんばかりだ。


「す、すみません! これには深い訳がっ……」


「まさか、店に妙なことをしたんじゃないだろうな?」


「滅相もない! そんなことしておりません! ええ、もちろんですから!」


「…………」


 しかし、これに親分は食い下がって見せた。


 額を床に擦り付けんばかりである。


「アンタたちの都合にこちらを巻き込むな。自分のケツは自分で拭け」


「仰ることは尤もだと理解しておりやす。ですが、若旦那も決して無関係じゃないんですよ。だからどうか、こっちの話を聞くだけでもお願いできませんかね? この大野、一生のお願いでございます」


「どういうことだ?」


 親分の語り草を耳にして、西野の眉がピクリと震えた。


 依然として碌に整えられていない眉である。


「話を聞いて下さるんですか?」


「こちらが無関係じゃないというのは、どういうことだ?」


「それはもう、若旦那が勤めている店の一大事ですから!」


「……わかった、話を聞いてやる」


「あ、ありがとうございますっ」


 フツメンが頷くのに応じて、親分はつらつらと喋り始めた。


 西野がバイトに励んでいるメイドカフェが、彼らの組織の末端にあることは、以前にも耳にした通りであった。そして、ヤクザ者の言葉に従えば、更にはこうして建っているビルや土地もまた、彼らの所有物なのだという。


 ただし、その権利を巡っては諍いが発生しており、他所の組織と揉めているとのこと。しかも困ったことに、彼らはかなり不利な状況におかれているらしく、近い内に権利が他所に渡る可能性があるとの話であった。


 建物や土地が他所に渡れば、当然、メイドカフェも営業停止である。


 そのような説明が、親分からフツメンに対して行われた。


「そこでどうか、若旦那に助けてもらえたらと……」


「どうしてアンタらの利権争いに、こっちが巻き込まれなければならないんだ? 勤め先がなくなるのは困る。しかし、それとこれとは話が別だ。こちらにはアンタらの利権を守ってやる義理は何もない」


「っ……」


 ジッと親分を睨みつけて、西野は語ってみせる。


 相手は床に這いつくばったまま、顔色を青くさせた。


「権利が移った後に、先方と店の存続を交渉する方が遥かに容易だ」


「いえいえ、連中はここをオフィスビルにしようとしているようで」


「この辺りも再開発が進んでいるからな」


「そ、そうでしょう? そうなったらこの店も……」


「それならそれで、地上フロアだけメイドカフェとして残すという手もある。そのような店舗、都内ならいくらでも見つけることができるだろう? わざわざ要らぬ喧嘩に首を突っ込んで、無駄に苦労するヤツの気が知れない」


「…………」


「そもそもアンタのところなら、わざわざ他所に頼るまでもないんじゃないのか? メンツの問題もあるんだろうが、それでも上に泣きついた方が、遥かに安くつくだろう。こんな時代だからこそ、他所に頼るのは控えたほうがアンタたちの為だ」


「それが今回は相手が面倒というか、組同士とは毛色の違うんですよ」


 西野からの言葉を受けて、親分は泣きそうな表情だ。


 非常に強面な人物であるから、悲観に暮れる姿も恐ろしく映る。対応する西野が典型的なもやし体型の少年であることも手伝い、これを近くで眺めるオーナーなど気が気でない。両者の力関係を理解して尚も、脳裏にはフツメンの殴り飛ばされる姿が浮かんだ。


 そうこうしていると西野の端末がブブブと震え始めた。


 どうやら通話の着信のようだ。


「ちょっと待っていろ」


 大野に短く呟いて、彼はディスプレイを確認する。


 するとそこには五十嵐の名前が表示されていた。


 フツメンにとっては、待望のコールである。


「もしもし、俺だ」


 間髪を容れずに応じた彼は、意気揚々と声を上げる。


 既に親分の姿など眼中にない。


 端末に向き合う様子は心なしか嬉しそうだ。


 居合わせた面々は、そんな彼の姿を黙ってジッと見つめている。


『西野君、いきなり電話しちゃって、ごめん』


「いいや、なんら構わない。ところで何の用だ?」


『その、なんていうか、今日ってお店まで来れたりする?』


「バイト先か? それならもう既にいるが……」


『……え?』


 電話越しに五十嵐の素っ頓狂な声が届けられた。


 直後にドタバタと、ホールの方から人の駆ける足音が聞こえてくる。自ずと面々の意識は廊下に通じるドアに向かった。すると間髪を容れずにドアが開かれて、通路からメイド姿の女性が姿を現した。


 自称サバサバ系だ。


 その手には通話状態の端末が握られている。


 おかげで親分や子鉄の存在を隠す暇もなかった西野だ。廊下から聞こえてきた足音を理解して、咄嗟に部屋のドアの鍵を閉めようと一歩を踏み出すも、直後にドアは開かれて、五十嵐が顔を出した。


「あ、本当だ……」


「どうした? そんなに慌てて」


「っ……」


 彼女は室内の様子を目の当たりにして身体を強張らせた。


 原因は西野の足元、今も土下座を継続するヤクザ者の姿である。子鉄と共に二人で仲良く並んでいる。壁際には背筋を正して立つオーナー。これに対して西野は、普段職場で接する際と変わらず、彼女に対して飄々と問い掛けてみせる。


 平然を装い、すっとぼける作戦だ。


「あの、に、西野君、もしかして私ってお邪魔だったり……」


「いいや、構わない」


「え、でも……」


「この者たちはオーナーの知り合いだ。俺には関係ない」


 西野はヤクザ者たちの存在を隠すことを諦めた。


 それでも頑張って無関係を装ってみせる。


 また、これ以上は職場の人間に見られないようにと、五十嵐の背後で開きっぱなしになっていたドアを閉めて、カチャリと鍵を掛けた。内側から鍵を掛けると、部屋は廊下側から開けることは不可能となる。


 一方で床に佇む親分の双眸は、ギョロリと五十嵐を捉えた。


 睨みつけられた彼女は、短く声を上げてブルリと身体を震わせる。真っ白なスーツに開襟シャツといった出で立ちは、どこからどうみてもヤクザ屋さんだ。西野との力関係は理解している筈の彼女だが、それでも膝の震えは止まらない。


 そうした二人の反応を確認して、フツメンからは叱咤の声が飛ぶ。


「おい、職場の人間を威嚇するな」


「っ……す、すいません」


 親分の頭はすぐに下げられて、元の土下座の体である。


 それなら自分たちのことも威嚇しないで欲しい、とは大野の素直な思いだ。しかし、それを口にしては店から追い出されそうなので黙っておく。事情を知らない子鉄に至っては、ただただ黙って頭を下げるばかり。口を開こうものなら拳骨必至の状況だ。


 おかげで自称サバサバ系はガクブルである。


 それでも彼女は勇気を出して、続く言葉を口にした。


「に、西野君に相談したいことがあって……」


「なんだ? 俺なんかでよければ相談にのるが」


「ここ最近、変な人たちから嫌がらせを受けてて……」


 気になる女の子から頼りにされる、そんな憧れのシーンに遭遇して、フツメンの気分はここぞとばかりに盛り上がりを見せる。これは格好いいところを見せねば嘘だろうと、シニカルな部分がビンビンに刺激された。


「言ってみるといい、俺でよければ力になろう」


「……本当?」


「ああ、本当だとも」


 少し格好つけつつ、即答してみせるフツメン。


 その様子を確認して、五十嵐は内心ほくそ笑む。今週末にでもデートに誘い、股を開きつつ反応を探ろうとしていた彼女だ。これなら一発ヤレば、すぐにでも彼氏面をし始めて、こちらの相談に乗ってくれそうだと。


「しかし、嫌がらせとは具体的にどういったことだ?」


「家のポストに悪戯されてたり、インターホンを押されたりなんだけど」


「ストーカーか……」


 若い娘が客商売をしていれば、そういったこともあるだろうと、西野は対処方法について考えを巡らせ始める。こちらのメイドカフェはオープンして数日、そうなると怪しいのは以前の勤め先の客か、とかなんとか。


 そんな彼に横から声を掛けたのが、床の上の親分だ。


「若旦那、流石にそれを素直に信じるのは怪しいですぜ」


「……アンタ、まだ喋るのか?」


「その女の付けているアクセサリーや靴、どれも高級ブランドですよ。こんな店でバイトをしている女が、そう簡単に買えるようなものじゃないんです。ここがソープやキャバクラだっていうなら、また話は変ってくると思いますが」


 親分の指摘に従い、西野の意識は彼女の身体に向かう。


 しかし、陰キャな彼は女物のブランドなど碌に知らない。パッと見た限りでは、それがどれほどの価値があるものなのか、まるで目利きができなかった。もしもこれが竹内君であれば、指摘を受けるまでもなく疑問に思ったことだろう。


「頑張って貯めた金で買ったものかも知れないだろう?」


「アクセサリーはまだしも、その靴、本物なら十万近くしますよ? フリーターがホール仕事で履きつぶすには、いささか高価過ぎやしませんかね? 女が可愛いのは分かりますが、もう少し冷静に物事を見るべきかと」


「だが……」


「その女、多重債務者なんじゃないですか?」


「っ……」


 大野の言葉を受けて、五十嵐の肩がビクリと震えた。


 その顕著な反応を目の当たりにして、西野もまた続く言葉を失った。彼女がバイトを転々としていることは、これまでの交流からも理解している彼だ。懐事情も然り。これに親分の指摘に対する反応が相まっては、庇い立てすることも難しい。


 そうなると嫌がらせ云々についても、些か毛色が違ってくる。


「……そうなのか?」


「ご、ごめん、もしかして軽蔑した?」


「いいや、軽蔑はしないが」


「本当?」


「ああ、本当だ」


 ここぞとばかりに、上目遣いで西野を見つめてみせる自称サバサバ系。メイド服という姿格好も相まって、これがなかなか可愛らしく映った。女慣れしていないフツメンにとっては、これまでの距離感も手伝い魅力的に見える。


 おかげでこれを眺める親分は気が気でない。目の前の人物が悪い女に騙されたら、どれだけ周りが迷惑を被ることか。考えただけで背筋が冷える思いだ。どうか下手に転がらないでくれと、祈るような眼差しで西野を見つめている。


「嫌がらせをしてくるのは、金を借りた先の人間か?」


「うん、たぶん……」


「ならば弁護士に相談するべきだろう。その手の行為は違法だ。法整備の遅れていた一昔前ならいざしらず、近年であれば恐れる必要はない。然るべき手立てを取れば、相手も手を引くことだろう。費用は数万、電話一本で解決する問題だ」


「そ、それがその、弁護士には相談したんだけど……」


「まさか断られたのか?」


「……うん」


 弱々しさを前面にアピールしつつ、五十嵐は頷いてみせた。


 金融窓口での恫喝に怯えた彼女は、昨晩のうちに何件か、弁護士に電話で連絡を取っていた。しかし、相談を持ちかけた先からは全て、依頼を断られていた。理由は彼女がお金を借りた店の背景と、これに対する本人の意志にある。


 彼女がお金を借りた先の幾つかは非合法な店舗で、その額も三桁近いものであった。これに対して、元金も含めて支払いを拒否したいと主張する彼女の存在は、弁護士にとって非常にやり難いものだった。


 仮に法廷で勝利したところで、彼女が何かしらの面倒事に巻き込まれるのは目に見えていた。下手をすれば対応に当たった弁護士も、これに巻き込まれかねない。また、顧客が傷害事件に巻き込まれたとなれば、事務所の評判にも関係してくる。


「どこからどの程度借りたんだ?」


「えっと……」


 西野に促されて、自称サバサバ系は幾つか店名を伝えてみせた。


 そこには親分も覚えのある名がちらほらあった。


 自ずとその口が動く。


「お嬢ちゃん、もしかして五十嵐ナツキって名前じゃないか?」


「えっ……」


 ドンピシャだった。


 見知らぬヤクザ者から名前を当てられたことで、その顔色が一変して青白くなる。西野に向かいすり寄っていた歩みが、反射的に半歩ばかり部屋の外に向かい後ずさった。驚愕に見開かれた目が親分を見つめる。


 これには西野も反応を示した。


「どうしてアンタが彼女の名前を知っている?」


「今挙がった名前のなかに、うちの店もあるんですよ。しかも借りて早々、元金ごと踏み倒そうとしている元気な女がいると、自分まで話が上がっていましてね。若いし見栄えは悪くないってんで、近い内に動かす段取りになってたんですが」


「っ……」


 大野の話を耳にして、自称サバサバ系の顔色が殊更に悪くなる。


 気付けば膝はガクガクと震え始めていた。


「客など相当な数だろうに。若頭のアンタがいちいち覚えているものか?」


「弁護士に相談して断られたっていう話に、ピンときたんですよ。あとは店のカメラの映像をちらっと確認していたんで、それと併せてですかね。二十歳そこそこってことで、十年はしゃぶれるだろうと」


「……そうか」


 大野の説明を受けて、西野は納得して見せた。


 一方で荒ぶるのが自称サバサバ系である。まさか自身のお風呂行きが、勝手に決定していたとは思わない。彼女は相手がヤクザ屋さんであることも忘れて、恐怖と怒りから声も大きく訴えてみせた。


「違法な店から借りたお金は返す必要がないって、ほ、法律で決まっているのよ!? 裁判でもそういうふうに判決が出ているんだから! 私は別に悪いことなんてしていないし、お金を返す必要もないのっ!」


「たしかにそのとおりだ、お嬢ちゃん」


「だ、だったらっ……」


「けど、それは法律の話だ。世の中には法律を守らない悪いやつも大勢いる。そういう相手から結構な額を借りて、元金さえ返さずに踏み倒そうっていうなら、どういった将来が待っているか、少し考えれば分からないかね?」


「それなら、け、警察に行くからっ!」


「ここの店のオーナーも、なんだかんだで店を任せてはいるが、元々は借りた金が返せなくて泣きついてきた口だ。金を返す為に色々とやってきたおかげで、今じゃ警察に泣きつくこともできねぇ。そうやって悪いヤツは貧乏人を追い込んでいくんだ」


「えっ……」


 自称サバサバ系の頬が強張る。


 巻き添えを喰らったオーナーは涙目だ。同時に西野は今更ながら、些か威力的であった採用面接の背景を理解した。年齢の割に明るく染められた髪も然り。どちらかというと大野や子鉄に近しい立場の人間であったのだろう。


 これにニヤリと笑みを浮かべて親分は続けた。


「それに警察は被害があってからじゃないと動かないんだよ。ストーカー被害くらいじゃ、少し身辺を警護して終わりだ。法改正後はこのあたりの流れも急になった。碌な取り立てもなしに動く。やり方も薬を使ったり男を使ったりと回りくどい」


「…………」


「手を動かすのは組とは何の関係のない人間だ。取り締りがキツくなった分だけ、最近は分業が進んでる。ヤクザは数こそ減ってるが、決して悪いヤツが減ってる訳じゃない。悪いヤツは死ぬまで悪いままだ。減った分だけ他所に回っているんだよ」


 大野が薀蓄を垂れるごとに、五十嵐の口数は減っていく。


 口調からも勢いが失われる。


「しかも一度流れた個人情報は、名簿になって色々な店と共有される。住所や連絡先以外にも、金を借りる時に喋っていた話まで吸い上げられて、悪いヤツらの間で取引されているんだな」


「あの、そ、それじゃあ……」


「金を返さない限り、お嬢ちゃんの未来はお先真っ暗だ」


「っ……」


 やがてその表情は愕然としたものになった。


 がくりと肩が落ちて、頭も足元を見つめるように俯く。


「状況は理解した」


 一連のやり取りを眺めて西野が呟いた。


 その視線が大野に向かう。


「それで、アンタは俺に何が言いたいんだ?」


 挑むような表情で親分に語ってみせる。


 細い細いと評判の目元を更に細めて、本人は睨みを利かせたつもり。


 やたらと眩しそうな表情だ。


「そちらのお嬢さんの借金ですが、自分なら全部なかったことにできます。代わりと言ってはなんですが、若旦那にはこちらの頼みを聞いてはもらえないかと。名前を貸してくれるだけでも構いやせん」


「馬鹿を言うな。それなら借り入れた金を支払う方が遥かに安上がりだ」


 マーキスやフランシスカが相手であっても、名前を貸した覚えは一度とない西野である。ほとんど面識もないヤクザ者に貸してやる気にはなれなかった。碌でもないことになるのが目に見えている。


「その女はこれからも繰り返しますよ?」


「それを判断するのはアンタじゃない」


「一度でも借金に慣れて、しかもこうして第三者の好意から助けられようとしている。そんなクズ女は、今後幾らでも金を借りて、また同じ目に遭うようにできているんです。だからこそ名簿なんてものが存在している」


「だったら何だというんだ?」


「自分なら店の間に広がった名簿から、その女の名前を消すことができます。破産する可能性を多少なりとも下げられます。それと併せて、この辺りで暮らしている限り、こっちから連絡がいくようなこともなくなります。店の方で金貸しを断ることも」


「…………」


「どうですかね?」


 これまでのやり取りとは一変して、親分は強気に語ってみせた。


 土下座の姿勢のまま、顔を上げてフツメンを見つめている。


 こうなると断れないのが西野である。五十嵐に対して大きな口を叩いてみせた手前、今更になって断るのは格好が悪い。なにより大野の辛辣な語りっぷりは、もしも本当なら彼女の生命にも関わりかねない状況である。


 過去にも幾度となく女に騙されてきたフツメンだ。今回ももしかしたら、とは思わないでもない。しかしながら、それでも既に彼女の存在は西野にとって、職場という名の自らのテリトリーに収まっていた。


 昨日、皿洗いの最中に頂戴したチョコレートの甘みが、口内に蘇る。


 同時に思い起こしたのは、唇に感じた異性の指先の感触。


「いいだろう、話だけは聞いてやる」


「……ありがとうございます」


 たとえ騙されていたとしても、その分は働こうとフツメンは考えた。


 どこぞのギタリスト曰く、ロックというやつである。


 対して親分は立ち上がり、深々と頭を下げて綺麗なお辞儀をしてみせた。









---あとがき---


2019年3月27日発売の「月刊コミックアライブ」5月号より、本作のコミカライズがスタートします。担当して下さるのは「しのはらしのめ」先生(@Sinome_S)です。皆さま、どうか何卒よろしくお願いいたします。


ご案内:https://comic-alive.jp/magazine/next-magazine.html

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