職業体験 五
同日、問題は二日目のカリキュラムを終えた帰り際に起こった。
帰路につかんとした皆々の向かう先、病院の正面エントランス付近が人でごった返していた。目に付くのは業務用と思しき大きなカメラの並びである。それが大勢の人に紛れて、そこかしこに見受けられた。
報道関係者であることは、誰もが一見して判断できる。
「え? なによあれ……」
「うわすごっ、めっちゃカメラとか来てない?」
いの一番に声を上げたのは委員長とリサちゃんだ。
他方、その表情を曇らせたのが竹内君である。院内の事情に通じている彼は、どういった理由でカメラが構えられているのか、容易に判断することができた。つい昨晩、予期せず耳にしてしまった不穏な単語が脳裏を過る。
同時に思い起こされたのは、自身の身に起きた不可思議な現象だ。
「……悪い。ちょっと俺、用事ができたわ」
短く呟いて、イケメンは踵を返した。
顔色を悪くした彼は、報道のカメラから逃れるように、もと来た通路を駆け足で戻っていく。居合わせた面々は、その様子を目の当たりにして首を傾げるばかり。傍目には急な腹痛を受けて、トイレにでも向かったかのように思われた。
そうした彼ら彼女らに対して、第三者からの声が響く。
「医療ミスで死傷者が出たというのは本当ですか?」「看護師による投薬の誤りが原因との話ですが、事実関係はどうなっているのでしょうか?」「告発によれば、極めて単純な取り違えとのことで」「こちらの代表者の方をお願いします」
矢継ぎ早に繰り返される問答はとても賑やかなものである。
病院のエントランス付近は人気に溢れていた。
報道関係者の正面には、制服を着用した警備の担当者が集まり、必死の形相でバリケードを築いている。しかし、カメラを構えた者たちはこれに負けじと、ジリジリ距離を詰めて内に迫っている。
おかげで居合わせた患者は困惑するばかりだ。
「医療ミスってマジかよ」
剽軽を忘れた剽軽者が、素から驚いた様子で呟いた。
自ずと竹内君の去っていた方に意識が向かう。
報道関係者はエントランスを行き交う人々に対して、手当たり次第に声を掛けていた。あちらこちらでカメラが光っている。このまま進めば彼ら彼女らもまた、同じように声を掛けられることは想像に難くない。
そうした中で取り分け顕著な反応を示したのが委員長である。
「あの、わ、私もちょっと行ってくる!」
クルリと回れ右をして、勢いよくパタパタと駆け出した。
彼女の脳裏に浮かんだのは、本日の昼休み、関係者以外立ち入り禁止の区画で遭遇した出来事である。実習の最中に胸を揉んできたチンピラ男が、どこへとも怪しげな電話をしていた。その光景を思い起こしてのことである。
「ちょ、委員長! 行くってどこに行くのっ!?」
その後を追いかけてリサちゃんが続く。
後に残されたのはローズ、ガブリエラ、剽軽者の三名だ。一体何をやっているのか、昼休み前に姿を消した西野は、以降も研修の場に戻ることがなかった。おかげでローズとガブリエラは機嫌がよろしくない。
そして、ここへ来てローズのスカートのポケットで端末が震えた。
「お姉様、ここかラ外に出るのは大変そうですが……」
「悪いけれど、私も野暮用ができたわ」
「お姉様?」
端末のディスプレイを眺めて、ローズが呟いた。
そこには通話の着信を知らせる案内と、フランシスカの名があった。まさか偶然とは考えられない。監視対象である竹内君とも別れてしまった手前、これを無視して動く訳にはいかない彼女だ。
「ここで失礼するわね」
彼女もまたエントランスとは反対に向かい、足早で歩いていく。
その姿は廊下の奥に消えて、すぐに見えなくなった。
おかげでつまらないのがガブちゃんだ。
「……また置いてけぼリです」
ここ最近、どうにも影の薄い彼女である。西野の近くに身をおいて、何かとアプローチも欠かさない。ライバルであるローズに対する牽制も忘れず、相手が一歩を踏み出さんとすれば、これに躊躇なく能力を振る舞う。
しかし、恋敵も似たような戦法を取っている為、お姉様との交流こそ増えても、西野との接点は変わらず。部活動の一件から、二人の関係は依然として変化が見られない。その点は本人もまた、もどかしく感じていた。
「あ、あの、ガブリエラさん……」
「なんですか?」
困った顔のガブリエラに剽軽者が声を掛けた。
予期せず隣のクラスの人気者と二人きり。職業体験の最中も一度として言葉を交わした覚えのない彼は、ここへ来て初めて彼女と会話の機会をゲットである。おかげで多分に緊張した面持ちとなっての語り掛けだ。
「こっちからだと外に出るときに嫌な思いをしそうだし、う、裏口から外に出られないか、病院の人たちに聞いてみない? ちゃんと事情を説明すれば、従業員用の出入り口から出られると思うんだけど」
「一人で帰ルのはつまラないです」
「え?」
「私も、もう少し探検します」
しかし、そうした剽軽者の思いも虚しく、彼女もまた踵を返した。
その歩みは彼に構うことはない。他の面々が去っていったのと同じように、フロアの奥に向かい軽い足取りで去っていく。大勢の人が行き交うエントランス、ガブリエラの姿はすぐに人混みに紛れて見えなくなった。
「…………」
後に残された剽軽者、一人で裏口を探すことにした。
◇ ◆ ◇
エントランスを発った委員長は、その足で病棟に向かった。
昨日、足湯の実習を行った病室が収まるフロアだ。
彼女が目当てとする人物は、その近隣の病室で寝起きしている筈であった。先日の忌々しい出来事を思い起こしつつ、当たりを付けた上での捜索である。すると志水が想定したとおり、ターゲットは一つ隣の病室にいた。
他所の大部屋と同様、大きめの居室にベッドが六つ並んでいる。その内の一つが彼の入院先のようである。ベッドに横となり、売店で購入したと思しき雑誌を読んでいる。片腕を吊っていながら器用なものである。
「っ……」
その姿を確認したことで、委員長の内にぶわっと苛立ちが湧いた。
自ずとその足は男の下に向かい動く。
もしもリサちゃんが付いて来ていたのなら、腕を掴んででも止めたことだろう。幾ら何でもそれは危ないと。相手は見るからに粗暴な外見をしている。しかし、残念ながら彼女は途中で委員長の姿を見失っていた。
病院内という状況が、志水に一歩を踏み出す勇気を与える。
施設の随所にはナースコール。
更に患者や関係者の視線がそこかしこにある。
地の利は自らにあると考えての突撃だ。
ローファーの床を叩くツカツカという音が、普段よりも大きく響く。委員長の堪えている怒りが、一歩を踏み出すにも拍車を掛けていた。やがて、その歩みがベッド脇まで移動したところで、彼女は声も大きく語り掛けて見せる。
「ねぇ、ちょっといいかしら?」
「……昨日のガキかよ」
男が雑誌から顔を上げると、その瞳に志水の姿が映った。
「貴方に話があるんだけれど、来てもらえない?」
「なんだよおい、また胸を揉んでもらいたいのか?」
「っ……」
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて、男は手をワキワキと動かしてみせる。その視線は委員長の胸や太ももに向けられて止まない。セクハラ行為が日常生活に溶け込んで思える言動であった。
その様子に鳥肌を浮かべつつも委員長は続ける。
昼休み、関係者以外立ち入り禁止の区画で拾ったビニール片。スカートのポケットに入れっぱなしとなっていたそれを取り出すと、彼女は男の正面に掲げてみせた。小さなプラスチック性のパックに、スポイトのようなものが入れられている。
「これ、見覚えないかしら?」
「っ……」
彼女が掲げたパックを目の当たりにして、男が反応を見せた。
ギョッとした表情でこれを見つめる。
そうかと思えば、慌てて取り繕うように口を開いた。
「はぁ? なんだよそれ。知らねぇよ、ゴミか?」
「貴方が落したんじゃないの。指紋だって付いているんじゃない?」
「こっ……」
続けられた委員長の文句を耳にして、男の顔が怒りに歪んだ。
一連の反応を確認して、彼女は手応えを感じていた。
やはりこの乳揉み男は怪しいと。
ただ、具体的に何がどのように怪しいのかは分からない。そもそも自分が手にしているのは何なのか。本当にエントランスの騒動と関係があるのか。この期に及んでも未だ疑問は尽きない委員長である。
そうした経緯も手伝い、病室で話題に触れることは彼女も抵抗が大きかった。大部屋となる病室には、他に幾つもベッドが並んでおり、患者の目も沢山ある。万が一にも勘違いだったらと考えると、人気の多い場所で指摘の声を上げることは憚られた。
賢い委員長は名誉毀損という単語を知っている。
「ちょっと話をしたいのだけれど」
「……そんなに俺と話がしたいなら付いてこいよ」
男がベッドから腰を上げた。
サンダルを引っ掛けるようにして履き、ペタペタと歩き始める。
委員長は促されるがまま、その背を追い掛けた。
二人が向かった先は、病院内でも取り分け人気のない、関係者向けの非常階段だった。最上階は屋上に通じており、最奥は屋外に通じる鉄扉が設けられている。患者には開けることができないので、事実上の袋小路だ。
その正面に並び立ち、委員長は男と向き合っていた。
「こ、こんなところまで連れてきて、なんのつもりよ?」
「話があるって言ったのはそっちだろう?」
「ここだって、びょ、病院の中なんだからね? もしも変なことをしたら、大声で叫ぶから、か、か、覚悟しておきなさいよねっ! スマホだって、すぐに警察を呼べるようになってるんだから」
少し歩いたことで、怒りに代わって恐怖が芽生えつつある委員長だった。相手は身体の随所に入れ墨を入れており、耳には多数のピアス穴という、典型的なチンピラ然とした姿恰好をしている。
薄暗い同所で眺めると、病室で眺めるより恐ろしさが三割増だった。
片腕を吊っている姿に弱みを感じていた彼女だが、周囲から人気が引いてみると、これはこれでなかなか恐ろしいものだと理解した。また本日は、いつぞやのリサちゃんに相当する守るべき相手も存在しない。精々自身の貞操くらいだ。
おかげで語る言葉にも勢いが失われて思われる。
「ふぅん?」
彼女の威嚇を受けても、男は意に介した様子がない。
ニヤニヤと笑みを浮かべるばかりだ。
「それで俺に話ってなんなの?」
「……病院の出入り口にテレビ局が来てるの、アンタのせいでしょ?」
「はぁ? なんでそうなるんだよ?」
「医療ミスとか言ってたけど、ア、アンタがやったんじゃないの?」
「…………」
人気も多い病院内、仮に何かしら男が問題行為を起こしても、すぐに人が駆けつけてくれるだろう。委員長はそのように考えて、同所に臨んでいた。万が一、男が暴れだしたとしても、院内であればきっと大丈夫だろうと。しかも相手は片腕を吊っている。
しかしながら、男は彼女が考えていた以上に凶暴だった。
「ちょっと、なんとか言いなさいよ!」
「……だとしたら、なんだって言うんだよ?」
次の瞬間、その身体が委員長に向かって動いた。
勢い良く腕が動いたかと思いきや、その手が彼女の手首を掴み上げる。志水は咄嗟に金的を狙うも、お互いに身体が接するほど近づいていた為、また、相手の太ももが筋肉質であった為、十分な威力を伴わなかった。
コリッと玉の擦れる不快感を受けて、男の顔にシワが寄った程度だ。
「この女っ!」
直後に放たれた頭突きが委員長の額を強打する。
「いっ……」
「ぐっ……」
結果は痛み分け。
男の顔に苦悶の表情が浮かぶ。
委員長は石頭だった。
また一つ、己の武器を発見した彼女である。
「は、話しなさいよっ! この変態っ!」
「そいつを寄越せ!」
「冗談じゃないわっ! 誰が渡すもんですかっ!」
ああだこうだと騒々しくしながら、くんずほぐれつし始める。拮抗していたのは、ほんの僅かな間である。片や荒事に慣れた破落戸であり、これに対するのは金的頼みの現役女子高生だ。
腕を掴まれた時点で、自然と前者が後者を追い詰めていった。
階段の踊り場スペースの壁を背後に追い詰められた委員長は、そのまま為す術もなく、床に押し倒されてしまった。その腹部へ男が馬乗りになれば、もはや挽回することは不可能である。
だがしかし、男も治療中の腕が痛むのか、額には脂汗がびっしりと浮かんでいる。その事実が委員長の負けん気を辛うじて繋げた。自分も辛いが相手も辛いのだと考えて、決して負けるまいと奮闘してみせる。
「昨日揉んだときにも思ったけど、ガキの癖にデケェな」
「こんなことして、ただで済むと思ってるのっ!?」
「逃げるに決まってるだろ?」
「そんなの無理よ! できっこないわっ!」
「こっちだって伊達や酔狂で腕の骨を折ってねぇんだよ」
男の膝が動いて委員長の片腕を抑える。
空いた片手が志水の握るビニールのパックに伸びた。
彼女は必死に腕を伸ばして、これを取られるまいと抵抗を試みる。
その直後の出来事だ。
キィンという甲高い音と共に、屋上に続くドアが開かれた。
屋外から冷たい風が入ってくる。すぐ正面の踊り場で争っていた二人の意識は、自ずと開かれた鉄扉の先に向かった。視界に入ったのは、何故か切断されて落ちたドアのロックと、その先に立った人の姿である。
「女を押し倒すなら、もう少し柔らかいベッドを用意したらどうだ?」
西野である。
制服姿のフツメンが悠然と立ち、二人を見下ろしていた。
両手はもれなくズボンのポッケにインである。
「な、なんだこのガキっ……」
予期せぬ乱入を受けて、男の表情が驚きに変わる。
すぐ近くに落ちたドアロックの欠片を受けてのことだろう。その断面は機械式の断裁機で切断したかのようにツルツルとしている。とてもではないが人の手によるものとは思えない切り口だ。
一方で委員長の二の腕には鳥肌が立った。
それもこれもフツメンの格好つけた台詞が原因だ。
「に、西野君!? どうしてこんなところにいるのよっ!」
「その男を追っていたのだが、どうしても証拠が手に入らなくてな。さてどうしたものかと困っていたところ、予期せず委員長が現れた。そのスポイトからは恐らく、今回の医療ミスに繋がる何かしらの反応が出ることだろう」
「いや、だ、だからそういうことを聞いたんじゃなくて……」
西野アレルギーに肌をブツブツとさせつつ吠える。
本人の意志はさておいて、肉体は勝手に反応してしまう。それは住まいの騒音問題から、特定の音源に動悸を激しくさせるようなものである。もはや本人の主観の及ばないところで、西野のシニカルに侵食されつつある委員長だった。
「だったら何だというんだ?」
「どうしてこの男を追ってたのかって聞いてるのっ!」
腹部に男の尻の体温を感じつつ、彼女は吠える。
そのメンタルはギリギリ一杯だ。
「……知り合いに情報のリークがあった」
「え?」
「委員長はまだ確認していないのか? 下に報道関係者が集まっている」
「いやだから、どうして西野君がそれを……ううん、もういいわよ」
卒業旅行での一件を思い起こせば、そういうこともあるのかも知れないと考えて、委員長は続く言葉を控えた。これ以上はどれだけ訪ねても、きっと教えてくれないのだろうと、内心独り言ちての判断だ。
実際には黒ギャルと柳田が攫われた一件を受けて、その報復を企む一部のグループが、竹内君の父親が理事を務める病院に目をつけた、というのが経緯だった。竹内君の顔と素性は、読者モデルを担当した雑誌から割れていた。
結果、作為的な医療ミスと、報道関係者の集合である。
その動きが本日の昼の時点で、マーキスから西野に伝わり、現在へと繋がっていた。犯人の顔が割れており、後は証拠を挙げるだけのフツメンであった。ただ、それがいつの間にやら、委員長の手により回収されていた。
「……今日の午後、研修を留守にしてた理由ってこれなの?」
「何かないかと探していたが、委員長が持っているとは思わなかった」
「…………」
座学が不服でサボったものだとばかり考えていた委員長だった。
おかげで少し申し訳ない気分である。
他方、そうした二人のやり取りを受けて声を荒げるのが、委員長に馬乗りとなった男である。今の今まで追い詰められていた彼女が、急に勢いを取り戻したことを受けて、その様子が気に入らないとばかりに荒ぶる。
「オマエらいいから黙れっ!」
懐からナイフを取り出して叫んだ。
その切っ先が容赦なく委員長の首元に向けられる。
僅かばかり触れた切っ先が、薄皮を浅く割いて赤いものを滲ませた。
「ガキが一人増えたくらいで何ができっ……」
続く台詞は最後まで言葉にならなかった。
キィンと乾いた音が響いたかと思いきや、その刃が根本から折れて、明後日な方向に飛んでいった。壁に当たり床に落ちたそれは、カラカラと滑り、階段から階下に向かって小気味良い音と共に落下していく。
「悪いがその女は、アンタにくれてやれるほど安くはない」
西野の口からこれでもかとシニカルが溢れる。
委員長の手前、どうしても格好つけてしまうフツメンだった。
おかげで彼女の二の腕では鳥肌が広がり続ける。
「なっ……なんだよ、おい……」
これに対して男は素直に驚いてみせた。
その目を丸くしていた。
ナイフの刃が折れた因果関係は定かでない。
ただ、それが目の前の少年による行いあることは、彼にも理解できた。
そうした振る舞いがフツメンを更に調子付かせる。
「委員長、少し目を瞑っていて欲しい」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 何をするつもりなの!?」
「いささかショッキングな光景が待っている」
「っ……」
これでもかともったいぶった西野の台詞を受けて、二の腕に収まっていた委員長の鳥肌が、背中にまでぞわぞわと範囲を拡大していく。同時に危ういところを救われたという事実が、その心に安堵と喜びを与える。
おかげで極めて複雑な志水のメンタルである。
気持ち悪がればいいのか、感謝すればいいのか。
気持ち悪がりつつ感謝できるほど、彼女は処世術に長けてはいなかった。
委員長はとても素直な女である。
◇ ◆ ◇
ところ変わってこちらはローズとフランシスカの二人組。
無事に後者と合流した前者は、彼女と共に病院内を駆け足で移動していた。目的は毒竹内君の確保である。また、もしも彼の口から異能力の存在が漏れていた場合には、その秘匿も合わせて行わなければならない。
「まったく、どうして一人で行かせちゃうのよ!」
「仕方ないじゃないの、勝手に駆け出して行ってしまったのだから。言っておくけれど、私はちゃんと釘を差したわよ? そもそも近くに報道のカメラが並んでいるような状況で、無茶な真似はできないわ」
「本当かしら?」
「それに私にとって、あの毒虫は不安の種以外の何物でもないの」
「……まあいいわ。今はその話は置いておきましょう」
彼女たちは竹内君の姿を求めて、病棟の各フロアを探していく。
しかし、これがなかなか見つからない。
「ところで今回の騒動の原因、本当にアレなのかしら?」
「それはまだ調査中よ」
「ふぅん?」
めぼしい場所を一通り確認した彼女たちは、一つ上の階に向かうべく、その歩みを非常階段に向けた。多くの病院がそうであるように、院内のエレベータはいずれも混雑している。階段の方が早く移動できた。
防火扉を越えて、駆け足でステップを駆け上がる。
そうした只中のこと、不意に上の方から人の声が聞こえてきた。
「は、話しなさいよっ! この変態っ!」
委員長の声である。
耳に覚えのある響きを受けて、二人の歩みが止まった。
「……どこかで聞いたような声ねぇ」
「私は知らないわね」
「本当にローズちゃんって友だち甲斐がないわよね」
「優先するべきはターゲットの確保ではないかしら?」
「クラスメイトなのだから、一緒にいるかも知れないでしょう? そうでなかったとしても、彼の居場所を知っている可能性があるわ。そう大した手間ではないから、確認するだけ向かいに行きましょう」
延々と続く階段の上の方を見上げてフランシスカが言う。
これに渋々といった様子で、ローズもまた顎を上げた。
するとどうしたことか、頭上を見上げた金髪ロリータの額に向けて、上から何かが降ってきた。それは彼女が反応するよりも早く、サクッと額に突き刺さる。予期せぬ激痛が彼女の肉体を襲った。
「っ!?」
西野が切り飛ばしたナイフの刃が、ローズを直撃である。
これにはフランシスカも驚いた。
もう少しズレていたら、自身に当たっていたかも知れない一撃だ。刃先は頭蓋骨にめり込んで、顔面に対して立つように刺さっている。まるでダーツの矢でも突き刺さったかのような有様だった。
「ロ、ローズちゃん……」
「……あの女、なんのつもりかしら」
顔を血で真っ赤に染めながら、ローズは鬼のような形相で語ってみせる。
ここ最近、西野が格好つけると、だいたいローズが損をする。
「さっさと行くわよ? このままでは収まらないわ」
「え、ええ、そうね。そうしましょう」
ローズは額に刺さったナイフの刃を勢いよく抜いた。
プシッと吹き出した鮮血が、階段の壁を赤く染める。飛沫の一端がフランシスカのスーツを汚した。これに何ら構うことなく、金髪ロリータは今まで以上の勢いで、階段を上に向かい登り始めた。
その般若のような表情を目の当たりにしては、フランシスカも素直に頷いて続く他にない。スーツが汚れてしまったことに対する非難の声を飲み込んでの追従である。こうなるとローズの扱いは大変だ。
それから二人は駆け足で階段を昇った。
辿り着いた先は、屋上に通じる階段室の踊り場である。
その手前に身を潜めて現場の様子を窺う。
「あらぁ? どうして【ノーマル】が一緒なのかしら」
「ナイフはあの男の持ち物のようね……」
二人が見つめる先、西野がチンピラ風の男に向かい一歩を踏み出した。
その様子を目の当たりにして、委員長が声も大きく吠える。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 何をするつもりなのっ!?」
「いささかショッキングな光景が待っている」
「っ……」
志水の手には以前としてスポイトの収められたビニールパックが握られている。そして、粗暴な姿恰好の男がこれに向けて、必死に腕を伸ばしていた。そうした二人を傍らに立って見下ろすのが西野である。
僅かなやり取りながら、二人は現場がどういった状況にあるのか、多少なりとも理解した。次の瞬間にでも男の首が飛ぶだろうとは想像に難くない。だが、それはフランシスカにとっては問題だった。
今回の一件について、未だに情報が足りていない彼女である。竹内君の捜索を続けるにしても、不確定な要素はなるべく排除したかった。また、場合によってはここで得た情報が、彼を説得する上での助けになる可能性もある。
「ちょっと、フランシスカ……」
「分かっているわよ」
しかも隣には、血に飢えた金髪ロリータ。その瞳はナイフの持ち主であろう男をギョロリと睨みつけている。仮に西野が手を出さずとも、このまま放っておけばどうなるのかは、容易に予想された。
そこで彼女は仕方なく、現場に足を踏み入れることにした。
「はーいはいはい、そこまでにして頂戴」
格好つける西野と狼狽する男の間に股臭おばさんが割って入った。
ローズもその傍らに続く。
予期せぬ声を受けて、居合わせた皆々の意識が二人に向かった。
会話に割って入ってきたフランシスカを眺めて西野が呟く。
「随分と遅い到着じゃないか」
「こっちにも色々と事情があるのよ」
床に押し倒された委員長と、その上に馬乗りとなった男。これを挟んでフランシスカとローズは西野に向き合う。おかげで恥ずかしくて仕方がない志水だが、自身の力では腹の上の相手を退かすことができない為、現状に甘んじている。
悠長に話をしている暇があるなら、この男をどうにかしてよ、とは声にならない悲鳴だ。しかし、こうした状況を招いたのは自身の浅慮が原因である為、改めて主張することもできない。これでなかなか彼女は分別のある女だ。
「ところでアンタ、その顔はどうしたんだ?」
自然とフツメンの意識がローズに向かった。
血まみれの顔は否応なく人目を引いた。垂れた血液は衣服にまで飛んでおり、制服は上から下まで真っ赤である。ただし、既に自己治癒が働いており、これといって傷口は見受けられない。おかげで負傷したのか返り血なのか、判断も難しい。
「上からこれが降ってきたのよねぇ」
西野からの問い掛けを受けて、ローズは手にしたナイフの刃を掲げてみせた。
そこには血がベッタリと付着しており、非常に物々しい雰囲気である。当然、フツメンにとっては覚えのある代物だ。つい今し方に切り飛ばした男のナイフであるから、これまた困った話である。
「ねぇ、西野君、何か知らないかしら?」
「…………」
これには彼も上手い返事が見つからなかった。
「どうしたの? 西野君」
刃に刻まれた鋭利な切り口と、現場に居合わせた西野の存在、更には片割れとなる柄を手にした男の存在から、ローズは大凡の事情を察していた。その上でこうして、畳み掛けている。小さな貸しを確実に作っていくことに決めた金髪ロリータだった。
「……すまない」
「当たったのが私で良かったわね? もしも隣のオバさんだったら、大変なことになっていたと思うわよ。まあ、過ぎたことを言っても仕方がないから、これは貸しにして話を進めさせてもらうけれど」
「…………」
ここ数日、凄まじい勢いでローズに貸しが貯まる西野だった。
そうしたやり取りを受けて、声を上げたのがチンピラの男である。自分の存在をさておいて、ああだこうだと話を始めた面々が気に入らないのだろう。これまで以上に声を荒げて吠えてみせる。
「オマエら、いったいなんなんだよっ!」
彼は刃の折れたナイフを委員長の首筋に突きつけて言う。
大半は失われているが、折れた部分は鋭利に尖っている。人間の肌を傷つけるくらいであれば、最低限は機能するだろう。筋肉をつけることが難しい首筋であるから、血管を割くくらいなら、そう苦労することはなさそうだ。
「この女がどうなっても……」
だが、続く言葉はフランシスカによって遮られた。
彼女は懐から取り出した拳銃を構えて男に言う。
「その子が何だというのかしら?」
「っ……」
額に向けて構えられた銃口にはサイレンサー。
これを確認して男は続く言葉を失った。
「言っておくけれど、本物よ? その折れたナイフで、何をするつもりなのかは知らないけれど、この場から逃げることよりも、捕まった後のことを考える方が、ずっとお得だとは思わない?」
「…………」
一連のやり取りを眺めて、西野がボソリと呟いた。
「目に見える力は、こういった場合に便利だな」
「あら、欲しいのかしら? それなら言ってくれても構わないけれど」
「……結構だ」
ニコニコと笑みを浮かべるフランシスカに、彼はそっぽを向いて応じた。
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また、カクヨムで新作を連載中となります。一緒に読んで頂けたら嬉しいです。
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