部活動 十六
結局、西野たちが参加したイベントは、初日の躓きから全行程が中止となった。
際しては厳重な報道規制が行われると共に、会場で起こった出来事に対しては、参加者に対しても箝口令が敷かれた。撮影された映像や画像もまた、関係各社とネットワークプロバイダ協力の下、一つの例外もなく規制される運びとなった。
その案内はメディア関係者のみならず、情報通信、更にはITベンダーや出版各社ほか、多種多様な業種に対して、一斉に流布された。おかげでイベントに関する話題は何処にも挙がらない。それこそ現地近隣での口コミが精々となる。
恐るべきはガブリエラのパパが日本国内に誇る強権だろうか。
そんなこんなで同日の夜中。
昨日も宿泊したホテルの上層階に設けられたホールで、西野とローズ、それにガブリエラの三人は、顔を合わせていた。イベント会場から観客の視線より逃れるように撤退することしばらく、半日ばかりの休憩を挟んでの集合となる。
誰から連絡を取った訳でもないが、気付けば同所で出会っていた面々だ。
「結局、この女に振り回されて終わった訳ね」
フロアの片隅に設けられたソファーに腰掛けてローズが言った。
その視線が向かう先、すぐ隣にはガブリエラが座る。
普段の彼女であれば、その腕を愛しのお姉様の肉体に絡めていたことだろう。しかしながら、本日の彼女は物静かに腰掛けており、これといって動くこともない。色々とあって疲れたのか、それとも観衆の面前で脱糞してしまったのが気に入らないのか。
「これといって死人も出なかった。これで良しとするべきではないか?」
何を語ることもないガブリエラの代わりに西野が答えた。
「貴方のクラスメイト、顔を腫らしていなかったかしら?」
「何だかんだ言いながら、やはり竹内君のことが気になるのか?」
「気になる? それはどういうことかしら?」
ローテーブルを挟んで対面には、フツメンの姿もある。
他に客もまばらな同ホールは、一定以上のランクの部屋に宿泊する客が出入りする際に利用する専用のエントランスとなる。何故にそのような場所へ彼ら彼女らが居るのかといえば、いつの間にやら人数分、各々の名前で宿泊の予約が為されていた。
ちなみに案内はローズの端末経由で股臭オバサンから。何かしら用件があってのことだろう。頃合いを見て訪ねてくるだろうことは想像に難くない。来るならさっさと連絡を寄越しなさいよ、とは早く家に帰りたいローズの思いである。
「言葉通りの意味だ」
「その意味が分からないから、こうして訪ねているのだけれど」
「まあいい。それもこれもアンタのプライベートだ」
「…………」
竹内君から伝えられた、俺ローズちゃんとヤっちまった宣言は、未だに西野の中で確かな記憶として目の前の人物に紐付けられていた。それもこれもビッチ極まる彼女の普段の振る舞いと、一向に童貞を卒業できそうにないフツメンの下半身事情が所以である。
このままでは童貞を拗らせる未来も遠くないように思われる。
「ところで、ステージを降りてから随分と静かだな?」
何気なく呟いて、視線をローズからガブリエラに移す西野。
舞台衣装となるチアガール一式に身を包んでいたのも、既に過去の出来事。彼女は平素からのゴスロリ衣装に着替えている。黒を基調として、所々に白の彩られたデザイン。フリルは控えめで、全体的に大人しい印象を受ける。
「っ……」
彼の声に応じて、彼女は跳ねるように肩を震わせた。
「どうした?」
「べ、別に、どうもしないですっ」
互いの視線が合ったところで、ゴスロリ女は声も大きく吠えてみせる。
同時に傍らへ腰掛けたローズの腕をぎゅっと抱きしめる。
「ちょっと、ひっつかないで頂戴。気色悪い」
即座に動いたローズの腕が、これ以上くっついてくれるなと言わんばかり、その頬を手の平でぎゅうぎゅうと押して見せる。けれど、ガブリエラはこれに構った様子もなく、しつこく腕に絡みつくかせる――
かと思われた。
「あぁん」
ふざけた声が漏れたかと思えば、張り手を受けて拘束は容易に解けた。
押し返されるがまま、その腰は元あった位置へ。ソファーの背もたれに身体を預けることとなる。押し返したローズにしてみると、普段と比較しても反発の感じられない、些か拍子抜けの手応えに疑問だろうか。
一方でそんなゴスロリ女へ真摯に問うてみせるのがフツメン。
「腹の具合は大丈夫か? 随分と辛そうにしていたが」
「な、何を言っているのですか?」
「ステージの上では景気良く漏らしていたからな」
チラリとローズに視線を向けて、粛々と語ってみせる。もしも委員長や竹内君が同席したのなら、そういうところが駄目なのだと、デリカシーが足りていないのだと、即座に突っ込みを受けていたことだろう。
「っ……」
指摘されて直後、ガブリエラの頬が真っ赤に染まった。
どうやら恥ずかしいらしい。
「…………」
一連のやり取りを眺めて、冷ややかな眼差しがローズから向けられる。その視線は言葉を交わす西野とガブリエラの間で行ったり来たり。西野を見つめる少女の眼差しに、これまでにない何かを感じた様子だった。
そうしたお姉様からの視線に気づいた様子もなく、ガブリエラは続ける。
「ひとつ、確認したいことがあります」
「なんだ?」
「ど、どうして私を助けるような真似をしたのですか?」
ジッと相手の目を見つめて、ガブリエラが問い掛ける。
つい昨日までは、その姿を目の当たりとするや否や、避けて回っていた彼女である。それが今日この瞬間に限っては、怯える様子を見せながらも、相手の機嫌を窺うような素振りが見て取れる。
「アンタは既に学校の人間だ」
一方で応える西野は淡々と。
「だったら何だというのですか?」
「もしもアンタが死んだら、二年B組の人間が悲しむ」
「…………」
二年B組ってなんだったろう。ふとガブリエラの脳裏に疑問が浮かんだ。それが昨今、自身が籍を置いた学校法人の、毎日通っている教室に掲げられた看板に記載された文字列であると理解するには、少しばかり時間を要した。
まさか、そんなものが目の前の相手の行動原理にあるとは思わない。
「きっと誰もにとって、一生忘れない思い出となるだろう。心の傷になるとまでは言わない。しかしながら、多少なりとも良くない思い出として、或いは二度と叶わない恋心の矛先として、未来永劫しこりを残すことになるだろう」
「なんですかそれは」
「俺が欲しいのは、心の底から笑いながら、素直に楽しいと思い返せる、そんな青春だ。残すところ一年と少しばかり。短い期間ではあるが、その間に一生を通じて良かったと思えるような、そんな思い出が、青春という名の下に欲しい」
「…………」
あまりにも重苦しい告白だった。もしも二年A組のクラスメイトが聞いたのなら、まず間違いなくドン引きである。鳥肌モノである。きっと翌日から、殊更にフツメンの周囲から人気が引くことだろう。こいつの青春に巻き込まれては堪らないと。
だが、これでも本人は大真面目である。
現世に満足して逝くため、フツメンにとっては必要不可欠な代物なのだ。
そうした想いが伝わったのか、ガブリエラからは真っ当に言葉が返った。
「つまりなんですか? こうして貴方が生きている限り、私には自ら死を選ぶ自由すらないと言うのですか? 我が身の無様を呪って、人知れず静かに逝くことすら、許されてはいないとでも?」
それは反発から生まれた軽口のようなものだった。
しかしながら、これに答えるフツメンは割と必死である。
「そのとおりだ」
「っ……」
深々と頷いてみせる。
それはもう、掛け値なしの本音トークである。
「悪いがアンタには向こう十数年、幸福に生きてもらわなければならない。そして、俺が大学へ進学した折、もしくは就職した折、あぁ、成人式の機会にでも構わない。学友の皆で集まって、昔話に花を咲かせる種となってもらいたい」
西野にとっては、他の何よりも大切なことだった。
切実な願いだった。
「我々の学友には、こんなにも可愛らしい女がいたのだとな」
それもこれも最後の瞬間を幸せに向かえるため。小っ恥ずかしい台詞だろうと、真顔で語ってみせる。交渉と称しても差し支えない。今この瞬間、フツメンは乞うように、己が願望を訴えていた。
結果として一連の響きは、どこか意味合いを異にして、目の前の相手に響いた。
「……随分な文句もあったものです」
「アンタはただ、毎日を笑って生きていればいい」
「っ……」
西野からの問い掛けに、ガブリエラは返す言葉を持たなかった。
その瞳を見開いて、目の前の童貞野郎を見つめるばかり。
おかげで心中穏やかでないのがローズである。これ以上は語らせてやるまいと、話題を変えるよう声も大きく口を開いた。この期に及んでは四の五の言っている場合でもないと、自らゴスロリ女へ語り掛ける。
「ところで貴方、実家の方は良かったのかしら?」
ジロリと睨むような眼差しだ。
もしも相手が委員長や太郎助あたりであったのなら、身を震わせたかもしれない。しかしながら、ローズとガブリエラの力関係は未だに一方的である。前者は後者に対して、掠り傷一つ付けた覚えがない。
「あ、はい。そちラは問題あリません。お気になさラずに」
「本当かしら? 寝込みを襲われるような真似は御免なのだけれど」
「本家と分家の間で、少しばかリ諍いがあったようです。私としては何がどうなっても構わなかったのですが、お父様の方が一枚上手であったようですね。当面は安泰だと言っていました。まあ、将来のことなんて誰も分かラないと思いますけレど」
「どうして貴方が狙われたのかしら?」
「少し前に亡くなった祖父の遺言が原因だそうです」
「遺言?」
「なんでも結構なものが動いたそうですよ。当時の私は拉致監禁さレていたので、祖父が亡くなっていたことすラ知リませんでしたけれど、いつの間にやら遺書の上で、色々と名前が上がっていたようですね」
「……そう」
「身に付けていた物を一つ二つ貰えれば、それで十分だったのですけれど」
淡々と呟いて、ガブリエラは少しばかり遠い目をしてみせる。
少なからず惜しく思う別れだったのだろう。ローズに対して日常的に向けている気色の悪い愛情を思い起こせば、これまたらしくない反応である。こんな女でも、少しくらいはまともな部分を残しているのね、とはその感情を垣間見た側の寸感だ。
「ですかラ今後は、賑やかになルこともないそうです」
「それを聞いて安心したわ」
「一つ確認したいのだが、問題の父親はどこへ行ったんだ?」
「お父様でしたラ、既に日本を発たレました」
「それはまた足の早い男だな……」
イベント会場で別れてから、まだ半日と経っていない。せっかくの機会なのだから、娘と共に二人の時間を過ごせば良いだろうに、などと思わないでもないフツメンである。ただ、語る本人はこれといって気にした様子も見られない。
「ところで西野君、そろそろ良い時間になるのだけれど、一緒に夕食など如何かしら? 高層階のラウンジにレストランがあるらしいわ。せっかくの機会だから、寄っていこうと思うのだけれど」
「ああ、分かった」
ローズからの提案に頷いて腰を上げる西野。ここ最近、財布を持たない彼は、彼女からの誘いを断った時点で、今晩の食事の食いっぱぐれが決定する。少なからず腹が減っていたことも手伝い、応じる姿勢は素直だった。
ただ、その背筋が伸び切る直前のこと、他所から声が掛かった。
「ん? おい、君たちは津沼高校の……」
どこかで聞いたような声色である。
籍をおく学校の名を耳にしたことで、皆々の視線は音の聞こえてきた側に向かう。すると、そこには彼らのマネージャー役を務める七三の姿があった。男の傍らには、いつぞや同所のロイヤルスイートで出会った、業界の偉い人も一緒である。
「もしかして私のことを待っていたのですか?」
三人の姿を眺めて、偉い人が言った。
どこまでも自己中心的な推測である。
その視線は自ずと動いて、ローズやガブリエラのエッチな部分に注目である。ワンピース姿の前者も、ゴスロリ姿の後者も、今夜は共に丈の短いスカートを着用している。おかげで太ももを拝みたい放題だ。
「ようやく君たちも、立場というものを理解したようですね」
ニコニコと笑みを浮かべて、偉い人が歩み寄ってくる。ただし、表情こそ笑ってはいるものの、昨日と比較して、幾分か物言いが威力的になっている。なにかしらストレスでも感じているのかもしれない。
彼はローズとガブリエラが腰掛けたソファーの前まで向かい訪ねた。
「話を受ける気になったようですね。私でしたら今からでも構いませんよ?」
ただ、その笑顔も長くは続かない。
原因は彼らに同行していた女性の存在だ。
「あら、こんなところでどうしたのかしら?」
二人の隣には、他にフランシスカの姿があった。
彼女は見知った相手をエントランスのソファーに見つけて、まるで友人にでも出会ったよう、気軽に声を掛けてみせる。業界の偉い人の偉さ具合を鑑みるに、おそらくはイベントの事後処理に当たっていたのだろう。トップ会議というやつだ。
「え? お、お知り合いですか?」
その様子を目の当たりにして、偉い人の顔が強張った。
彼の背後で七三の男もまた、全身を緊張させている。
「知り合いと言えば知り合いですね。内二名はビジネスパートナー。そして、残る内一名に関しては、実質的に上司のようなものですわ。少なくとも私の立場では、手も足も出ませんから」
「っ……」
何気ない股臭オバサンの物言いが、殊更に二人の男たちを緊張させた。
一方で何ら構った様子もなく語りかけるのが西野である。
「日本を発ったんじゃなかったのか?」
「それはあの方だけよ。私はこの国に残って事後処理が待っているわ」
「なるほど」
「本当、勘弁して欲しいわよねぇ。流石に疲れたわぁ」
「それがアンタの仕事だろう?」
「少しくらいいいじゃないの。仕事に愚痴は付きものよ」
例によって互いに軽口を叩き合うフツメンと股臭オバサン。実際のところはどうだか知れないが、傍目には気心の知れた友人同士を思わせる光景だ。マーキスのバーで話をするのと大差ないノリである。
ただ、そんな彼女のつい先刻前までの仕事は、傍らに立った男二人を徹底的に脅すことであったりする。一連の騒動に際して発生した不利益を、彼女が所属する組織の強権にものを言わせて、偉い人に飲ませたばかりである。
曰く、全てはテロリストの仕業である。
「ところで貴方たちこそ、知り合いだったのかしら?」
フランシスカの視線が、西野を離れて偉い人と七三に向かう。
慌てたのは見つめられた側である。伊達に昨晩、児童買春を持ち掛けていない。更に言えばつい今し方にも、フランシスカの手前、随分と偉そうなことを言ってしまった。おかげで偉い人の顔面は蒼白である。
「ぶ、舞台前に挨拶をさせて頂きまして、その縁です、はい」
ロリータたちに何を喋らせる間もなく、大慌てに語ってみせる偉い人。
その額にはいつの間にやら、びっしりと脂汗が浮かんでいた。
「あら、そう?」
「ええ、そうなのです」
怯える偉い人と、状況を理解していないフランシスカ。
そんな二人のやり取りを眺めて、それとなく口を開いたのが西野だ。
「そう邪険にしてやるな」
「邪険になんてしてないわよ?」
「少しばかり、世の中というものを教えてもらった仲だ」
ここぞとばかりにシニカルを気取る西野である。これで本人は、話題に挙がった相手を助けたつもりでいるから、いよいよもって質が悪い。そういうところがクラスメイトから距離を置かれていると、未だに気づいていないフツメンだ。
おかげでフランシスカは首を傾げるばかり。
「……世の中というもの?」
「っ……」
つい昨晩、西野に向けて口にした台詞をそっくりそのまま返された偉い人だ。
おかげで殊更に顔色を悪くさせる。老い先も短い年頃も手伝い、いよいよ緩くなった尿道からは、少しばかり黄色いものを漏らして、その下着を汚すのだった。
◇ ◆ ◇
その日、委員長は自室で、ある種の達成感に身を震わせていた。
彼女が腰掛けた椅子の正面、デスクの上におかれたクラムシェル型の端末には、チャットのアプリケーションが起動している。そのタイムラインを上から下へ賑やかに流れていくのは、これまでの活動を労う言葉たちだ。
「お疲れ様だ、シミズ。これで当面は大丈夫だろう」「あとは警察の仕事さ、ゆっくり休んで疲れを取るといい」「温かいミルクでも飲んで、ぐっすり眠るといいわ」「今後、身の回りで似たような話があったら、ここのコミュニティーを使ってもいいのかな?」「それはナイスアイディアだね」「なるほど、素晴らしい意見だ」
土曜の夜中、家族も寝静まった志水邸での出来事である。
ついに委員長は、現役JKの変態スパッツ動画、その撲滅を達成したのだった。蓋を開けてみれば、彼女の動画をアップロードしていたのは、僅か数名からなる者たちであった。どうやら極少数の人間が、執拗に繰り返していたようである。
そのアクセス元の特定と、警察機関への連絡が今まさに終えられた次第である。
活躍したのは各国のエンジニアだ。国境を跨いだアクセス解析から、従来であれば数週間を要しただろう判断が、僅か数日で終えられた次第であった。その結果は各企業の然るべき部署から然るべき通達が為されるという。
結果として、現役JKの変態スパッツ動画は撲滅された。
少なくとも現時点において、人目につくサイトに彼女の痴態は見つけられない。
「ありがとうございます、本当に助かりました……と」
繰り返し感謝の言葉をチャットのタイムラインに向けて打ち込む。
それは一連の戦いの終了を告げる言葉だ。
どれだけ疲れていようとも、現役JKの変態スパッツ動画が気になって気になって、あまりにも気になり過ぎて、眠りたくても眠れなかったここ数日。そうした暗雲立ち込めたる日々が、今この瞬間ようやっと終えられたのだった。
もしかしたら、今後またアップロードされるかも知れない。現役JKの変態スパッツ動画が、ネットに再掲される日が訪れるかも知れない。
けれど、彼女には相談する先がある。
自分は一人じゃないという意識が、委員長の心を穏やかにしていた。
ここ数日に渡り心中に蟠っていた辛く苦しいものが、タイムラインに流れる温かなメッセージと共に、どこへとも抜けてゆく。それはまるで冬の寒さに凍えていた身体が、温かな風呂に浸かって痺れを得るような心地良さであった。
「…………」
感無量と言った様子で、椅子の背もたれに身体を預ける。
起動されたままのチャット上では、そこに集った者たちによって、ああだこうだと会話の交わされる様子が見て取れた。それは例えば、英語であったり、中国語であったり、ロシア語であったりと、国際色豊かなものである。
「……本当に私、なにやってたんだろう」
数日の火消し生活を経たことで、委員長は一つの結論に辿り着いた。
曰く、やっぱり真面目にコツコツと努力するのが一番よね。
一生に一度きりの女子高生生活だからとか、私もローズさんみたいにチヤホヤされたいだとか、試験の点数じゃなくて本当の私を見て欲しいだとか、彼女の内側にあった思春期にありがちな欲求の数々は、今回の一件で見事に吹き飛んでいた。
結局のところ、他人は他人、自分は自分。
そんな単純なことが、とても大切なのだと気づいた彼女である。
「…………」
また同時に、なんだかんだで頭の良い委員長は、一連の騒動を通じて、過去の努力が決して無駄ではなかったことを理解していた。もしも真面目に勉強をしていなかったのなら、現役JKの変態スパッツ動画は、未だに世の中へ出回ったままであった。
周囲から求められるがままに演じてきた、賢くて可愛い女の子。それはもしかしたら、自分の意志で始めたことではないのかもしれない。ただ、そんな代物が、今回は彼女の社会生命を救うのに一役買っていた。
「…………」
委員長の視線が、改めてチャットのタイムラインに向かう。
それなりの勢いで流れていく会話のログは、やっぱり辞書や翻訳ソフトがないと、ところどころしか読めなくて、もどかしさを感じる。けれども、ほんの僅かばかりではあるかもしれないが、読めなくもないものもある。
そこで彼女は、はたと気づいた。
数日前よりも、意味を理解できるやり取りが、数を増やしていた。
「…………」
ひとしきり身体を伸ばしたところで、志水は姿勢を元に戻す。
本当なら疲弊から瞼も重くなっていて然るべきである。ただ、今この瞬間、委員長の頭は妙にスッキリとしていた。その胸の内に脈打っているのは、穏やかでありながらも、どこか力強さを感じさせる鼓動である。
「……英語の勉強、しようかな」
参考書を取り出して、粛々と勉強を始める二年A組の委員長。
そんな彼女は、伊達に東京外国語大学を目指していない。
◇ ◆ ◇
同日の晩、津沼高校が誇るブレイクダンス同好会の面々は、ホテルの高層階に設けられたレストランで、夕食の席を囲っていた。テーブルに向かうのは西野の他に、ローズとガブリエラ、更に竹内君、向坂といった面々である。
ちなみに後者二名に関しては、友人に対して自身の端末から連絡を入れるという行為に並々ならぬ興味と関心と欲求を見せたフツメンが、反対する女性二名に対して、押しに押した末に同席を願った結果である。
ついに西野の端末にも、クラスメイトとの通話履歴が記録される運びとなった。
「あの、に、西野先輩……」
「なんだ? 向坂」
「やっぱり俺は部屋に帰ったほうが……」
かれこれ何度目になるだろう。向坂は酷く恐縮した様子で、おずおずと述べてみせる。同所へ訪れて以来、彼の言動は所在なさ気なものである。次から次へと運ばれてくるコース料理の数々に、恐れ戦いていた。
見るからに高級そうな同所でのお食事は、事実、お一人様五桁からのご案内となる。お皿へアーティスティックに盛り付けられた料理だとか、食事を上げ下げする美人ウェイトレスだとか、素人目にもまず間違いなく高そうに映った。
当然、彼らの他に食事を取っている者たちも、ちゃんとした身なりの客ばかりだ。おかげで上下ジャージ姿の向坂は非常に目立つ。一緒に夕食でも食べに行こう、西野からの軽い誘いを受けて、近所でラーメンの一杯でも食べるつもりで出てきたバリタチだった。
一方で遠慮しないのがフツメンである。
「構うことはない。この女がいいと言ったんだ。好きなものを頼め」
その視線が指し示す先にはガブリエラの姿がある。
というのも、同所での食事は彼女の奢りとのことであった。
「……そういう貴方は少し、遠慮をしたラどうですか?」
「気に障ったか? それならば謝るが……」
「…………」
そうかと思えば、早々に謝罪をしてみせる。
耳に何かしら言葉が届いたら、とりあえず軽口を叩いてしまうのが、西野という生き物である。そこには害意が存在していないから質が悪い。既に条件反射の域にあるとは、彼を知る者たちの認識だ。
ガブリエラもまた、ここ数日の付き合いを思い起こして、その辺りを段々と理解しはじめていた。しかしながら、如何に理解していようとも、慣れが生じるかと言えば、それはまた別問題である。
「……まあいいです」
「感謝する」
「…………」
しかも意外とこまめに相槌など返すから、殊更に扱いが面倒臭い。
一方、それもこれも含めて愛が止まらないのがローズである。
「ねぇ、西野君。この付け合せのマッシュポテト、とても美味しいわよ?」
喜々として語りかけてみせる。
周囲には他に大勢の邪魔者がいる。それで尚も彼女の脳裏に展開されているのは、二人きりのディナーである。傍らに腰掛けたフツメン以外、まるで眼中にない。西野が何を食べてどのような表情を浮かべるのか、その観察に終止している。
「アンタの場合、こういうのは食べ慣れているんじゃないのか?」
「あら、こう見えて一人のときは粗食なのよ?」
「悪食の間違いではないのか?」
「うふふ、言い得て妙なことをいうものね」
なんてことはない西野の軽口は、これでなかなか的を射たものだった。
数日前の晩、自宅の脱衣所でモグモグした西野の下着の味を思い起こして、ローズは笑みを浮かべる。そうした彼との間接的な粘膜接触の数々は、同棲を開始して以来、彼女のライフワークとなっていた。決して欠くことのできない儀式である。
もちろん西野には知る余地のないことだ。
「と、ところで、ローズちゃん。そのワンピース、凄く似合ってるね!」
こうなると竹内君も負けてはいられない。
なんとかして会話に潜り込もうとする。
学内においてはカースト序列により、イケメンの発言権は強固に守られている。一度(ひとたび)その口が開かれたのなら、周囲に居合わせた誰もは口をつぐんで、彼の言葉を真摯且つ前向きに受け止めてくれる。
だが、それがブレイクダンス同好会では、正しく機能していなかった。
故に竹内君もまた、発言権を手に入れる為に必死である。
「あらそう? 割と着古して長いのだけれど」
褒められた彼女は適当に語ってみせる。だが、決してそんなことはない。西野とのディナータイムのため、選びに選び抜いた一着であった。しかしながら、欲しかった台詞は本命の彼ではなくて、どうでもいい優男から与えられた。
「いやいや、そんなことないよ。それにガブリエラちゃんも素敵だね」
会話のイニシアチブを手に入れるべく、竹内君は一生懸命に口を動かす。
業界の偉い人とのトークで下がった株を持ち直そうと必死である。
「俺も向坂と同じで、まさかこんな立派なお店だとは思わなくて驚いたよ。だけど、ローズちゃんとガブリエラちゃんが一緒だから安心できるかな。どれだけ俺らが安っぽくても、二人が一緒だったら落ち着いて食事を楽しめるからさ」
向坂に対するフォローも、西野のそれとは雲泥の差である。
「あらそう? ありがとう」
「……どうもです」
しかしながら、応じる二人の反応は覚束ない。
もしも二年A組の女子生徒であれば、キャーキャーと声を上げて喜んだことだろう。その事実が竹内君を焦らせる。かれこれ数ヶ月に渡ってアプローチを続けているものの、一向に挙がらない成果に、頭を悩ませているイケメンだった。
ちなみに一時は危ぶまれた西野の学生としての立場であるが、幸か不幸か継続の兆しである。重火器を凍り付かせるに際しては、転校の覚悟を決めたフツメン。だが蓋を開けてみれば、イケメンはその原因として西野という存在をまるで意識しなかった。
伊達に不思議パワーしていない。むしろ米軍の新兵器だと言われたほうがシックリくる竹内君である。
おかげでムカついてムカつかれての関係は同所でも継続だ。
そして、ああだこうだと頭を悩ませるクラスナンバーワンイケメンの思いとは裏腹に、会話の場はあっちへこっちへ忙しなく移ってゆく。竹内君から持ちかけられたトークもそこそこ、ローズの意識はガブリエラに向かった。
「ところで貴方に一つ、確認したいことがあるわ」
「なんですか? お姉様」
「昨日までの貴方は、西野君の隣を頑なに嫌がっていなかったかしら?」
彼女の指摘通り、ガブリエラの腰掛けた席は昨日までとは異なる。
料理の並んだ円卓を囲う皆々の配置は、時計回りに西野、ローズ、竹内君、向坂、ガブリエラといった形だ。昨日までであれば、西野、ローズ、ガブリエラの並びは暗黙の了解として固定されていた。
「あら、そうでしょうか?」
素っ気ない物言いのゴスロリ女。
ローズの目元には厳しさが浮かぶ。
「どういった心変わりかしら?」
「…………」
それはあまりにも率直な問い掛けだった。
おかげで竹内君や向坂もまた、食事の手を止めて二人の様子を窺う。
マジかよ、言わんばかりの反応である。
それで尚も食事の手を動かし続けているヤツがいるとすれば、それは西野くらいだろう。今し方にローズから美味しいと勧められたマッシュポテト。これを妙に上品な手付きでナイフに刻み、フォークで口元へと運んでいる。
そんな彼の下へ、ガブリエラから声が届けられた。
「西野五郷、あ、貴方に伝えたいことがあリます」
「……なんだ?」
ゴクンとポテトを飲み込んで答える。
思ったよりも美味しかったマッシュポテト。少しばかり詰め込み過ぎた為、また、急に話し掛けられた為、飲み込むのに苦労した。必死に喉元を取り繕いつつの受け答えだろうか。水の入ったグラスへチラリ、恋しそうな視線を向けつつの返事となった。
そんな彼に対して、彼女は平素からの淡々とした調子で言った。
「私は貴方に興味が湧きました。本日かラ私と、こ、交際を始めませんか?」
「…………」
「向こう一半世紀、人類の敵になってくれルと聞きました」
それは西野にとって、ライフルの狙撃にも勝る強烈な不意打ちであった。
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