今度こそ。

 日が昇り、地獄と化した世界が明るくなった。


 二週間前にホネガイビーストが現れ焼け野原と化した公園に、両目の高さに一直線に深い傷痕が残る若い男――志郎の体を乗っ取ったザ・ワンの姿があった。これ以上ないであろう程に愉快そうに笑っていた。

 暫く笑い続けていると、ザ・ワンに近付いてくる誰かの足音が聞こえてきた。

 足音の主はザ・ワンから少し離れた場所で立ち止まった。


「見つけた……!」


 足音の主は、舞だった。その瞳には、その表情には、強い決意が込められていた。

 ザ・ワンが口の右端を吊り上げた。


「よお、遅かったじゃねぇか。俺の体の破片はどうした? ここに来るまで沢山いただろ?」


 ザ・ワンは目を細め、親しげに話しかけた。


「回復するのに時間かかったから。……ビーストは、立ち塞がるやつだけ潰してきた」


 舞は表情こそ変わらなかったが、ザ・ワンと同じように親しげに返した。


「俺も回復するのには時間かかったな。お前なあ、お前の大事な人間の両目切り裂くってよ、どんだけえげつないんだよ? なあ?」


 ザ・ワンが両目の高さに走る傷痕をなぞり、粘り気が強い口調で言った。

 舞は一度黙り、少しだけ下を見た。


「まあ……、そうでもしないと逃げられなかったから」


 少しだけ肩をすくめて言って、舞は顔を上げた。ザ・ワンの目を真っ直ぐ見つめる。


「三日。……三日、ご飯食べて、お風呂入って、寝る時以外、ずっと、考え続けた。シロウさんの体を乗っ取ってるお前を、潰す以前に、殴ったり、蹴ったり、できるのか」


 舞はそう言って、右手の拳を左手で包んだ。


「昨日、答えを見つけたけど……、そんなの、すっごく簡単だった。……シロウさんの体でこれ以上暴れさせない事が、シロウさんへの弔いだ。……弔いなんだ」


 舞がはっきりと言った。最後の方は、まるで自分に言い聞かせるような言い方だった。

 それを聞いたザ・ワンが、凶悪な笑みを浮かべた。


「そうか。つまり俺を殺す気なんだな? ……いいぜ。俺が死ねば、今暴れてる俺の破片は一気に弱くなるだろうな」

「……一つだけ、聞いていいか?」

「何だよ?」

「心咲を殺して傀儡にした事の意図はわかる。けど……どうして三沢を、赤の他人を巻き込んだ? ……それだけが、どうしてもわからない」


 舞の疑問を、ザ・ワンは鼻で笑った。


「別に、何となくだ。破片だけじゃ殺せても傀儡には出来ない。ちゃんとした知性がある駒が必要だったんだよ。それ以外に理由はない」

「……そう」


 舞は無関心そうに呟くと、『エボルペンダント』の蒼い宝石を右手の指で挟んだ。

 ザ・ワンは凶悪な笑みを浮かべたまま、『エボルペンダントⅡ』の紅い宝石を左手の指で挟んだ。


「…………変身!」「変身……!」


 舞が祈るように、ザ・ワンは嘲るように言った。


 蒼い宝石が紅く光り、紅い宝石は黒く濁る。

 舞は桃色と白の、ザ・ワンは紫色のオーラに包み込まれる。それと同時に舞は爆風を、ザ・ワンは爆風と衝撃波を放った。


――Intellect and Wild!――『Σ』


 それぞれのペンダントから変身魔法の起動コードが流れ、同時にそれぞれのオーラが消滅する。


 舞が肩までの長さの紅い髪に真っ赤な瞳、やや丈が短い赤いワンピースに黒いズボン、刃が付いた装甲のような黒い長手袋とブーツ姿に変わった。


 ザ・ワンが背中まで伸びた漆黒の髪に紫色の瞳、やや丈が短い白いワンピースに黒いズボン、刃が付いた装甲のような銀色の長手袋とブーツ姿の少女に変わった。


 舞とザ・ワンは一瞬だけ視線を交わすと、同時に走り出した。

 間合いに入った瞬間、同時に右の拳を突き出し、互いの顔面を殴り飛ばした。

 舞とザ・ワンは全く同じ調子でを踏んで尻餅を突き、同時に立ち上がり、駆け寄る。


 舞が呻くような気合いと共に殴る。

 ザ・ワンが楽しそうに笑い声を上げながら殴る。


 何度も何度も、交互に殴り、蹴り続ける。

 そこには何もなかった。技も、単純な攻防の読み合いすらも。

 赤と白は、お互いに、ただひたすらに、拳を振り、足を上げる。


 いつしか舞の目からは涙が溢れ、放つ気合いは泣き声に変わっていた。それでも、ザ・ワンは笑うのを止めなかった。


 ザ・ワンの左前蹴りが舞の鳩尾に捩じ込まれ、舞は三メートル程吹き飛んだ。


 地面に転がり、立ち上がれないでいる舞に、ザ・ワンが悠然と歩み寄る。


「終わりだなぁ……!」


 舞の目の前で立ち止まったザ・ワンが、笑顔のまま右腕を振り下ろした。


「っ!」


 舞は膝立ちになってそれを受け止め、泣いているかのような気合いと共にザ・ワンを自分ごと投げ飛ばした。

 舞はすぐさま立ち上がり、


「うああああぁぁぁっ!!」


 立ち上がった直後だったザ・ワンの胸元を飾る、黒く濁った宝石に右拳を叩き付けた。


「がっ……!?」


 ザ・ワンが呻き、二歩、三歩と下がった。

 黒く濁った宝石は、中心から縁に向け、細かな罅が走っていた。


「あああぁっ!!」

「ごっ!?」


 舞が放った右前蹴りがザ・ワンの鳩尾に叩き込まれ、ザ・ワンが六メートル程吹き飛んだ。


 舞はザ・ワンに駆け寄らなかった。代わりに、荒くなった息を整える。


 舞の右腕の刃が黄金色に輝く。同時に、舞は深く腰を落とした。


――Set and Down!!――


 ザ・ワンがよろめきながら立ち上がった。黄金色に光る右腕の刃を見て、表情が一瞬だけ強張った。

 舞は二度深呼吸をして、全力で走り、ザ・ワンの眼前で右足を強く踏み込んだ。凄まじい疾さで右腕を振り抜く。

 ザ・ワンが右腕を突き出す。

 それを見た舞は、更に深く踏み込んでそれを避け、


 ザ・ワンの胸の中央を貫いた。


 ザ・ワンの口から鮮血が飛び散り、舞の髪にかかった。


「…………あ……ああ…………ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 舞は悲痛な叫び声を上げ、ザ・ワンの胸を貫いた腕を、左脇腹から引き抜いた。肋骨を折り、左肺と心臓を押し潰しながら、引き抜いた。

 ザ・ワンが、背中から倒れ込んだ。



 舞は一メートル離れた位置で、血溜まりに力なく横たわるザ・ワンを見下ろしていた。

 ザ・ワンは、胸の中央から左脇腹にかけてをくり貫かれていた。それでも笑顔のまま、青空を見上げていた。変身は、解けていた。


「ハハハ、ハハハハハ……ハァ……。……楽しかったなぁ……」


 ザ・ワンの声からは生気が消えつつあったが、それでも心の底から楽しそうな口調だった。


「なぁ……お前も楽しかっただろ? 今、清々してるだろ?」


 ザ・ワンが舞に目を向けた。舞の目には、涙はなかった。


「…………全然」


 短く答えた舞の声は、しわがれていた。


「そおかぁ……?」

「…………」

「どう、なんだよ……?」

「…………」

「…………なあ……」

「…………お前が楽しくても、私は楽しくない。それだけだよ」


 舞が漸く答えた時には、ザ・ワンは、黒いゲル状の物体に姿を変えていた。


「…………」


 舞は黒いゲル状の物体の中から、罅割れた紅い宝石のペンダントを拾い上げた。

 右手の掌にそれを乗せ、暫く見つめてから、拳を作り、力を込めた。

 再び開かれた手の中の宝石は、粉々になっていた。

 舞は変身を解くと、粉々になった宝石をフレームごとハンカチで包み込み、ポケットの奥深くにしまい込んだ。

 志郎の体だったものを暫く見つめてから、踵を返し、去っていった。



 舞が玄関を開けると、何か料理をしている匂いが鼻をくすぐった。

 舞は一度首を傾げてからリビングに向かうと、


「おかえりなさい」「おかえり」


 エプロンを着けた心咲と椋が出迎えた。


「心咲、椋も、それ……っていうか、この匂い、どうしたの?」


 舞が少し驚きながら聞くと、


「……テーブルをご覧くださいな」


 心咲はテーブルを指差した。

 舞がそれに促されてテーブルを見ると、


「…………あ……」


 そこには、炊きたての白いご飯、ジャガイモとワカメの味噌汁、豚肉の生姜焼きが三人分並べられていた。


「心咲ちゃんがさ、舞ちゃんに何かしてあげたいって、私に電話してきてさ。それで、二人で考えて……、こうしたんだ」


 椋が舞に笑顔を向けた。


「…………そっか。…………ありがとう」


 舞はそう言って、泣きながら笑った。

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