004 嘘つきの攻防

 何とか忙しい夕食タイムを乗り切って、ほっと一息ついた……その時、店の電話が鳴った。店長がすぐに応対する。


「はい、もしもし。え? 宅配は行ってますが、今日の受付は終了で――は?」

 

 電話はすぐに終わった。再びカウンターに戻って来た時、店長の顔色はなぜか真っ青だった。


「店長? どうしたんですか?」

「……橘さん。悪いんだけど、鶴岡八幡宮にお弁当一つ届けてもらえない?」

「いいですけど……」


 鶴岡八幡宮へのお届け。依頼主は宮司さんや巫女さんかな。


「何でもさ、俳優の由良ゆら千晃ちあきが、うちの弁当を食べたいんだって」

「え!?」


 ついさっき話題に上がっていた人から、まさかの注文。


「若園先輩、由良さんのファンなんですけど、今から呼んでも間に合わないですかね」

「うーん。すぐに来てくれるなら、いいんだけど。電話してみたらどうかな?」


 店長がお弁当を作っている最中に、先輩に電話をかけてみた。けれど、いくらかけても繋がることはなかった。


「はい、弁当上がったよ。若園さんには申し訳ないけど、お客さんを待たせるわけにいかないから。橘さん、お願い出来る? ついでに宣伝もよろしく!」

「せ、宣伝……それなら、店長が届けた方が良いのでは……?」

「俺、緊張すると汗と震えが止まらないんだ。汗だくで小刻みに震える40の大男から手渡される弁当なんて、食べたくないだろう?」

「ちゃんと包装されてるなら平気です」

「橘さんは良い子だね。鶴岡八幡宮なら近いけど、でも気をつけて行ってね」


 そういうわけで、鶴岡八幡宮。

 鎌倉初代将軍みなもと頼朝よりともゆかりの神社。今日は、観光客ではない人たちがせわしなく動き回っている。


「あ、お弁当屋さんの子? ありがとう! 由良さんのマネージャー、そこのテントにいるから!」


 スタッフらしい人に言われ、 私は大きなテントに向かった。けれどそこには、マネージャーさんどころか誰もいなかった。

 困ったな、どうしよう。悩んでいるところに、


「誰か探してるの?」


 ……由良千晃その人が現れた。

 ウェーブがかった髪。全体的に彫りが深く、落ちくぼんだ目はいたずらっぽい笑みを浮かべている。色気というものを香りにたとえると、この人は大輪のバラみたいな人。むせかえるような香りに、私は少し身を固くする。

 母を除けば、初めて目にする芸能人。


「由良千晃さんのマネージャーさんを。お弁当、持ってきたので」

「…………」

「マネージャーさんはどちらにいらっしゃいますか?」

「その弁当って僕のだよね? 僕が目の前にいるのに、わざわざマネージャーを通す必要ある?」


 言われてみれば、その通り。私は彼に弁当の入った袋を差し出した。けれど、由良さんは受け取ろうとしなかった。それどころか、私との距離を縮めてくる。


「あの、何でしょうか」

「弁当を受け取ろうとしてるんだよ。近づかないと届かない」


 私が一歩下がると、同じ歩幅で間を詰める。

 そうして、私はどんどんテントの奥へと入り込んでしまった。こんなところ誰かに見られたら、絶対変な目で見られる。絶対変な誤解を受ける。


「人間の腕の長さは60センチ以上あります。そんなに近づかなくても」

「今両腕を痛めててね。動かせないんだ」

「じゃあここに置いておきますから」

「僕は目も悪くてね。その辺に置かれても分からないよ」

「……では投げます。キャッチして下さい」

「弁当を? ずいぶんとアクロバットな配達だね」


 私は足を止めた。両腕を怪我していて、目が悪いという彼を気遣ってじゃない。背中がテントの壁にぶつかって、もう行き場がなかったからだ。


「君が弁当屋の子、ね」


 由良さんはまるで品定めをするように、私を眺める。居心地の悪さは頂点まで達し、私は横から逃げようとした。けれど、由良さんは腕を伸ばして退路を断つ。


「腕が動かないなんて嘘じゃないですか」

「嘘をつかせたのは君だ。弁当渡してそれでおしまいって冷たくない?」

「お弁当は温かいので、それで満足して下さい」


 流れるような嘘が、私の首を絞める。

 嘘つきは信用できない。特に平気な顔で嘘をつく人は。自分がそうだから、よく分かる。この人と自分が似ているなんて思いたくないけど……。


「君、可愛いね。それに若い。僕可愛くて若い子大好きなんだ。いくつ?」

「80歳です」

「年上も好きだよ。今休憩中なんだ。話し相手になってよ」

「お弁当が冷めるので、早く食べて下さい」

「食べてる間、側にいてくれる?」


 なぜか囁き声で由良さんは言った。

 私の周りにはこんなに距離を詰めてきたり、耳元で囁いてくるような人はいない。怒鳴られているわけじゃないのに、特別なことを言われているわけでもないのに、どういうわけか心が落ち着かなかった。

 私が何も言わずにいると、由良さんはくすりと笑う。


「もしかして、僕のことが怖い?」


 見透かされているような気がした。むしろ馬鹿にされたのかもしれない。

 ……何だか悔しくなってきた。


「公園の鳩」

「は?」

「公園の鳩にそっくりだと思っただけです。歩くのに邪魔なくらい近づいてくる、鳩に」


 言った瞬間、後悔した。私は店長の代わりに来ているのに、今のはあまりにも失礼だ。

 けれど由良さんは、気分を悪くするどころか、大笑いしだした。


「くくっ、あはは! 鳩って! おかしいなぁ。そんなこと言われたの初めてだよ」

「……すみません。失礼しました」

「ね、君のお母さんってどんな人?」

「え?」

「いや、君すごく可愛いから。さぞお母さんは美人なんだろうと思って。あ、お母さんじゃなくて、父親が美形って可能性はあるか」

「……父はいません」

「いない? 亡くなったとか?」

「分かりません、私は父のことは何も知らないので」


 これは本当のことだった。母は実の子である私にも、両親である祖父母にも、誰が父親なのか明かさなかった。父のことは、橘家では禁句になっている。


「……こんなに綺麗な子に育ったのに、残念な父親だ。ねぇ、お父さんには会いたいと思う?」


 母のことを持ち出して、さらには父について尋ねてきた。少し、唐突な気がする。

 由良さんは俳優。そして私の母は、女優だった。ちょうど年齢も同じくらいだと思う。2人に面識があってもおかしくない。

 もちろん由良さんが、私のことを知ってるはずはないけど……何だか嫌な予感がする。


「どうしてそんなことを聞くんですか?」

「聞いちゃダメだった?」

「弁当屋のバイトに家族構成を聞くのは、かなりおかしいと思います」

「……うーん、それじゃあ本題に入るよ。君、芸能界に興味ない?」

「……はい?」

「映画やドラマに出たいとか、そういうこと思ったことないかな」


 由良さんの本題は、思ってもみない方向の内容だった。


「芸能界楽しいよ? 皆ちやほやしてくれるし、退屈せずに暮らせる」

「私は人見知りなのでちやほやなんてされたくありません。退屈平穏大好きです」

「年寄りみたいなこと言うなぁ」

「80歳なので」

「お金は? うまくやれば稼げるよ」

「…………」

 

 お金はちょっと、心惹かれる。

 家の修繕費……。


「由良さーん! そろそろお時間です!」


 タイミング良く、彼を呼ぶ声がした。


「……ご注文ありがとうございました!」

「あ、ちょっと君」


 わずかに出来た隙を突き、由良さんにお弁当を押しつけ、逃げ出した。


 ようやくお店に帰ることが出来て、私はほっと一息ついた。予想以上に時間がかかってしまい、店長にはすごく心配をかけてしまった。


「今日はもう疲れたよね。閉店作業はこっちでやっとくから、もう上がっていいよ」

 

 少し迷ったけど、疲れているのは確かだった。店長の厚意に甘え、早めに上がらせてもらうことにした。

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