耳のない食パン
TANIKO
第1話
……リーン。
チリーン。リンリン。
光が部屋に差し込んでいる。
僕の部屋には床から伸びる縦長の窓、壁をくり抜いたような横長の窓がある。
横長の窓にはカーテンを付けていない。
陽当たりのいいこの部屋は曇りガラスをすり抜け、陽射しがダイレクトに降り注ぐ。
今日も猫が外でじゃれている。
鈴を付けた白い猫、大家さんのダイフクだ。
昼下がりの心地よい目覚ましと共にゆっくりと起き上がった。
軽く伸びをしながら、オーブントースターに食パンを投げ込みトイレに向かう。
そういえば、と思い携帯でアニメを見ることにした。
僕はテレビを付けない。
とくに見たいものがないからだ。
家にあるのにはあるが、オブジェと化していた。
イヤホンを付けて昨日のアニメを見始めたが、なにやら焦げ臭い。
ああ、しまった。
夢中になって踏ん張っていたら10分もこもっていたようだ。
食パンが真っ黒になっていた。
p.m15:00を回った所で誉(ホマレ)に呼びだされた。
「闇鍋を作ったから試食してくれ。」
おいおい、そういうもんは適当なものをお互い持ち寄って一緒に食べるんじゃないのか。
もう既に作ってあって食べるとなると、僕はどう反応したらいいんだ。
既読無視をしようと思ったが、「今行く」とだけ打って部屋を出た。
近所には美味しいケーキ屋さんがある。
これから誉の家に行って鍋を食べるが、別に構わないだろう。
デザートにしてもいいし、どうせなら僕が仕上げにケーキをぶち込んでやってもいいんだ。
まあ、でもせっかくの美味しいケーキにそんな失礼なことはしないが。
ショートケーキにすると誕生日っぽいので、最近新しく出た直径15cmのモンブランを買った。
僕は結局朝ごはんを食べていない。
「はー、お前またか。」
きっと左手の箱のことを言っているのだろう。
最近は1週間に最低1度はあのケーキ屋に寄ってホールケーキを買っている。
もう全種類食べ尽くしたが、このケーキはまだ食べていなかった。
「僕は甘党なんだ。」
「知ってる。」
テーブルの上には既に巨大鍋が置かれ、グツグツと異様な匂いを発していた。
「何を入れたんだ。」
「そりゃあ、言っちまったらつまらないだろ。」
「というか試食の量じゃないよな。」
言ってる間にオタマで丁寧に具をすくい上げてよそった。
途中、つるり、とオタマから何かが滑り落ちたのが見えた。
「はい、どーぞ。」
手渡されたそれは、薄い黄土色をしてトロトロしていた。
「じゃ、じゃあ……いただきます。」
ひと口、甘さの中にしょっぱさがあり、酸味も少し、苦味もあった。
「言わずもがな、これは……。」
「ん?ん?」
とても目が輝いている。
思わず笑ってしまった。
「クソまずいわ。」
辛さは無いものの、複雑怪奇、良薬にしては奇妙な甘さがありどちらかと言えば毒だろう。
ああ、思ったそばから頭が少しフラフラしてきた。
「はははははは!変な顔だな!」
「いやいやいやいや、じゃあ食ってみろよ!」
誉は鍋の匂いを思い切り吸い込んだあと、ゴクゴクと飲み、具をかき込んだ。
「くぅー。効くな。」
仕事終わりのひと口目のビールの顔だ。
「お前味覚おかしいんじゃねぇのー。てか、これ何。プリン?」
「おう。恋(レン)、甘い物好きだろ。」
「合わないから。」
「そうか?まぁ、まぁ。色んなもの入れたし、もう5杯食って堪能してくれ。」
こんなゲテモノそんな食えるかよ。
「……じゃあ取り敢えず1個ずつは全部食べてみるよ。」
「スープも飲めよ」
具だけよそっていたところ、文句を言われてしまった。
向かいに座る誉はすごい勢いで平らげていく。
オタマを取ろうとしたら、先に取られてしまう。
「もっと味わって食えよ。勿体無いだろ。」
「こんなのゆっくり食べてられるか!
舌が麻痺する。」
「お前も美味いとは思ってなかったんだな……。安心したよ。」
誉が全力で食べてる中、何故か楽しくなってしまい、冷蔵庫からデザート用に買っておいたものをトイレに行くと言って持ち出した。
「おりゃああ!」
蟹を頬張る誉の顔面にモンブランはクリーンヒットした。
誉の動きが止まる。
「……え?」
「ははははははは!」
「は!?ふざけんな!」
蟹をくわえたまま、顔とテーブルに落ちたケーキを掻き集め投げるでもなく、僕の顔にゴシゴシと擦り付けてきた。
「うわ、反則!最悪じゃん!」
「先にやったのはお前だから。」
白と茶色のクリームにまみれていてもニタニタしているのが伝わってきた。
「で、結局何入れたのこれ。」
顔を洗って着替えた後、ぐちゃぐちゃになったケーキを盛り付けて食べた。
プリンと蟹とチョコレート、レモン、マグロ、豆腐、白菜、長ネギはわかった。
「あとは……、干し芋とワカメとシュークリーム、かりんとう、甘酒、ウイスキー。」
「は!?酒入れたのかよ!どうもフラフラすると思ったわ!」
「恋がいきなりテンション上げてくるのにビビったわ。そういえば酒弱いんだったな。」
「おうよ。あれは相当だよ。どんだけ入れたの?」
「ボトル1本」
「は!?勿体な!普通に飲んだ方が美味しいし……。」
「……はい!ということで、今回は闇鍋勝手に作ってみました、でした〜!はい、終わり。また明日!」
「マジかー。」
やられた。
コイツがただの興味本位でやることは無いとは思っていたが、また動画を取っていたらしい。
そう、ちょっと有名Youtuberなのだ。
「あ、カメラ。全然気づかなかったわ。てか先言えよ、ふつうに。色々リアクションとか考えたのに!」
「ははは。いいの、いいの。恋、Youtuberじゃないし。なんか隠し撮りしたかったんだよな。」
「じゃあYoutuberじゃない僕を動画に出すなよ。」
「って言っても満更でもないよな。」
動画撮るのって、なんだか楽しい。
いや、誉が面白いのか。
発想は奇抜だが、一緒にいて楽だし話しやすい。
「僕も転職しようかなぁ。Youtuberに。」
「一緒にやるか?コンビ名は……。」
「収入どっちがいいんだろうなぁ。仕事が今少し軌道に乗り始めて、先月よりも上がったんだよな。」
「お前ITだっけ?こんな動画出てていいの?って思うくらいスゲェ企業に就職したよな。順調ならよし。リストラされたら、動画撮ろうぜ。」
「副職としてもありかもな。」
「なんだと!稼いでる奴がさらに稼ぐとは……。俺の動画での売名はさせん!」
「僕は持ってるからな。誉の力を借りずとも伸し上がるさ。」
「くっ……。お前が言うと冗談というか……軽口に聞こえない。マジでやりそうな気がするよ。」
「そりゃどーも。」
「最近なんか雑誌出たんだっけ?」
「ん?ああ、表紙にしてもらったやつか。」
最近ではどうやらYoutuberも雑誌に出るらしい。
誉もまた一つ有名になってしまう。
「あの、お前と一緒に写ってる女の子可愛くない?」
「音夢(ねむ)ちゃん?うん、性格もフツーにいい子だった。なんというか、可憐だね。凛としてるというか。名前の割にしっかりしてる子だと思う。」
「名前の割に、ね。会ってみてーなー。」
「俺と事務所一緒だし、今度イベントやるから来る?」
「マジ!行くわ。」
「俺の友達だからな。特別チケットを授けよう。」
「やっぱり、持つべきものは友達だな。」
「ああ、今後の活躍に期待しているよ。」
「次はどんな企画を吹っかけられるんだか。」
大地と大地の裂け目に海水が流れ、入り江を作った。
夜になると、人魚がやってきて髪を梳いた。
アッシュグレーの髪に、淡いブルーの瞳。
彼女は時たま歌った。
賛美歌のように高らかに歌った。
波の音も星空も皆、目を閉じて耳を澄ませた。
僕はどこへだって行けた。
家に居ても、街を歩いていても、大切な人の隣にいても。
リアルが窮屈になると自然と夢を描いた。
いや、どこへだって行けるのではなく実際は気付いたらどこかへ行ってしまっている、の方が正しいのかもしれない。
無論、心が。
今日の帰り道だって、こんなことを思いながら歩いたんだから。
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