明かせない嘘
所属している部署に着くと、暁斗はデスクにお弁当を置くなり、突っ伏した。
後ろから三十代半ば位の先輩刑事が近付いて、缶コーヒーを暁斗の頬にくっつけた。
「冷たっ!!」
「おっ! おはよーさん、起きたかーー?」
「……頭だけ夢心地っす」
「……あーー、お前ゾッコンだもんな、アリスちゃんにーー」
大きな声で言われて、耳まで赤くなると口をパクパクさせる。
周りの刑事たちからも、冷やかしの言葉を受け、暁斗は思いきり立ち上がって対抗した。
「別に、そんなんじゃないっす!!」
「はいはい、とりあえず朝からミーティングだ。行くぞーー」
「うわっ!! 先輩、危ない危ない!!」
首根っこを捕まれるように襟を引っ張られ、会議室へと足を進め、中に入っていった。
ーーーーーー
「うーー、疲れた!! もうクタクタ……」
ミーティングの後、今追っている事件の聞き込みや、他部署に預けてあった資料の回収、結果を貰って帰ってくると、とっくに昼食時間を過ぎていた。
「仕方ない、刑事はそういうものだからな。さ、この後会議が入ってるし、それまでに昼飯食べるか」
先輩がコンビニ弁当を取り出したのを見て、暁斗も引き出しを開けて、今日貰ったお弁当を机の上に置く。
飽きること無く食べられるのは、アリスお手製であることと、中身が彩り鮮やかで体の事を考えたお弁当だからだった。
奥さんが作った他の先輩たちのお弁当に、箸を口にくわえながら羨ましがっていたが、そんなのも遠い昔のように感じる。
それほど、私生活は満たされていた。
(いつも、ありがとうな)
心の中で呟くと、ふたを開ける。
中身はサンドイッチに唐揚げ、ポテトサラダ。
一見お子さまランチにも見えるが、昔のコンビニ弁当の頃に比べたら、胸が暖かくて開けた瞬間の喜びが全身を駆け巡る。
「お前が幸せそうで何よりだよ。みーーんな、そう思ってんだ」
恋愛と無縁で取り付かれたように仕事一筋だった暁斗が、最近は明るくなり時折、頭から花が咲いているような表情をしているのを見て、周囲も随分安心していた。
弁当の入っている袋の中に、簡易スープの元とともに1枚の紙が入っていた。
折り畳まれた紙を広げて、中を読むと、その文章に思わず赤面する暁斗。
「どーーした? かなり挙動不審だぞ?」
「……いや、……もう本当に、勘弁してほしいです……」
書かれていた言葉は、シンプルなのに、疲れが吹っ飛ぶくらいに嬉しいものだった。
『まだ寒いから、スープで暖まってね?帰りを待ってます!』
アリスの存在に惹かれている自分がいる事を、暁斗自身分からないわけではない。
こんなささやかな幸せをくれるアリスに、心から感謝していた。
「……まだ、決心付かないか??」
「あ、……いや、……そーっすね……」
ただ、全てを手放しで喜べない理由が一つだけあるのだ。
紙コップにスープの素を入れ、お湯を注ぐ。それを持って席に戻ると、サンドイッチを片手に一冊のファイルを取り出した。
サンドイッチを一口頬張る。
「言い難いのは分かるが……いつまでもこのままというのは、難しいぞ。ちゃんと伝えないと」
「分かってるんすけど……」
そこに綴られていたのは、アリスの写真と個人情報。
勿論、アリスの身元の裏もとれていた。
それを言い出せずにいるのは、この生活を終わらせたくないと思う私情であり、任務として、刑事として、きちんと伝えなければならない。
「きっと、伝えたら……この時間も過去になるんすよね……」
「そうだな。……それでも、言わなきゃならないことくらい、分かってるんだろ??」
「……そうっすね」
出会ったあの晩は、面倒臭い事に巻き込まれてしまったと思った。
記憶喪失の、しかも異性を泊まらせるなんて、何か間違いがあったり誤解を招いたら、この仕事を辞めざるを得なくなることくらい、分かっていたから。
でも、生活を共にして行くうちに、表情がくるくる変わり、明るく笑ってくれるアリスの存在が大きくなっていた。
いつしか、この時間がずっと続けば良いとさえ思ってしまっていた。
「……でも、俺……」
伝えなければならないことは、充分承知している。
それ以上に、この幸せを捨てることはしたくない。事実を知った上で、アリスが自分の元に残ってくれる確信もない。
(分かってるよ、これは俺のわがままだって)
写真の中のアリスは、何処か寂しそうだった。
心ここにあらずといった雰囲気で、自分の前にいるときと随分違うように見える。
おとなしく、物静かだという聞き取りに反して、暁斗の前のアリスは天真爛漫で、近くの公園に出掛けたときですら、お弁当を持って楽しそうにはしゃいでいた。
バドミントンの羽根が木の枝に引っ掛かった時も、フリスビーをキャッチすることができず、散歩中の犬に先を越されたときも、些細なことにすら笑顔になってくれるアリス。
(君と、もっと一緒にいたいんだ。その為なら……)
「先輩……人と向かい合うって、怖いっすね」
「んーー、まぁ、そうだな。他人だから、実際相手の事をすべて把握することに無理があるし、分かったつもりにしかなれない。辛いところだ」
先輩は、唐揚げを一つだけ摘まんで頬張った。
暁斗の気持ちが分からなくもないだけに、力付くで伝えることを強制したくなかったのだ。
その優しさに甘えていることを、暁斗も分かっていた。
「……やっぱり、俺……もう少しだけ」
「タイミングは、お前に任せるよ。可愛い後輩くん」
「さーーせん」
苦い顔で笑って誤魔化す。
ーーごめんな、アリス……
すべてを打ち明けたら、君はどうするのだろう。
それでも、ここに居てくれるのか?
黙っていたことを、酷いと罵るだろうか。
……ごめん、ごめんな??
君の為なら、早く教えてやりたいのに。
それができないのは、俺の愚かさゆえなんだ。
いつか知ったとき、嫌われてしまうかもしれない。
それでも、俺は……アリス、君を簡単に手放したくないんだ。
ーーできるなら、このままずっと……
夕陽に照らされ、街が赤く染まっていく。
綺麗な夕焼けに思いを馳せながら、食べ終わると仕事に戻った。
どうしても明かせない嘘。
手がかりが見つからないと伝えている、暁斗のための嘘。
自分を守るためだけど、罪深い嘘。
神様がいるのなら、どうか……アリスを自分から離さないで欲しいと、心から願うことしかできない。
そして、今日もまた、暁斗は、同じ嘘をつく。
二人の嘘が、いつか交わることを願って。
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