ずるくても傍に

天乃ゆうり

小さな嘘

あなたは、覚えていますか?

子供の頃の【憧れ】を。


ヒロインのピンチに、必ず駆けつける【ヒーロー】。


お嬢様の悲しみに、寄り添う【執事】。


王女の傷を優しさで包む【王子様】。


そして、自分が求める【最愛の人】。


手を伸ばした時、掴んでくれる人の存在を……


ーーーーーーーーーー



朝の暖かな日差しと、冬の冷たい風が窓から入り込み、思わず布団の中で丸まっている彼を、エプロン姿の彼女が起こす。

布団を何度も引っ張り、体を揺さぶった。


「暁斗(あきと)起きて? また先輩に怒られるよー?!」


黒髪のショートヘアー、中肉中背というごく一般的な彼、暁斗(あきと)26歳。

必死に起こしている彼女は、アリス二十歳前後。ミルクティ色の髪をサイドでひとつに束ね、細い黒縁の眼鏡をかけている。指に絆創膏をしている彼女に、寝ぼけ眼で暁斗は手を伸ばし引き寄せた。


「んーー、アリス……おはよ……、ふぁあ……あとちょっとだけ……5分したら起きるから……」


抱き寄せたまま、眠ろうとする暁斗に足をバタバタさせてアリスは抵抗する。

微笑ましい朝のやり取り。

二人で暮らしはじめてから3ヶ月、日課のようになっていた。


「んもぉーーまたそんなこと言って!!

暁斗、全然起きないから、ご飯冷めちゃうでしょ?!」


「いでっ!! 全く……相変わらずお転婆だなぁ……とても記憶喪失には思えないよ」


デコピンをされて渋々起きると、暁斗がため息混じりに口を尖らせる。


「だって、怒られてる暁斗、見たくないもん……だから、ね?」


「んっ、……そーゆー可愛いこと言われると、何も言えなくなるじゃないか」


ちょっとだけ照れ臭い。

そんな表情で、暁斗は頬を掻き、立ち上がって洗面台に向かった。

その背中を見て、眉を下げて笑うアリス。


「ほら、寝癖ついてるよ? 暁斗は、立派な刑事さんなんだから、ピシッとしなくちゃね?」


ちょこんと、はねた後ろ髪を見つけて声をかけたあと、台所に戻ってコーヒーを淹れる。

少し薄めのブラックコーヒー。

暁斗が一番好きな分量。

好きな人のことは、ちゃんと知っていたい。

アリスが自分の分のハーブティを淹れて、二人の飲み物をもってリビングにあるテーブルに置くと、丁度顔を洗い寝癖を直した暁斗が洗面所から戻ってきた。


食パンとスクランブルエッグに、ベーコンとサラダ。

コーンポタージュは市販のものだとわかっていても、ここまで揃えてもらえると、独身男子としては嬉しいものだ。


「相変わらず、頑張るんだなぁ……そんなに気を遣って、疲れないか?」


暁斗の問いかけに、アリスは首を横に振る。


「だって、暁斗が引き取ってくれたから、今の私がいるんだもん。だから……感謝してるのよ?」


二人の出会いは、今から三ヶ月前の夜。


暁斗が仕事から帰る中、公園のベンチで呆然と座り込んでいるアリスを見かけたところから始まった。


そのまま警察署に連れていくところだったが、職場の先輩刑事に連絡したところ一先ず自宅で預かるように言われた。


後から先輩刑事と共にアリスから色々聞き出そうとするも、出会う直前までの記憶が無いことが判明する。


捜索願いが出されていないか確認している間、暁斗の家で預かることになり、今に至るのだ。


朝食を食べて一息つくと、ニコニコと笑みを浮かべたアリスが歩みより、ぼんやりと考え事をしている暁斗の頬を突っついた。


「早く見つかるといいんだけど……わっ!!

あ、アリス?!」


「はいっ、暁斗!これ、今日の分。デザートにミカン入れたから、ビタミンも補給してね?」


可愛らしい手提げ袋。

その中に入っているのは、暖かな手作り弁当だ。

毎日欠かすこと無く、手渡しているお弁当にはアリスなりの感謝の気持ちが込められていた。

受け取った暁斗は、少し戸惑いながら目尻だけ赤く染める。


「……ふりかけでハートはしてないよね?」


「ん? してないよ?」


「もうしちゃ駄目だよ?」


「どうして? ……あ、もしかして何か言われる? 冷やかされちゃいますか?」


眼鏡の縁を光らせて、冗談混じりに言ったアリスの頭をくしゃくしゃと撫で回して、暁斗は鞄にお弁当をしまった。


「全く……少しでもアリスの手がかりが掴めるように頑張ってくるから、おとなしくしてるんだよ?」


「もーー、子供じゃないんだから、毎日言わなくたって良いのにーー。そのうち耳にタコが出来る気がする!」


拗ねたように口を尖らせながら、玄関に向かう暁斗を見送りに後ろを歩いた。

靴を履いた暁斗は、振り向いて手を振る。


「じゃぁ、行ってくる」


「怪我しないようにね? 行ってらっしゃい!」


パタンと扉がしまると、扉に向かって頭を下げた。

そこで、アリスは眉を下げたまま呟くように口を開いた。


「暁斗……ごめんね、……ごめんなさい」


ワンピースの裾を握りしめて、数回呟いた後、頬を二回両手で叩き気合いを入れてリビングに戻った。

二人分の食器を片付け始める。


ーー本当は、忘れてなどいなかった。


自分の住所も、身元も、何もかも。


それでも、あの時。


出会ったときに感じた不思議な感覚。


暖かくて、優しくて、それでいてドキドキして幸せな気持ち。


今まで閉じていた扉が、一気に開いたような衝撃から、暫く固まってしまったのを運良く勘違いされて今ここに居られる。



「ごめんね、暁斗……」



好きな人の傍にいるための、小さな小さな……小さな嘘。









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