静かに落ちる

せの

第1話

「実家に帰ろうかな。」


冬の残寒のような冷たい風が吹く3月の夕方5時。私はふいにそんなことを呟いた、帰宅するサラリーマンや学生で溢れかえるコンビニ中で。


「え?」


ごとん、と缶ビールがカゴの中で倒れる。私の隣で先程まで楽しげに缶ビールを選んでいた彼が可愛いまん丸い目をこちらへ向けた。


「実家、って、あの?」


「そう。奈良の。」


「なんでまた。あんなに嫌がってたのに。」


彼が驚くのも無理がなかった。高校を卒業して実家、もとい奈良から逃げるように東京の大学に進学した私は、大学四年間、一度として実家へ帰らなかった。だから、東京での友人や、恋人の彼が実家嫌いのイメージを私に持つのも無理はない話だった。


「就職も決まったし、実家にはまだ私の荷物がたくさんあるしさ。もうそろそろ、全部まとめて来ようと思う。」


彼はまだ腑に落ちないような顔をしながら、ゆっくりとカゴを持ち上げてレジの方へと進む。


「まあ、それは良いことだと思うけどね。いつ行くの?」


「明日。」


「明日?それはまた、急いでるなあ。」


「はやく片付けて東京に染まりたいんだよね。」


「充分だと思うけど。」


彼はそう言ってははっと笑った。

彼、竹内 駿と出会ったのは私が東京で一人暮らしを始めて最初に暮らし始めたアパートだった。同じ歳で、根っから東京の都会で育った彼は、自立するために一人暮らしを始めたそうで、田舎から一人ぼっちで出てきた私の、少し寂しかった気持ちに寄り添ってくれるようになった。周りからも「駿くん」「駿ちゃん」「駿」と皆んなが親しみを込めて下の名前で呼ぶような彼は東京での私の交友関係をかなり広く持たせてくれたし、私の東京は彼がいなければ何一つうまくいかなかったんじゃないかと思っている。

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