大切な人 3

一軍での試合に、隅田はスタメンで出場することになっていた。


隅田は精神的にも肉体的にも疲弊しきった状態で球場にたどり着いた。


試合の直前になっても、隅田は恋人の死を監督やコーチ、仲の良い選手たちには伝えなかった。



ここでも「伝えたところで加奈子は戻ってこない」という考えがずっと浮かんでいたと同時に、失望と疲労からそこまで脳が機能していなかった事も要因になっていた。



7番サードで先発した隅田だったが、やはり思考は完全にストップしているかのようで、何事も考えられなかった。


一回表のレッドスターズの守備。相手チームのニ番打者が打ったボールは隅田の前へと転がっていく。


ハッとした隅田。


「ああ、そうだ。俺はこのボールを追いかけて、捕球して、投げなければ」


そこまで脳に命令したが、身体は上手く動かず、ボールはグラブを弾いて、隅田の後方へと転がっていく。



これが皮切りだった。


この回に二つのエラーを記録すると、二回には一つ、三回には二つと、隅田の方向に飛んで来た全てのボールをエラーし、とうとう交代を告げられた。



スタンドからは大きなヤジが飛んだ。



「おい、しっかりせーよ!」「何やっとんじゃあ!エラーしすぎやろがあ!」「プロ野球辞めてまえー!」



正直、もうやめようと、隅田は本気で考えた。野球でいくら頑張ったとしても、活躍して一流選手になれたとしても、加奈子は居ない。喜びをわかちあう存在も居なければ、辛い時に支えてくれる人も居ない。





何より大切にしなければならなかったのは、他のものではない。



加奈子だった。



そう、気付いた時にはもう遅かったのだった。

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