サウスポー 3
「肩が壊れた、というのはどんな状態だったんですか?」
テレビの画面の中では、ホームで苦しそうにもがいている藤堂の周りに、選手たちが集まっている。その中心には、不安げな表情で藤堂に声を掛けている、若き日の尼崎の姿があった。
尼崎は藤堂に「おい、大丈夫か?」と問い掛けながら、グラウンドの隅で見ていた保護者を呼び、すぐに病院へと連れて行くようお願いしていた。
相沢は、テレビの画面から、正面に座っている現在の尼崎へと視線を移す。
「まあ、簡単に言えば肩のスジが痛んだって感じや。壊れたってのは大げさかもしれんが、藤堂にとっては、壊れたのと同じくらいの精神的なダメージがあった」
「ダメージ、ですか…」
「ああ、そうや。確かに肩にはダメージがあったが、ボールが一生投げられんとか、野球がもうできひんとか、そんなレベルではなかった。実際にそこから焦らずリハビリをしていったら、状態はだいぶ良くなったんや。でもな、本人はもう投げられんかった。イップスや。身体が治っていても、精神的に意識してしもて、全力で投げられんし、コントロールもむちゃくちゃや。医者はもう治ってるって言ってたんやけどな」
「じゃあ、右投げに転向したのって…」
「そうや、もう左では投げられへんと自覚して、右で投手ができるように、あいつは練習したんや」
イップスとは厄介なものだ。身体のけがの場合、ある程度治るか、治らないかの判断、また治るとしたらどれくらいの期間かかるのかが分かるのだが、精神的なもの故にその判断ができない。もしかしたら、明日治るかもしれないし、一生治らないかもしれない。
「左肩はもう治っているんですか?」
尼崎は苦笑いで答える。
「ああ、実はあいつの左肩はもう中学の時に治ってるはずなんや。ただ、治っていてもボールを投げると痛みを訴えたり、全力で投げられなかったりしたから、左で投げるのは諦めたらしい」
ここで相沢は藤堂のあの事件の事をふと思い浮かべていた。
「あの、尼崎さんは藤堂君のこれまでの試合や野球をやっているところをずっと見てこられたんですか?」
「ああ、あいつがうちの少年野球チームを卒団してからは、できる限りあいつの試合には足を運んだよ」
「プロになってからも?」
「もちろんや。自分の教え子がプロで頑張ってるんやで。そりゃ、見に行くわな」
「あの、乱闘事件、覚えてます?」
尼崎がどこか寂し気に目を伏せる。
「ああ」
「あの時から、藤堂君は人が変わってしまったと、うちの坂之上さんが言っていたんです。わざとボールを相手選手にぶつけたりするとかいう噂も流れているそうで。ただ、私は違うと思ったんです。彼は左肩が使えないと分かってから、右で投げる練習をしたんですよね?それでプロに入ったんですよね?そこまでする選手が、わざと、頭部を狙うなんてこと、するかなって」
「当たり前や。あいつがわざとデッドボール当てるなんてするはずないわ。あいつはな、めちゃめちゃ野球が好きやねん。もう、どうしようもないってほど。これは俺の考えやけどな、あいつ、またイップスになったんちゃうかなって、そう思ってんねん」
尼崎の指摘と、相沢の予想は一致していた。あの乱闘事件の時、危険球を投げてしまったことで、また精神的にボールを投げるのが怖くなってしまったのではないか。それは想像でしかなかったが、尼崎の言葉で、相沢の中に確信が生まれたのだった。
「尼崎さん、何か良い方法はありませんかね?」
「方法って?」
「藤堂君のイップスを治す方法です」
「うーん、どうやろうなあ。こればっかりはなあ。技術的なもんやったらいくらでも教えられるんやけどなあ」
尼崎は腕を組んで黙り込んでしまった。
ただ、相沢自身も良い策は一向に思い付かず、二人は向き合ったまま、思考を巡らせ続け、時間だけが過ぎていったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます