確証

「監督、一つ気になることがあるんですが」


相沢は森国の考えに気づいていた。森国だけなら納得するかもしれない。だが、対外的に鮫島の疑惑を払拭するには何かしらもう一つ、別の視点からの指摘がなければならないと。だからこそ、「これは伝えておかなければならない」と感じ、相沢は口を開いた。


「気になることとは?」


「この映像変じゃないですか?」


森国には相沢の言葉の意味が飲み込めなかった。


「変?何処が?」


相沢は映像を一旦、頭まで巻き戻し、確認しながら指差す。


「これって、ずっと鮫島君ばかり映ってますよ?」


「それの何が変なんだ?」


「確かこの試合ってテレビ中継が入ってましたよね?最初、私はこの映像がテレビ中継のものかと思っていました。でも、これはたった一人の選手、鮫島君だけを映しています。しかも、試合開始からゲームセットまでですよ。という事は、あらかじめ誰かが鮫島君だけを狙って撮影していたという事です」


「だからと言って変だとは言えないんじゃないか?」


「いや、大いに変です。だって、鮫島君・・・だけですよ?最初から不審な動きをする事を知っていたような感じじゃないですか?または…」


「または、何だ?」

森国にも幾つかの可能性が浮かんでいるようだった。その考えを確認するかのように相沢の言葉を待つ。


「うちのチーム全員・・の映像を撮影して、その中から不審な動きを探し出そうとしていたとか」


森国の眉間に皺が寄る。


「監督、この映像は何処から?」


相沢の疑問に森国はハッとして記憶を辿る。


「これは球団の事務所のパソコンにメールで送られてきたものだ。電話で鮫島の八百長を指摘してきた人からのものだったはずだ」


「その人とは連絡を取る事は可能ですか?」


相沢は口調を強めて森国に問う。


「いや、この八百長の指摘は匿名の人物からだった。だから、連絡先も分からないんだ」


「そうですか。でも、これで監督にも分かって貰えたはずです。今回の騒動の疑わしい部分が。これは鮫島君を嵌める為の罠の可能性が高いと私は思います。確かに試合中に疑われるような動きをした鮫島君にも非はあると思います。ですが、こちらの検証では八百長の事実は認められませんでしたよね?誰がこんな事を考えたかは分かりませんが、映像を確認すれば鮫島君の動きが試合の結果に影響していない事は明らかだと思います」


森国は天井を見上げて一息つく。


「とにかく、相沢の言いたい事は分かった。そして、鮫島が八百長をしていないという意見に、俺も今は賛成だ。球団事務所にこの事を報告して最終的には上の判断になるだろうが、おそらく鮫島の謹慎も解けるだろう」


相沢の肩から力が抜け、こちらも一つ息を吐いて、安堵の表情を浮かべた。


「ありがとうございます」


森国は相沢と栃谷の背中を叩く。


「いや、これを証明したのはお前たちだ。礼を言われる覚えは俺にはないよ」





翌日から鮫島は練習に復帰する事になった。

朝、練習に向かう前に、相沢と栃谷は鮫島の部屋を訪れた。


相沢がノックしようとした時、ほぼ同時にドアが勢いよく開いた。鮫島もちょうど部屋を出ようとしていたところだった。


「うおっ!」


ドアを挟んで双方から驚きの叫びが上がる。


「びっくりしたあ」


鮫島は心臓を抑えながら「どうしたんですか?」


「いや、びっくりしたのはこっちもだよ。そんなに勢いよくドア開けなくても」


「いや、野球できるのが嬉しくて」


「だろうね。あ、とりあえず俺たちが来たのは鮫島君を迎えに来たんだ」


「やめてくださいよ、俺は子供じゃないんすよ。グラウンドくらい一人で行けますって」


「俺たちも嬉しくてさ。まあ、今日だけだよ」


「んじゃ、今日だけっすよ?」


鮫島は頭を掻きながら「しょうがねえなあ」とは言っているが、何処となく照れているようだった。


「監督がさっき言ってたけど、今日遅刻したら地獄の兎跳びだって」


栃谷が急かすように二人に告げると、鮫島は「そりゃ勘弁」と真っ先に駆け出した。相沢と栃谷もその最悪の事態を避けるために、笑顔を取り払ってグラウンドに走り出した。






グラウンドに向かう最中、鮫島は走りながら風を感じていた。


これまで、自分は心から野球に向き合っていただろうか。泰祐君の事も、勝手に自分で責任を感じ、勝手に人を巻き込んで、自分が現実から逃げる言い訳にしていなかっただろうか。


あの日、泰祐君に30分置きに送っていたサインはテレビ中継で一瞬だけ拾われ、映し出された。それを泰祐君はちゃんと見ていてくれた。「手術頑張るよ」と試合後にメールが入っていた時には、手術は成功すると信じて疑わなかった。


もし、自分が手術を受ける勇気を与えなければ、泰祐君はそもそも手術自体を拒否し、僅かかもしれないが長く生きられたかもしれない。そう考えたこともあった。


だが、それは間違いではないかと今になって思う。泰祐君はただ、生きたのだと。どんな苦境であっても、最後の一秒まで生きようとした。その思いの分も背負って、泰祐君とともに生きていくことこそ大切なのではないかと。



「泰祐君は病気、俺はプロ野球、違うフィールドかもしれない。でも、俺たちは負けを最初に認めちゃ駄目だ。だって、俺たち男だろ?男なら最後の最後まで、諦めずに立ち続けなきゃ、それこそカッコ悪いぜ」

鮫島があの日、泰祐に送った言葉はその心に少なからず響いた。

「僕は病気なんかに負けない」

そう言った泰祐の表情は男らしかった。

「そうだ、お互い負けないように頑張ろう。男と男の約束だ」


鮫島はふと立ち止まって、あの日の試合のサインを空に向けて送る。


『男の約束、忘れるなよ』



きっと、何処かで見ているはずだろう。これからもきっと見ててくれ。俺も最後まで戦い抜いてやる。


鮫島は吹っ切れたように球場への道を再び走り始めた。

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