八百長
「それで?監督は俺がサインを出していたと?」
鮫島は椅子の上で不貞腐れたような態度を見せながら、首を傾げる。
ホテルの一室。テーブルを挟んで対面しているのは森国だった。
「いや、それが分からないからお前にこうして訊いているんだろう?」
「ふん。もし、俺がやっていたとしても、『俺がやりました』なんて言うわけないですよ。証拠でもない限りはね」
鮫島は面倒くさそうな仕草こそするものの、森国の視点からは、冷静に見えた。野球のプレーは日常生活にも現れ、日常生活は野球のプレーにも現れる。そういうものだ。鮫島はグラウンドでも動きそのものは怠慢に見える。だが、実際によく観察してみると結果は他選手よりも秀でているのだ。
分かりやすく言えば、守備位置だろう。一見、レフトの定位置から動いていないように見えても、打者がボールを見送った後にもう一度見てみると、いつの間にか場所が移動している。
もちろん、偶然だと感じる人の方が圧倒的に多いだろう。「たまたまだろ?」と。
だが、偶然も重なれば必然だ。本人は「俺がそこまで考えてプレーしているはずがないでしょ?」と言っても、森国の中に確信は抱かれている。
「あんまり、そう怒らないでくれ。こちらとしても、そういう情報があったら嫌でも、調べなきゃならないんだ」
「そんな事言いながら、監督も俺が八百長をしていたと思ってるんでしょう?」
森国は頭の中で一旦整理した後、昨シーズンの試合での事を切り出した。
「教えてくれないか?去年の8月10日の東北パルサーズとの試合だ。その試合で、お前はレフトの守備位置で頻繁に帽子やユニフォームに触っていただろう」
「そんな、シーズン中のたった一試合のことを思い出せって言われても、無理ですよ。監督はその時の試合展開や、自分がどんなサインを出したかを覚えてます?」
確かに鮫島の言うように、人間の記憶力など曖昧なものだ。現に鮫島の言うようにどんなサインを出したかなど森国も覚えていない。だが、見れば別だ。
「これを見てくれ」
森国は足元のバッグからノートパソコンを取り出し起動する。暫く森国が操作した後、画面には8月10日の試合の映像が流れた。
「なんですか?この映像。俺ばっかり映ってるじゃないですか?」
「これは、ある人から提供されたその日の試合の映像だ。よく見て欲しい。試合中、お前は帽子やユニフォームの胸、肩の部分を頻繁に触ってると思わないか?」
「いや、これは…そう、癖ですよ。そりゃあ、試合中に帽子くらい触りますよ、これで八百長って言われちゃあ、試合でちょっとでも動いたら八百長になっちまいますって」
「だがな、他の試合の映像を確認してみたが、そこではお前は不自然な動きをしていなかったが。これはどう説明する?まさか、この一試合だけ、癖が出たというのか?」
渋い表情を浮かべた鮫島は、その後、押し黙ってしまい、森国が何を聞いても答えようとはしなかった。
「鮫島、今日はもう良い。とりあえず自分の部屋に戻れ」
森国が告げると、鮫島は目を合わせることなく立ち上がり背を向ける。そして「俺やってませんから」とだけ言って、その部屋を出て行った。
森国も分かっている。
鮫島がそんな事をするはずは無いと。鮫島は人一倍努力してプロへの道を掴んだ。そんな人間が、簡単に八百長などをする訳がない。
だが、疑いがある以上は調べて、潔白を証明しなければならない。
コンコン。
部屋のドアがノックされた。
ドアを開けると、相沢と栃谷が立っていた。
「どうした?」
森国が聞くと相沢は「あの、申し訳ないんですが、お休みを頂きたくて」と言う。
「はあ?何故?」
「鮫島君のことでちょっと」
「その事はこっちで話を付ける。いいか、首を突っ込むんじゃないぞ。お前たちは練習に専念しろ」
「そうは言っても…」
「とにかくだ、休みは認められん。ほら、二人とも部屋に戻れ」
頭を下げてドアを閉める相沢と栃谷の姿はどこかもの寂しげに見えた。
そして、二時間後。
ドンドンドン!
今度はノックではない。ドアを叩く音だった。
「今度は誰だ?」と呟きながらドアを開けると、坂之上が立っていた。
「何だ?そんなに慌てて」
「あの、監督、いません」
その顔は少し青ざめているかのように見えた。
森国に嫌な予感が走る。
「居ないって誰が?」
「鮫島です」
「はぁ?あいつはちゃんとコーチが見張ってたはずだろ?」
「コーチがトイレに行ったタイミングを見計らって、抜け出したみたいです」
「それで、どこに行ったかは分からないのか!?」
「はい、今チームのみんなで探しているところです」
そういえば、あの二人はどうしているのか。
「おい、相沢と栃谷は?」
「え?いや、見てませんけど。監督、さっき二人に休みを取らせたんですよね?二人が言ってましたよ。明日はオフにしてもらったって」
森国の中にまたもや怒りがふつふつと込み上げてくる。
「あぃざわあああああ!とちたぁにいいいいい!」
そう叫んだ森国は一目散にホテルの部屋を飛び出していった。
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