勝負 2

森国から送られてきた手紙には、やはり感謝の言葉が綴られていた。


「栃谷由美子様、そしてご家族の皆さん、その節は本当にありがとうございました。


代わりになるかは分かりませんが、先日の試合で打ったホームランボールを送らせていただきます。


うちの息子は生まれつき身体が弱く、目も先天的に見えません。まだ、2歳ですがすでに一度、心臓に関わる難しい手術を行っており、半年後には二回目の手術が待っています。


親として、出来ることは何かと日頃から考えていました。そして、誕生日にホームランボールを息子にプレゼントすることができ、まだ小さいのでよく分からずに触って遊ぶくらいですが、妻も心から喜んでくれました。


ただ、あの日ホームランを打つことができたのも、それを息子さんが掴んでくれたのも何かの巡り合わせのような気がするのです。


うちの息子はもし、手術が成功したとしても激しい運動は出来ないだろうと医者に言われています。一緒に私と野球をするのは難しかもしれません。


だから、栃谷さんの息子さんがプロ野球選手になりたいと私に言ってくれた時、心から嬉しく思いました。なんだか自分の息子に言われているような気がしたんです。


今は息子のために、日々の試合でベストなプレーを見せられるように努力していくつもりです。


また、島根で試合がある時には、必ずご招待させていただきますので、応援をよろしくお願いいたします」



由美子は読み終わった後も、その手紙を目で読み返していた。きょうだいたちも、全員が一言も言葉を発しないまま、その様子を眺めていた。

栃谷は純粋に思った。

「そんなに小さい子が手術をするというのは、辛いだろうし、怖いだろう。そんな時、お父さんからのボールがあったら、自分ならどれほど心強いか。そして、自分は悔しがったけど、母さんの判断はは間違っていなかった」と。


その日から栃谷は野球の道を歩み始めた。そして、森国が目指すべき選手像になった。打席では冷静さと分析力を兼ね備え、チームメートやファンが打ってほしい時に、きちんと打ってくれる。優しく、人への思いやり、感謝を忘れない。そんな、選手になりたいと思っていた。





過去の思い出から、再び現在のグラウンドに意識を引き戻された栃谷はバッターボックスで目を開く。


もし、森国ならどうするだろうか。どうやって相沢のボールを打つだろうか。そして、相沢ならどうやって自分を打ち取ろうとするだろうか。


ここまでの2球を見れば、その制球力の良さには太鼓判が押せる。いずれも全く同じコースだ。ボールはナチュラルにシュート気味の回転をしている。アンダースローなら、考えられる変化球はスライダー、カーブ、シュート、シンカーくらいだろうか。


だが、ここはもう一度、内角高めのストレートに来るとヤマを張ろうと、栃谷は決め、打席の足場をならす。「もしストレートでなくても、スピードはそれほど速くない。カットなら出来る」と考えて、ストレート待ちを選択したのだ。



3球目を投げようと相沢は大きく振りかぶった。


先ほどまでのボールはノーワインドアップだったが、次はワインドアップだ。

栃谷に考える隙を与えず、相沢はオーバースローでボールを投げ込む。


「今度はオーバースロー。なるほど、どんな投げ方でもイケるってことですか」


ボールは真ん中に来た。栃谷は投げ方の違いに多少動揺したものの、バットを始動させる。


栃谷には、完璧にそのバットの軌道がボールを捉えたかのように見えた。だが、球は消えた。手応えも無かった。

裕也もそのボールを取れず、バックネットの方へ転々と転がっていった。


「相沢さん、フォークですね」


「あ、やっぱりバレちゃったか?でも、良いフォークだったでしょ?」


「ええ、確かに球速はプロの他の投手よりは遅いかもしれませんが、このフォークの落ち方は凄いですね」


「栃谷君も良いスイングだったよ。投げててこっちが怖くなるくらいのスイングの音だった」


栃谷は大きく伸びをして、打席を出る。


「相沢さん、ありがとうございます。なんとなく、吹っ切れた気がします」


相沢は何も言わなかった。いつも通りの穏やかな表情に戻っている。

「僕は母のために野球をしてきました。でも、それがいつしか自分自身へのプレッシャーにもなっていた気がします。もちろん、これからも母への想いは変わりません。ただ、気づきました。プロってどんな状況であってもベストを尽くすのは当たり前で、その上で結果を残さないといけないと。母が亡くなったことでベストを尽くしてなかったのは、ただ言い訳を自分に与えていただけだと。でも、その間違いにようやく気付けました」


相沢はそっと微笑み「さあ、キャンプ、戻ろうか」とだけ言ってマウンドを降りる。


相沢とともに栃谷がグラウンドを出ようとすると、裕也が歩きながらボソッと呟く。


「兄さん、相沢さんがいるなら、もしかしたら本当にレッドスターズは優勝するかもしれないよ」


「どういうことだ?」と栃谷が尋ねても、その理由について裕也は何も言わずに、クスッと笑みを浮かべるだけだった。




二人がキャンプに戻ると、相沢が事前に連絡を入れていたらしく、森国が宿舎の前で出迎えてくれた。


栃谷が森国に頭を下げる。


「監督、どうもご迷惑をお掛けしました」


「お前ら…どこに行ってた?」


栃谷は驚いたように相沢の方を確認する。相沢は監督に行き先を告げていなかったのか、栃谷の方を向いて両手を合わせ「ごめんね」と呟く。栃谷は慌てて事情を説明しようとする。


「えっと、あの、島根に…」


「はあああ?!島根だとおおお?!お前らは今がどんな時期か分かってんのかあーー!」


森国の説教は止まることなく、その後、30分ほど続いた。


その間、栃谷は森国のの言葉を受け止めながら、その姿を改めて眺めていた。


目指していた選手が目の前にいる。自分を気にかけ、怒ってくれる。そんなことを考えていると自然と嬉しさが込み上げ、いつの間にか微笑んでいた。


「てめえー、なあに笑っとんじゃあー!」


「すいません!」


こうして、キャンプの夜は更けていった。

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