初恋狐草紙

一視信乃

1. コンなパニック

 聞こえる。

 何か、音が聞こえる。

 心地よい微睡まどろみの中、オレは耳をそばだてる。


「……ラダ……ゼ……ショウ……」


 これは声だ、ヒトの声。

 若い男の声だろうか。

 老いた女の声だろうか。

 ぼそぼそとして聞き取りにくいが、不思議と心惹かれる響き。

 さらに深く耳を澄ませば、声は少しずつ明瞭になってゆく。


「……ニョゼチクショウ ホツボダイシン サクラダヨリマサ ニョゼチクショウ ホツボダイシン……」


 何度も何度も繰り返される、意味不明な言葉の羅列。

 子守唄にしては一本調子で、どっちかっつうとお経みてぇだ。

 そう思って聞くと、さらに、はっきり語句を聞き取ることが出来た。


さくら頼正よりまさ にょちくしょう ほつ提心だいしん 桜田頼正 汝是畜生 発菩提心……」


 桜田頼正。

 なんか聞いたことあるような……って、それ、の名前じゃねぇかっ。

 コイツは、オレに呼びかけてんのか?

 一体、何の為に?


 気にはなる。

 気にはなるが、だが眠い。

 もう少しこのまま眠っていたい。


「オイっ! いい加減目を覚ませ、桜田頼正っ! たぬきじゃあるまいし、聞こえてんのはわかってんぞっ!」


 耳元で怒鳴られ、慌てて飛び起きたとたん、身体からだがコロンと転がった。


(うわぁっ!)


 オレはそのまま一回転して受け身を取る。

 自分でいうのもなんだが、寝起きとは思えぬ俊敏な動きだ。

 いつもより身体が軽い気がすんのは、とてもよく寝たお陰だろうか。

 頭もすごくスッキリしている。


「なーにやってんだ、オマエは」


 いきなり呆れたような声が、頭上から降ってきた。

 少しハスキーな若い男の声だ。


「そんな風に立とうとすれば、転ぶに決まってんだろ。バカか」


 横柄な口振りだが、声そのものは気高く甘い。

 一体、誰だと顔を上げ、オレは驚いた。


(デカっ!!)


 そこに立っていたのはなんとっ、軽く2メートルは越えていそうな大男。

 見上げてると、首が痛くなりそうだ。


 彼は少し身を屈め、こちらへ手を伸ばしてきた。

 慌てて身を引こうとしたが、男の動きの方が早い。

 オレは大きな手に捕らえられ、子供っつうよかペットみてぇに、軽々抱き上げられてしまった。

 中二男子をこんな風に扱うなんて、マジどんだけ怪力なんだよ。


 目の前に来た男の顔を見て、オレはさらに驚いた。

 ゴリラみてぇな、ごっつい化けモン――かと思ったが、全然違う。

 なんつうか、すげぇキレイだ。


 なまちろい肌に、腰までありそうな灰白かいはくしょくのストレートヘア。

 整えられた細いまゆの下、長いまつに縁取られた切れ長のふたの目ははくのように黄金おうごんに輝き、目尻に施された赤い化粧が、その印象をより強める。

 スッと通ったりょうや、ごく淡く色付いた薄い唇、ほっそりとした輪郭はれんで、清々しく上品なおこうのニオイもするけれど、男だよなぁ、やっぱし。

 赤紫の着物の上に、昔の貴族や神主かんぬしっぽい丸襟まるえりの白い着物を重ねて着てるのでわかりにくいが、襟元からチラッと覗く首筋や肩のラインは、結構たくましそうだ。


 オレをじっと見つめ、男は表情を緩める。


「オマエ、自分が今、どういう状況にあるか、わかってんのか? まあ、恐らくわかってないよなぁ」


 小馬鹿にしたような台詞セリフさえ、心地よく聞こえる甘い声。

 コイツは一体、何者なんだ?


「あ? 俺が何者か、そんなに気になるか? だったら、先に教えてやる」


 まるで、オレの心を読んだかのようなタイミングで、男はいった。


「俺は、神――のようなモノだ」


 はぁっ?

 神っつうのもアレだが、ってなんだよ。


「神と非常に近しき存在。いずれ神になるモノ――といってもいい。ちなみに、ヤバいヒトではないから安心してくれ」


 いやいや、安心出来っか。

 怪しすぎるわ。


 思い切り身体をひねると、男の手があっさり外れた。

 結果、かなりの高さから落っこちる羽目になったが、うわっと思った次の瞬間には、空中で体勢を立て直し、両手両足を付いてしっかり着地してたので、おのれの身体能力のスゴさに自分で感心してしまう。

 だが、そっから立ち上がろうとしたら、また無様に転がってしまった。

 なんなんだよ、もう。


「だぁから、そんな風に立とうとしたら、転ぶっつってんだろ」


 男が再び、手を差し伸べてくる。

 それを右手ではたこうとして、オレは我が目を疑った。

 伸ばした腕全体が、やや赤みを帯びた黄褐色の毛に覆われている。

 それも、柴犬のようなモフモフとした毛並みだ。


(何だ、コレっ?)

「ん、お手か? よしよし、いいコだ」


 男は屈んでオレの手を取り、反対の手で頭を撫でてくる。

 なんだよ、人を犬扱いしやがってっ。

 そう思いつつも、だんだん不安になってきた。

 よく見りゃ腹にもふさふさした白い毛があるし、視界にちらつく長い鼻面とか明らかに、人のモンじゃねぇような……。


(もしかしてオレ、犬になってるぅーっ!?)

「犬だと? バカをいうな。食肉目イヌ科ではあるが、犬ではない」


 男が、愛を囁くのと同じトーンで告げたのは、耳を疑いたくなる言葉。


「キツネ属アカギツネの亜種、ホンドギツネだ」


 そして、目の前に差し出された丸い鏡には、実に愛くるしい狐の子供が映っていた。

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