走れメロスを『BL』にしてみた

玄栖佳純

シラクスにて

第1話 妹からの手紙

 メロスは美しい青年だった。

 色白で金髪で碧眼で華奢で、ともすれば少年に見えてしまう。


 そして、とても足が速い。



**



 二年前までメロスは唯一の肉親である妹のフレイアと暮らし、羊飼いをしていた。メロスはフレイアを溺愛していたが、フレイアの彼氏がメロスの元カレだったことがバレ、家から追い出された。

 

 それで仕方がなく村から10里(約40km)離れた王都シラクスに行き、そこで石工をしていた幼馴染のセリヌンティウスの家に居候することになった。


 シラクスの繁華街から少し離れた石造りの家の隅にあるリビング。丈夫な木でできたテーブルの椅子に座り、メロスは最愛の妹から来た手紙を読んでいた。


 メロスは信じられなかった。

 故郷にいる妹からの手紙を読み、目を輝かせていた。


「せっちゃん、フレイアが家に帰って来て欲しいって」

 夕食の支度をしていたセリヌンティウスに、嬉々としてメロスは言った。


 彼は親友のことを『せっちゃん』と呼ぶ。幼い頃のメロスは友を長い名前で呼ぶことを簡単に諦め、それはいまだに続いていた。

 セリヌンティウスも使われている本名の文字が少ないことが逆に特別に思えた。それに笑顔のメロスに『せっちゃん』と呼ばれるのは悪くない。


「え?」

 たまたま近くを通ったセリヌンティウスは耳を疑った。


「なんで?」

 立ち止まって友に聞く。


「結婚するんだって」

 友の問いにメロスの表情は曇る。


「誰と?」

 セリヌンティウスは意味がわからなかった。


「あいつ……」

 金色の髪に触れ、曇った顔も愛らしかったが。


「まさか?」

「そうだよ……」

 セリヌンティウスはメロスのいろいろなことを知っている。


「別れるだろ? ふつう。っていうか、まだ続いてたのか?」

 セリヌンティウスは兄を追い出した傷心の妹が新しい恋を見つけ、その相手と幸せな結婚をするのだと思った。


「続いてたから結婚するんだろ?」

 メロスは不服そうに言う。


 妹の夫になるのはメロスの元カレだった。

 元カレだとバレたのも、メロスが目当てでフレイアに近寄り、よりを戻そうとメロスに言い寄っていたところを見られてしまったのだった。


 ちなみにセリヌンティウスは彼氏とかではなく、純粋な友である。小さい頃から共に育った幼なじみで親友だった。

 メロスの今カレは別にいた。


 すぐに終わりそうにない気配がしたので、セリヌンティウスは持っていた食器をテーブルに置くとメロスの正面に座った。


「詳しいことは書いてないんだけど、結婚式があるから帰ってきてくれって」

「村に帰るのか?」

 心配そうにセリヌンティウスは聞く。


「もちろん。どういうことなのかわかんないから会って聞きたいし」

 遠くを見つめるような瞳でメロスは言う。


「大丈夫なのか?」

「手紙だけだとわかんないけど、でも優しい言葉で書いてあるんだよお」

 そこにメロスは感動していた。


「じゃあ、大丈夫そうなんだな」

 セリヌンティウスは心がチリっとしたが優しく微笑み、友を思いやってそう言った。


「……どうなんだろう」

 メロスは憂鬱な表情になる。口元は笑顔だが、目がうつろだった。


「ふつう、兄貴の元カレとわかって付き合うか?」

 しかもあんな状況で……と言うのは飲み込む。いくら幼馴染といえ、そこまで言っていなかった。


「それくらい好きってことなんだろ?」

 セリヌンティウスは妹の恋愛についてはどうでもよかった。


 同じ村に住んでいたのでメロスの妹は見たことがあった。でも、話したことはほとんどない。いくら親友の妹とはいえ、親しくもない人物が結婚すると聞いても、それほど心は動かない。


 それに第一、恋バナが得意ではない。

 仕事一筋のまじめな石工なので強く言えなかった。


「ボクなら引くよ。考えてもみろ。ボクが妹の元カノと結婚するってことだぞ」

 メロスに珍妙なたとえを出され、セリヌンティウスは混乱した。


「妹がいないからわからないが……」

 セリヌンティウスは一人っ子だった。もしも妹がいても理解できたとは思えなかったが。


「妹に彼女がいたってことで、まずボクはショックを受ける」

 真面目な顔でメロスは言う。整っている顔のせいか、真面目な顔をすると、メロスはますます美しくなる。


「ああ……」

 セリヌンティウスにはメロスが何の話をしているのかだんだんわからなくなっていた。


「妹に近づこうとしてボクを利用するってことは、ボクのことを好きでもないのにボクに近寄ったってころだろ? まあボクはいいとしても、妹を騙すのは許せないな。妹が好きなら、正々堂々と付き合えばいいじゃないか」

 メロスは真面目な顔で言っているが、セリヌンティウスには伝わってはいなかった。


 セリヌンティウスはメロスの顔を見ていた。おとなしくしていれば天使のようで、とっくに成人はしていたが人見知りしそうな美少年に見える。

 しかし、そんな外見とは裏腹に、メロスはよくしゃべる人懐こい男だった。


「そんな女に、ボクの大事なフレイアはやれない!」

 メロスは言い切る。


「話の要点、変わってるんじゃないのか?」

 セリヌンティウスは話を聞くのが面倒になっていた。


「あ、えーっと、その女とボクが結婚するかって話か」

 それも違うのではないかとセリヌンティウスは思った。


「無理。ボクのこと好きでもなんでもない相手と、どうして結婚しなくちゃいけないんだ? 」

 メロスは言い切る。


「元カレが、妹のことを好きになったんじゃないのか?」

 結婚するということは、そういうことなのではないかとセリヌンティウスは思った。そしてさりげなく、問題点を『妹の彼女』から『元カレ』に戻そうとした。


 一瞬、メロスが固まった。しかし、唇を軽く噛み、

「ボクならその女が、ボクのことを好きになったと言ってもダメ。そんな女、好きになれない」と、うっすら涙を浮かべて言った。


 メロスは架空の妹の彼女について考えてしまっていた。それをどう修正したらよいのか、セリヌンティウスにはわからなかった。


「妹もその彼女のことが好きで、女同士だと結婚ができないから、間にボクを入れたっていうのならアリかもしれないけどね」

 メロスは愁いを含んだ眼差しになり、口元に笑みを浮かべた。言っている内容はアレだが、その姿は見ている者を魅了する。


「フレイアのためなら、お兄ちゃんはなんでもするぞ!」

 どんな仕打ちを受けようと、メロスは妹を大切に思っていた。

 しかし友は気づいた。


「それを今回の事例に例えると、お前がその元カレと一緒にいたいから妹と結婚させるってことになるんじゃないか?」

 セリヌンティウスの言葉で、メロスも気づいた。


「そんなのダメに決まってるよ! ボクはあいつのことが大嫌いなんだぞ。だから別れたんだからな!! それなのに、そういう理由でフレイアに近づくなんて、とんでもないことだろ!!!」

 メロスは嘘や曲がったことが大嫌いだった。


「じゃあ、結婚は反対なんだな」

 ここまで言うのだから、そうなのだろうとセリヌンティウスは思った。


「いや、それは、妹に会ってから決めるよ。もしかすると、何か理由があるのかもしれないし……」

 メロスは困ったような、それでも嬉しそうに言った。けんもほろろに追い出されたが、自分よりも大切にしてきた妹に会うことができる。


 もしかしたらののしられるかもしれない。

 でも、それすらもメロスにとっては喜びだった。


 妹に会えるのだから。


「村に……、帰るのか?」

 セリヌンティウスにとっても懐かしい村だった。彼はメロスよりももっと長い間、村に帰っていない。


 妹に許されるのなら、メロスがシラクスにいる理由がなくなってしまう。

そうなれば、セリヌンティウスがこの友と過ごせる時間もあとわずかだ。


「うん……」

 メロスはニコっと微笑む。笑うと幼くみえ、奇跡のように愛らしくなる。セリヌンティウスはそんなメロスを眩しそうに見つめた。


「でも、すぐに戻ってくるよ。フレイアの幸せが確認できたら、それでいい」

 メロスは優しい笑みを浮かべた。


「ボクは……、ここに帰ってくるよ」

 セリヌンティウスは安堵する。

 しかし、その言葉は、セリヌンティウスではない、何か別の者に言っているようだった。 


「そうか……」

 セリヌンティウスの心がチリっと痛む。でも、その感情を殺して穏やかに微笑んだ。


「せっちゃんには、迷惑かけちゃうけどね」

 メロスは笑顔で友に言う。


「迷惑だなんて思ってない。うちにはいくらでもいていい」

 穏やかにセリヌンティウスが言うと、

「ありがとう」と、メロスはまぶしい笑顔を友に向けた。


 セリヌンティウスは小さく笑みをこぼす。無口で仕事一筋な男だが、メロスといる時だけ優しい雰囲気になる。


「用心棒のお前がいてくれると、それだけで安心だからな」

 穏やかに微笑み、セリヌンティウスは言う。メロスはセリヌンティウスに用心棒として雇われていた。


 そうは言っても、現在のメロスはほとんど何もしていない。

 セリヌンティウスの家でゴロゴロしたり、シラクスの街をフラフラしているだけだった。


「今はもう、ボクがいなくても、せっちゃんの家は大丈夫だよ」

 メロスは瞳を伏せ、淋しそうな笑みを浮かべた。


 以前のシラクスは、用心棒が必要な場所だった。王都には人が集まり、人が集まると治安も悪くなる。


 けれど、最近は取り締まりが厳しくなり、治安もよくなっていた。取り締まりが厳しくなりすぎて、人も集まらなくなっていたからかもしれない。


 だから用心棒など必要がなくなっていた。


「それでも、お前がいてくれると助かるよ」

 セリヌンティウスは優しい瞳でそう言った。


 メロスは放っておくと、どこで何をしてくるかわからない。だから、セリヌンティウスは用心棒として自分の家に置いて、メロスの衣食住を見ていた。


 そうすることで、セリヌンティウスも安心することができた。メロスはホントにどこで何をしてくるのか、予想がつかない男だった。


「そう言ってくれるの、せっちゃんだけだよ」

 小さく笑みを浮かべてそう言い、メロスは妹からの手紙をたたむと懐にしまった。大切な手紙なので、しばらく持ち歩くつもりでいた。

 その手紙を服の上から大切そうに触れ、喜びをかみしめるような顔をした。


「お土産、見てくるよ」

 嬉しそうにメロスは言うと、席を立つ。

「お祝いの品じゃないのか?」

「とりあえず、お土産」

 お祝いができるかどうかはまだわからなかった。


「開いている店なんてないだろ」

 最近は衛兵の見回りなどが増え、歩いているだけで何をしているのか聞かれるようになってしまった。

 それを好まない市民は、外出控えるようになり、夕方になるとシラクスの街はひと気がなくなった。そうすると客も来ないので早じまいする店が増えていた。


 シラクスの王であるディオニスは、治安を守るためと厳しく市民を取り締まった。ディオニスは不正を憎み、悪事を赦さず、誰それ構わず捕えて処刑してしまう。


 メロスが言うように治安は良くなったが、町の中はひっそりとしていた。


「意外と開いてるよ。閉まっているように見えても、ノックすれば開けてくれるし」

 ニコニコとメロスは言う。友の心配など気にもしていない。


「店の人に悪いから、あまりそういうことはするなよ……」

 渋い顔でセリヌンティウスが言った。ドアが閉まっているということは、店も閉まっている。


「でも、喜んでくれるよ」

 悪びれる様子もなかった。


 成人している男子なのに、メロスは愛嬌があった。彼の笑顔を見ていると、なぜかみんな心を許してしまう。

 歳は二十代半ばだったが、美少年に見えてしまうからかもしれない。


「帰りに少し、寄り道してくるから、寝てていいよ」

 その言葉を聞いて、セリヌンティウスの心がチリっと痛んだ。メロスもそれまでと変わらないように言おうとしているが、幼いころから共に過ごしていたセリヌンティウスにはわかってしまう。


 セリヌンティウスはメロスが強くなった理由が、そこにあることに気づいていた。セリヌンティウスが村にいた頃、メロスは野山を駆け巡っていたので足は速かったが、外見通りのか弱い少年だった。


 それなのに、シラクスに来てから強くなった。大柄の男でも軽く投げ飛ばせるほどになり、治安の悪い頃は本当に用心棒として役立っていた。


 どうしてメロスが強くなったのか、セリヌンティウスは聞かなかった。

 すぐに帰るだろうと思っていたら、いつの間にか居座っていたし。


 聞きたいと思わなかった。彼にとって大切なのはメロスが幸せであるかどうかで、メロスが笑えているのならそれで構わなかった。


「そうなったら、どうやって家に入るんだよ」

 セリヌンティウスは無理をして微笑み、当たり障りのないことを言った。


 彼はその真相を聞かなかった。メロスがどうして強くなったのか。そしてどこに行って誰と会っているのか。


「なんとかなるよ」

 明るくメロスは言った。


「開けてやるから、帰ってきたら起こせよ」

 諦めつつ、セリヌンティウスは言った。


「ありがとう、せっちゃん」

 メロスはニコニコと友に笑いかける。メロスもそう言われるのがわかっていた。いくら夏とはいえ、外で野宿は嬉しくない。


「用心棒のくせに、夜に出かけるとかありえないだろ?」

 ほんの少しのセリヌンティウスの抵抗だった。行かせたくないと思う本音の。


「こんななよっとした用心棒に頼んなよ」

 笑顔でメロスは言う。


「追い出すぞ」

 幼馴染の気軽さで軽口をたたく。


「やだよ。せっちゃんち、居心地いいから」

 小さいころと変わらない笑顔だった。その言葉はセリヌンティウスにとって喜ばしいものだった。


「遅くならないように帰ってくるよ」

 メロスは出かけたくて仕方がないようだった。


メシは? 食ってかないのか?」

 友の言葉にメロスは固まった。


「あとは盛り付けるだけだぞ」

 すでに立っていたメロスがストンとテーブルの椅子に座る。


「嬉しすぎて、食べるの忘れてた」

 屈託のない笑顔でメロスは友に言った。


「待ってろ。すぐに用意する」

 セリヌンティウスは笑みを浮かべ、席を立つ。


 そして、メロスの食事の用意をする。

 できるだけ丁寧に。少しでもメロスが出かけるのが遅くなるように、でも、そうしていることに気づかれないように。


(どんなヤツに会いに行ってるんだろう……)

 セリヌンティウスはそう思っていたが、聞くことはできなかった。


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