祓魔警備はじめました❗ 第1譚 『月照らす日だまりの唄~はじまり~』
@Jam0130
序章 最後の記憶 極彩色の始まり
焚き火がはぜる様な音が真央に届いてきた。先程までの楽しい時間とは違う。足の激痛とめまいで静かに意識が浮上する。むせかえる様な血とガソリンの匂い。
車酔いに似た気持ちの悪さが襲う。
(あ・・・・、あたしは?)
どうして自分はこんな事になっているのか?
貧血か、目を開けているのに前の画が見えず、頭がグラグラとする中、何が起きたのか思い出してみる。
今日は第一志望の大学に入学して最初のGW の狭間である5/2。入学前から家族で一泊、お祝いで旅行しようと計画。両親と中学2年の弟、瑛人と一緒に夢のネズミの国まで向かう道中だった。母が頑張ってホテルの手配をしてくれて、弟も「ガキっぽい」とか口では文句を言いながら、あたしが注文した通りの旅のしおりをパソコンで作ってくれた。システムエンジニアの父はあまり見た覚えのない連休を取ってくれた。
出発の朝、日の出の頃にはみんなでモソモソ起き出して1時間も経たずに我らの愛車であるコンパクトカーに乗り込んだのだ。
車中で、早速居眠りを初める弟を放って両親とどのアトラクションには行きたいだとか、「俺はジェットコースターだけは乗らん」と口をへの字にする父をバックミラーごしに見て笑ったり楽しい時間を過ごしていた。対向車線のトラックが大きくブレた。あれ、と思った。瞬間メチャクチャな揺れ。暗転し上下左右に降られ強い衝撃に意識が飛んだ。
思い出した。
テレビのスイッチをONにしたように目が覚めた。痛い!足が。鼻の奥から焦げた臭いが突き上げる。パチパチと火がはぜる様な音が鼓膜を叩いている。目覚めて最初に見た物は違和感ばかりの光景。上下が逆さまになり、今だゆっくりと視界が動いている。隣には母が。うめき声で無事なことがわかり、安心する間もなく下から振動が襲う。同時猛烈な痛みが右足で踊り、あえぐことも許されず悶えてしまった。しかしおかげて周囲を確認するだけの思考が戻った。車内はあちこち歪に変形しているし、右手の窓も割れている。運転席の様子はここからでは良くわからない。助手席に見える弟は、右のこめかみあたりから血筋を垂らしているが、胸が上下しているから少なくとも生きている事はわかった。
《よ・・かっ・・・た》
真央は安堵した。原型を留めないほどに破壊された中、母も弟も無事だった。
これなら父も・・・。思い、動ける範囲で上半身だけよじって父の安否を確認する。
「お・・とう・・さん、お・と・・う・・」
しぼりだした掠れた声で父を呼ぶも、すぐに幸せでなく絶望が目に映る。
運転席は酷い有様だった。人が入り込む余地などないほどに潰され、そこに僅かに覗いた父の顔は赤いペンキをぶちまけたように血にまみれていた。苦悶の表情に片目は半ば以上飛び出し、車の残骸のすき間から長さがあきらかにおかしい右手だけが助手席と後部座席の狭間の虚空に伸びている。
家族をかばうように。
真央は父が帰らぬ人となってしまったのを悟った。
お父さんだ。
事故の瞬間、父がハンドルを切ってトラックが父側に向くようにしたから、自分たちは助かった。目頭が熱くなった。泣きわめいて全部無かったことにしてしまいたかった。しかし父がしてくれた事を無駄にしたくない。
「誰か・・助けて」
相変わらず、思い通りに出せない声をそれでも精一杯出して助けを呼んだ。
何度繰り返したか、
「おい、こっちだ!」
声を聞きつけたか誰かがドアを開けて顔を出す。父ぐらいの年代の男性と大学生くらいの2人。
「俺はこっちの男の子を」
「わかった。大丈夫ですか?私の声が聞こえますか?」
男性が母の肩を軽く揺する。母はまだ吐息をもらしているものの意識は戻らないよう。
「おかあ・・さんと、瑛人を・・・」
「―― 女の子は意識があるぞ!待ってろ。すぐ出してやる」
男性は母のシートベルトを外して抱き上げると外に引っ張り出す。瑛人も青年に救助されている。助手席側のドアは無くなっていた。
すぐ青年が反対側の後部座席の開けたままになっていたドアから姿を見せた。
真央を連れ出そうとして、引っ張る前にすぐ異常に気付く。変形した車の一部が彼女の右足を獣の顎のように、がっちりとくわえこんでいた。
青年が意味のわからない苛立ち混じりの叫びをあげながら、叩いたり持ち上げようとしたりするがびくともしない。なんとか無理やりこじ開けようとしていると、対向車線に横転していたトラックから火の手があがり、爆発音が弾けた。
紅く燃え盛る炎の熱を肌で感じて、そういえばガソリンみたいな臭いがしてたなと感想が浮かび、次いでこの車のガソリンが漏れているのだと連想できた。そうしている今も毒づき焦った様子で、でも逃げもせず懸命に自分を助けようとしている人を死なせたくないと思った...。
「逃げて・・ください。この車も・・・も・・うすぐ・・、火が・・・」
この人を巻き込みたくはない。真央は精一杯笑ってみせた。青年が涙をこぼす。それが悔しさなのか、同情なのか、どういう気持ちなのかはわからなかった。すぐに後から来た別の男性2人に羽交い絞めにされて連れていかれたから。激しく言い争うような声が遠くなっていく。
真央は自分が助からないと悟った。
お父さんを一人で逝かせなくて済む。じきにやってくる死を受け入れようとさえ思った。なのに、死を実感したとたん、歯の根の合わないほどの震えと恐怖が沸き上がる。こらえられず、口角が持ち上がり叫びだしそうになった。
「―真央ッ!真央ッツ!!!」
母のどこから出ているのか心配になるような叫び泣きが轟いた。
しかし、おかげで真央自身は悲鳴を飲み込むことができた。同時に父の名前は呼ばないから、お母さんもお父さんはもう駄目だと察しているんだろうとわかった。
真央は咄嗟に右手、親指と人差し指の間に口を押し付けて勝手に漏れ出す悲鳴を歯で噛んで止めた。左手で太腿を血がにじむほど爪を立て震えを殺す。
どうかお母さんと瑛人に助かってほしい。助けに来てくれた人たちも無事でいてほしい。このままその瞬間がやって来るまで耐えてやる。なのに、前がよく見えない、と思ったら涙が溢れ出してどうしようもなくなっていた。
「いやあああああああ!誰か、誰か助けて!!真央!!!」
まだ母が助けを呼んでいる。恐怖よりも使命感のような感情が漏れ出す。どうかお父さん、最後の時まであたしに力を貸して下さい。このまま頑張れるように。声をもらしてお母さんが来てしまわないように。
熱気がいよいよ肌を焼くほどに近づく。
噛みついた咥内に血の味が広がった。
上から衝撃が。爆発と熱風が真央の命を無慈悲に吹き飛ばした。
―――はず、だった。だが聞こえたのは、トンと軽く屋根に何かが落ちてきたような音。
「お姉さん、凄いな・・・。こんな自分がどうしょうもない状況で。大好きな人のために自分の命まで我慢して。そんな人、誰が死なせるかよ」
さっきまでの身を焦がす熱でなく、まるで温泉の湯に浸かっているみたいな心地よいぬくもりに包まれた。涙に曇った視界が啓ける。
「駄目!逃げて。もうすぐ火が――」
少年が自然な動作で手を伸ばし、大人の男性の力でびくともしなかった右足を捕らえていた歪みをつかむ。
ペキン
と、間抜けな音を立て、あっさりと足が開放されてしまった。
原型が一見してわからないほど、潰れた脛から下の血みどろの足が覗かれる。
途端に真央は意図せず絶叫しそうになるが、少年に抱き上げられて不思議と痛みも飛んでしまった。
「ごめん。少しだけ我慢してくれよ」
俗にいうお姫様だっこという奴で。
チッとマッチを擦ったような音とともに爆音。
死んだ、と思ったが感じたのはジェットコースターに乗って降下中の時にも似た浮遊感だった。
爆発を背に着地し、右足を高くして優しく下ろしてもらう。
右足が極彩色の光にさらされている。光は少年が足を支える両掌から注がれている。心地好さに、ようやく真央は自分が助かったのだと思えた。
「ごめんよ、来るのが遅くって。お姉さんのお父さんは助けられなくて、本当にごめん」
どうしてこの人は謝ってるんだろう。
真央には少年が泣いていないのに涙しているよりも、心を痛め、苦しんでいる気がした。
「あの人が呼んでくれたから、お姉さんだけは間に合ったんだ」
少年がその肩ごしに振り向く。真央は視線を追ったが彼女の瞳には少年が見ている景色は映らない。
「いるよ。お父さんが、そこにいるんだ」
胸が苦しい。姿は認められないのに言われた途端、激情が迸った。
「お父さんッ」叫び、また零れだした涙をぬぐい頭を上げる。
・・・いた。
お父さんが。事故の前の姿で。何事もなかったみたいに。静かに微笑んで真央を見ている。なのに、
陽炎のように揺らいでいる。
認めたくない。でも、それそれだけで。
どんなに望んでも、間違いなく、否定しようもなく父が死んでいるのだとわかってしまった。そして真央が助かったのは、お父さんが自身はもう死んでしまっているのに。それでも家族を助けてほしいと声をあげてくれたからだと。
答えにたどりついてしまったらもう抑えらなかった。
散々泣いたはずなのに、涙と嗚咽が溢れ出す。どこにそんな水分が残っていたのかなんて関係がなかった。
《お母さんと瑛人を頼む。私はいつでもお前たちを見守っているよ。苦労をかけることになってすまない。いつまでもずっとずっとおまえたちを愛している。どうか、幸せに・・・・・・・》
最後に深く深く頭を下げて。お父さんを真央はもう一度呼ぼうとして、足の痛みに目をつぶってしまう。刹那、もうどこにもその魂は消えていて。
まともに意識があったのなら、泣き崩れていただろう。
けれど急速に襲いくるめまい。意識が遠く引っ張られる。
暗転する視界。倒れたんだな、と他人事のように思う。
最後の記憶は、
「――・・・・・・」
少年がかけてきた言葉と空色の宝石のように濡れた瞳の瞬きだった。
次に目覚めた時、真央の人生は激変する。
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