夕闇の研究所

山本正純

第1話 村長からの捜査依頼

 群馬県にある村で事件が起きた。村民が異変に気が付いたのは、夕暮れ時のこと。森林の中から黒煙が昇っている。


 1人の少女が森の中で、業火に包まれた洋館を見つめ、大粒の涙を流した。少女の隣で、白衣を着た男が跪き、地面を叩く。何度も叩いたせいで、真っ白な衣服は土埃で汚れてしまう。

「約束して……」

 少女は声を震わせ、絶望する白衣の男の右手を掴んだ。彼女の言葉を白衣の男は忘れない。


 それから10年後。8月8日の夕方、事件が起きた洋館の近くにある研究所の前に、1人の中肉中背な男が現れた。男は10年前から誰も訪れなくなった研究所に足を踏み入れる。

 研究所の出入り口の近くに植えられた檜の枝に、白い布が結ばれていることに、男は気が付かない。


 暗い研究所の埃塗れな床を懐中電灯で照らすと、誰かの足跡が残されていた。それを見た男は頬を緩ませ、足跡を辿った。


 足跡の先には金庫のある空間があった。目的地に辿り着いた男は安堵して、ライターで煙草に火を付けた。問題の金庫室にプロパンガスボンベが置かれているとも知らずに。

 煙草に火を付けた瞬間、充満したガスが反応を起こし、ガス爆発が発生。爆発に巻き込まれた男は何もできず、焼き殺された。


 8月13日午後11時、東京都内にある10階建ての不動産会社ビルの屋上で、短い黒髪に細目の女性、篠宮澪は待っていた。そんな彼女の元に、1つの影が近づいた。

「待っていたわ。早速だけど、500万円を貰おうかしら。その後で話を聞いてあげる」

 自分にコンタクトを取ってきた人物が近づいていることに気が付いた彼女は、後ろを振り向き、不敵な笑みを浮かべた。

 その影は分かっていた。この女は話を聞くつもりがないと。篠宮に敵意を向ける影は、唇を強く噛み締め、短パンのズボンから白色の縄を取り出した。


 篠宮澪が待っていた人物は、犯罪者に変貌する。影は、それを篠宮澪の首に巻き付けた。縄で首を絞められたため、篠宮は縄を外そうと必死に縄を引っ掻いた。だが、それよりも先に、彼女は意識を失った。

 犯人は、気絶した篠宮を仰向けに寝かせ、携帯電話を奪う。彼女が所持していた携帯電話に自分の名前の着信があったことを確認した犯人は、それを盗む。

 それから犯人は、気絶した篠宮澪の体を引っ張り、屋上から突き落とした。それと同時に、気絶させるために使った白色の縄も現場に落とす。


 黒い影は地面に強く叩きつけられた篠宮澪の遺体と、そばに植えられた木の枝に、予め結んでおいた白い布を見下ろし、不敵な笑みを見せた。

「篠宮澪。橘炎帝の呪いで死ぬがいい」

 篠宮澪を殺害した犯人は、何事もなかったように現場から立ち去っていった。


 この2つの殺人事件は、これから起こる連続殺人事件の序章に過ぎない。殺害現場付近に路上駐車された車に乗り込んだ犯人は、群馬県に向かい、自動車を走らせた。


 翌朝、警視庁刑事部参事官の喜田輝義は、溜息を吐きながら、森林が続く車窓を見つめた。数週間前と同じように、利用されていると考えると、怒りを覚える。


 喜田しか乗っていないバスは、間もなくしてバス停に停まる。そうして彼は、バスから降りた。目的地に辿り着いた喜田は、目の前に広がる森林を見渡し、この場所に行くことになった経緯を思い出す。

 

 8月9日の夕方、自宅へと戻るため、警視庁の出入り口の自動ドアを潜った時のことだった。その時、喜田の携帯電話が鳴ったのだ。

 帰宅を妨害する刑事部長からではないかと疑いながら画面を見ると、そこには珍しい名前が表示されていた。

『喜田君。今大丈夫かね?』

 受話器越しに尋ねて来たのは、喜田輝義の大学の同期の平井青兵衛。自動ドアの前では迷惑になってしまうため、喜田はドアから離れた位置で、問いかけに答える。

「大丈夫ですが」

『それなら良かった。警視庁に勤務している喜田君に調べてほしいことがある。先日、群馬県の清明村の外れにある研究所でガス爆発が起きた。現場から身元不明の男性の遺体が発見されたんだが、被害者が誰なのかを調べてほしい』

「それは群馬県警の仕事です。警視庁の人間が口出しできる案件ではありません」

 喜田参事官は、そうやって最初は依頼を断るつもりだった。昨日までは。


 8月14日午後3時。喜田参事官は、早朝に発覚した殺人事件の捜査状況について、千間刑事部長に報告していた。

「不動産会社社長、篠宮澪が殺害された事件の現場から、白い縄が見つかったことは、先程報告しましたね。検視官の話では、その縄で被害者の首を絞め、気を失った後でビルの屋上から突き落としたという手口のようです。残念ながら、縄には犯人の指紋が残されていませんでしたが、犯人特定の手がかりになります」

「どういうことだ?」

「問題の白い縄は、群馬県清明村の送り火祭で使う物と同じでした。さらに、被害者の篠宮澪は、清明村の森を切り倒し、レジャー施設を建設する、村の再開発計画に関わっていたようです」

 補足説明を聞いた後、千間刑事部長は唸り、報告する部下の顔を見た。

「そういえば、君の大学の同期が、清明村の村長だったな。村長の家に泊まれば、宿泊代を節約できる。ということで、明日、清明村に行き、事件解決の手がかりを見つけて来い」

 また捜査費用節約のために、利用されるのかと思った喜田参事官は、溜息を吐く。とはいえ、刑事部長の命令に逆らうことができない彼は、千間の捜査方針を受け入れた。

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