兎穂村ミミ子の恋愛壊滅クッキング

秋田川緑

第1話 理事長ヘッド~闇を照らす光の玉~

 我輩わがはい兎穂村うほむらミミ子である。

 罪状ざいじょうはまだ無い。


 いきなり穏やかならぬ語り出しだが、危機におちいっているのでご容赦ようしゃ願いたい。

 話は5分前にさかのぼる。


 いや、5分ごとき遡ったところでどうするのだと思うのだけれど、とにかく5分前である。

 5分前の私は理事長室に侵入していた。

 何故なぜかと言うと、かばんを振り回して遊んでいたら、お気に入りのキーホルダーがすっぽ抜けて、全開ガラガラだった理事長室の窓に飛び込んでいったからである。

 あれは、幼き日に祖父から頂いたイニシャル入りの特別製なのだ。


 無くしてなるものかと、私は素直に後を追った。


 こうして5分前の私は理事長室にまんまと入り込むことに成功したのだが、ここで私はとんでもない物を目にしたのであった。


「ふー、接着が効かなくなってしまった。安物はダメだな」


 突然の声。

 部屋には誰もいないと思ったし、だから侵入したと言っても過言ではない。

 だがしかし、部屋の中央に位置していた椅子がぐるりと回転し、現れたのは部屋の主。

 理事長その人である。


 理事長は若い頃はそりゃもう女の子を泣かせたんだろうな、なんてイケメンの面影があって「渋くて素敵!」だなんて何人かにこっそり言われている、この学校で一番偉いオジサマであった。


 しかし、私はオジサン好きではない。


「理事長? そもそも背が低くてアウト・オブ・眼中がんちゅうだぜ!」だなんて、旧世紀の死語を口に出したりしたものだったが、その時の理事長は私の視線を釘付けにしていた。


 いろんな意味で。


「な、なんだ! 君は!」


 そっちこそなんだ、その頭は?

 私は動揺した。

 毛が一本も生えていないその頭に、激しく動揺した。


 いつもは白髪なんて一本も無い、生え揃った若々しい黒髪をしているというのに、今、私の目の前にあるのは煌々と闇を照らし出す、光の玉であった。


 その手には毛の塊。否、カツラである。

 カツラを持った理事長が、愕然がくぜんたる表情で私を見つめているのだ。


 私は理解した。

 いつものフサフサの頭はカモフラージュで、今のこの姿が本当の理事長なのだと。


 そもそも、今の今まで私は理事長の存在に全く気づいていなかったのだ。

 背が低い理事長が大きな背もたれの椅子に座っていたせいで、死角になっていたのである。

 だから「ま、眩しい!」と思わず言ってしまったのは、理事長の毛の無い頭が窓から差し込んだ光を急に反射したからであって、決してバカにしたりするつもりは無かった。

 だが、理事長は腕を振りかぶって机を叩くと立ち上がってこう言ったのだ。


「……君、学年とクラス、それから名前を言いなさい!」


 どんな顔をしているかはあまりの眩しさで見れなかったが、声を聞けば誰だって彼が怒っているという事を知ることが出来るだろう。

 横暴な国王に怒る「走れメロス」の主役のごとき怒り様である。


「すわ! 逃げろ!」


 走れミミ子。

 私は身をひるがえすと、窓から飛び出した。


「待ちなさい!」


 だがしかし、理事長は追って来ない。

 眩しい頭で外を走り回ることが死を意味することを、彼は知っていたのだ。

 普段、うっとりした目で彼を見る女生徒達に「パチンコ玉やないかい!」なんて言われることは、彼には出来ないのであろう。


「顔は覚えたぞ!」


 背後から声が聞こえた。

 振り返ると、窓枠のレールに私のキーホルダーが乗っている。


 なんということだろうか。

 これでは私の身元が彼に判明するのは時間の問題だろう。

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