序 霧眩鏡姫

 物語、物語、物語。


 それは、何時の?

 それは、何処の?

 それは、誰の?


 "彼"の眼前には、自らの辿った足跡が映じられていた。


 突き刺すような黄金の瞳。

 鋭い怒りのその奥に、今にも消えゆく少女が一人。哀れなるかな顔を持たない烏有の存在もの。自らを知り、その存在は虚実の狭間にあった。


 タソカレ──顔の無い棄徒。

 棄徒──人を脅かす怪物。

 怪物──斃すべき相手。


 ゆえに──"彼"の帰結する答えは実に単純だった。


「怨むなら怨め。世界平和の為なら俺は、どんな怨嗟でも受ける」


 そう言った瞬間、"彼"の身体の縦横に、赤黒しゃっこくの紋様が走った。

 それは鉄管の呪詛の符、

 それは悪魔の寵愛の契、


《アレらは我らの敵であろうぞ。ゆえに従僕しもべよ》


 無価値のディアは、かくして宣す。


《許可しよう。我のチカラを用いてアレらを殺せ》


 破壊せよ──と。


《驕る天使に終止符を──さあ、打つのでゃ》


 最後の最後で噛んだディアの命令を、"彼"は頷くことで応じた。


 ◇


「誰に、わたくし達の平穏を壊す権利があるというのですか……!」

 

 誰かへ向けて激昂する彼女の背中が見える。

 離散しようとする意識の最中に、私は敵対者の影を見た。

 霧にぼやけているものの、それは手になにやら得物を持っている。


「怨むなら怨め────」


 霧の奥より響いてくる声。男の子のような、少年のような、青年のような。


「俺は、どんな怨嗟でも受ける」


 そうして霧よりいずるは、赤黒の紋様に塗れた、なんとも悪魔的な姿の青年。赤黒い瞳は鋭利な殺意を確信しつつこちらを見つめている。


「ヨミ、さがっていなさい」


 私の眼前に、庇うように彼女が立つ。


「貴女は、わたくしが必ず……!」


 いけない。

 あれは、いけない。

 あの赤黒の青年は、悍ましいナニカを持っている。


「ダメ、」


 足元に転がる双剣を拾い上げ、私は、あの恐ろしき悪魔(めいた)青年へと駆けた。

 そうして──


 そうして、どうなっただろう?


 ◇


 わたくしはこの子を守らなければならなかったのです。

 ただ一人の大切な妹、わたくしの孤独に介入し霧散させた彼女。

 

「怨むなら怨め──」


 ええ、怨みましょう。

 わたくし達の平穏を破壊するあなたを。

 眼前の転入生は、身体中に赤黒の紋様を走らせました。

 なんて、悍ましい。

 白でもなく、黒でもない。

 正義では確実になく、悪の混じったどす黒い赤。微かにだが旧録姉妹に類似している、人としての謬に塗れた脅威。


「ヨミ、さがっていなさい」


 わたくしはこの子を守らねばならなかったのです。

 そうでなければわたくしは──こちらへ手を伸ばす幼児の欠片を見たときの罪悪に圧壊せられ──眼前に駆けゆく彼女の背を見、ああ、いけない、いけない、いけない。壁になどならずとも。それではあなたが助からな──赤黒の悪夢に貫かれる彼女の姿を見、見、見、見、見、見、見、見──「────────!!!!!」

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