『K・Nの悲劇』書評
『カタブツ精神科医は霊の存在を信じるか?』
担当患者に死なれて(自殺しようとして植物状態)しまった精神科医の磯貝は、自信を喪失し、職場を離れて休養をとることにする。
望まぬ妊娠に、妻・果波に中絶をうながす修平。
しかし、実際に中絶に踏み込もうとしたとき、"妊婦の霊"に憑依された果波は、中絶を拒絶する。そこで、磯貝に紹介されたのは、休職中の精神科医・磯貝だった……。修平と磯貝の二人は、果波を中絶させるために、果波の"憑依状態"を"治療"しようとするが……?
というのが『K・Nの悲劇』の導入である。
果波の別人格の"憑依"を、あくまで精神病として治療しようとする磯貝。
磯貝の意見を聞き入れ、精神病患者を治療するスタンスで妻に接する修平だったが……。修平は、自らに降りかかる霊的な現象に、妻は精神病ではなく、"本物の霊"に取り憑かれているという考えを強めていく。
しかし、修平の持ち込んだ物的証拠に対しても、何かと言い訳をつけ、絶対に霊の存在を認めない磯貝。
治療はすすまず、果波の憑依は日に日に悪化していく……。
この物語は、絶対に霊の存在を認めない精神科医と、自らの存在を信じさせようとする霊が、霊の存在について討論する話だと感じた。
磯貝はとにかく霊の存在を認めない。
"医者"として物理的に治療することしか頭にないのである。
しかし、いくら治療を施しても快復に向かうどころか悪化する憑依の症状に、磯貝は頭を悩ませる。
精神科医の治療とは、症状が治ったという結果がでればそれでいいのか?
"治った"という結果を重視する治療が、医師の『患者の心に寄り添う(そもそも、どうして病気にかかったのか?という根本の問題)』という"過程"を見落とす。
愛がなければ、霊は視えない。
霊は視えなくても、愛は視える。
しかし、愛が視えたとき、霊もまた視えるようになるのだ。
"奇跡"に立ち会ったとき、磯貝は何を思うのか?
凝り固まった磯貝の心は救済されるのか?
最後の1ページまで目が離せない。
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2017/5/31引導
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