二〇一七年一二月八日

二〇一七年一二月八日




 その日ほど、日下長一は自分が警察官であると実感できる日は無かった。

 いつも犯罪者たちがどうやって活動するのか、カメラを避けて侵入するか、危険な個所はどこか、そんなことは頭に入っている。

 巡査として働いてきて、ストーカー被害を受けているという相談を受けるたび、指摘していたこと。

 “オートロックやカメラ付きのマンションだとしても、死角は有ります”

 “二階以上でも、物置や雨樋、ゴミ置き場、色々なものが足場にして侵入できます”

 そんなアドバイスを、まさか自分が実践するとは思っていなかったし、できるとも思っていなかった。国木優が住んでいるマンションの死角をくぐり、バイク置き場の屋根を足場にして行く。

 固定式のカメラはそのカメラが向いている方向を避け、動くカメラには大昔のスクロールアクションゲームのようにタイミングよく進む。

 そうやって玄関前までたどり着いたとき、日下はためらわずにドアを跳ね開けた。不思議とカギは掛かっていないと分かっている気がした。



 それは一週間ほど前、一二月二日の昼。

 平和そのものだった。平和とは交番で巡査が昼休みにカナルイヤホンで音楽鑑賞しながらコンビニ弁当のチクワ天を頬張っていることを指す。

 そんな中、落とし物を拾ったという女性が交番を訪ねてきた。日下は昼休みを中断していつも通り、拾得場所と女性の連絡先を聞いたときに気が付いた。

 気付くべきではなかった。イヤホンでさっきまで聴いていた歌声と全く同じ声だったということに。

「お姉さん、ネットアイドルの人ですよね? 自分、大ファンなんですよ! さっきも聞いてました!」

 目の前の女性……国木優は輝いていた。自分がアイドルになれたことをこのときに始めて実感した瞬間だったのだろう。

 しかし、国木優は笑顔のまま違いますと否定した。自分はハルちゃんとは別人であると。

「……あれ? 自分、ハルのことだって云いましたっけ? ただネットアイドルとしか云いませんでしたよね?」

 してやったりといった様子の日下に対し、口を滑らせた国木当人もしょうがないなとばかりに得意気だった。

 拾得物の記述を書いてから、日下の求めるままにサインを書いた。小学生の頃にアイドルを夢見たときから考えて練習していたサイン。

 アイドルとしてデビューしたときも、数えるほどしか書いたことのなかったサインを、興奮がちにファンだという男に送る。その興奮はプレゼントされた日下以上だったのだろう。

 画面越しではない、実感を伴ったファンの言葉に国木の表情はとても安らいでいた。

 だからこそ、一二月七日、町中で再会したとき、日下は気軽に声を掛けた。

 日下はファンとして、国木はアイドルとして、互いに知り合えたことを感謝しながらも、日下は運命の言葉を口走った。

 【同じ声なのに別人のようですね】と。歌っている最中の集中力なりプロ意識を褒めたつもり半分、実際に声は同じだが受ける印象が異なる実感半分の言葉だった。

 どちらが好きですか、と尋ねる国木に対し、素直に歌っている方が好きだと答えた日下を責められるのは、日下本人しか居らず、そして自分への誹謗は彼の生涯に渡り続くこととなる。



 再会の翌日、日下がマンションに侵入する一時間ほど前、国木から電話が有った。

【歌は心ですよね。だから私、人格を交換します。ハルちゃんになります。だってハルちゃんの声は私の声で……私の心がハルちゃんになれば、それは私がハルちゃんになるってことでしょ?】

 日下には意味が分からなかった。その意味を尋ねても、【私はアイドルになります】だの【だって歌は心だもの】といったことばかりを繰り返していたのだから。

 初めて出会ったときの落とし物のときに記入されていた住所へと日下は急ぎ、カメラを避けて侵入し、ためらわずにドアを跳ね開けた。不思議とカギは掛かっていないと分かっている気がした。

 踏み込んだ室内、人の気配のする小部屋へと足が向き、部屋に入るなり目が合った。国木と男ふたり。見ず知らずの男同士だった。

 ひとりはもちろん、今踏み込んできた日下長一巡査。もうひとりは先に部屋の中に居た未知道カンパニー社長の三毛正二だった。

 互いの視線は一瞬合わさっただけで、そのあとはすぐ、見知っているはずの部屋の主、国木優へと視線が向いた。

 姿かたちは紛れもなく国木本人だが、日下は反射的に“彼女には双子の姉妹が居たのか”と考え、人格交換という答えに至るまで、大した時間はかからなかった。

 しかしながら、欺瞞と懐疑に溢れる三毛の微笑には、日下は警戒を強めていた。

「……失礼ですが、どちら様ですか?」

《日下さんです! 巡査さんです。ハルちゃんのファンなんです! 日下さん、こちらは三毛社長、私をコンピューターにしてくれた方です!》

 言葉はパソコンから出ていた。画面上には文字だけが表示されていたが、その合成音声はハルと同じ声、そして国木と同じ言葉だった。

《見て下さい! 今、私の身体の中にはハルちゃんが入っているんです! 私は今、ハルちゃんになったんです!》

「優ちゃん? 警察をこの場に呼んでいるとはどういうことですか?」

《一番に見て欲しかったんです。アイドルになった私を! ファンの日下さんに!》

「……なるほど、そういうことなら……何も云えませんね」

 電子音声は今まで日下が聞いたことのある国木の言葉の中でも最も感情的で弾んだ言葉に対し、三毛は不自然なほどに優しく聞き取りやすい言葉。

 “表情”という言葉は表の感情という字面だが、国木の表情は表に出ていない。“裏情”とでも云うべき顔だった。

「どういうことなんですか、これは……国木さんは、国木さんの心はどこにあるんですか!?」

「……遠くからパソコン通信で会話しているわけではありません。“そこ”です。パソコンの中。私と優さんの、というより、人工知能と人間との人格交換ですから」

 答えたのは国木の身体。歌しか聞いたことのなかった日下だが、今、その身体の中に居るのがネットアイドル・ハルであることは感覚的に理解できたが、そのことを喜んでは居られなかった。

「どうして……そんなことを!?」

「人に夢を与えるためです。電脳空間へのダイブ、SF小説でしか取り扱われたことのない題材! 国木さんは人類で初めて電脳空間への移動をおこなったアイドル! 歴史的瞬間ですよ!」

《すごいです、これなら私も……アイドルになれます!》

 何かが猛烈に間違っている。日下が胸中のざわめきを言語化するまでに生じた僅かな逡巡。それを読み取った国木の腕はキーボードへ伸びていた。

「それじゃ優ちゃん、次の人類初に挑戦して頂きたいのですが、構いませんか?」

《実検? 私とハルちゃんを入れかえるだけではなかったんですか?》

「社長さん、私も聞いてないよ?」

 姉妹のように困惑するハルと国木に、三毛はニッコリと一際深い笑みを浮かべた。この場の中でその深い笑みに深い闇を見出したのは日下だけだった。

「説明を忘れるほど簡単なものなので。危険はありませんよ。優ちゃんになら簡単に出来ますよ」

 危険がないものならどうしてお前が試さないのかと日下は思った。 十人に一人を騙せれば儲かるような安い詐欺師の口ぶりだが、スピーカーから聞こえる国木の声は弾んでいた。

《構いませんよ! お願いします!》

 自分で運命を切り拓いたとばかりに興奮する国木は細かい説明を聞こうとすらせず了承しており、日下だけが焦燥し、拳銃をホルスターから引き抜いていた。

「やめなさい! その実験を中止しなさい! まず、まず説明しろッ!」

「落ち着いて下さい日下さん。あなたは優しい人なのは分かっています。落ち着いて、落ち着いてください」

 拳銃を突き付けられながらも三毛はあの笑みを浮かべ、そしてゆっくりとでは有るが、手を止めずにキーボードを叩き続けている。

 邪悪さ。無知や無力ゆえに犯罪に手を染める者とは一線を画す、自らが悪であることを認知している者の顔だった。

「手を止めろ。本当に……撃つぞ」

「撃っても大丈夫なんですか? 拳銃の一発目は空砲と聞いたことがありますが?」

「時間を稼ぐな。実包だ。頭蓋骨を貫通して、しっかりと脳味噌を爆ぜる威力のある実弾」

「私が何の実験をしているかもわからないのに……脅迫ですか?」

「だから説明しろと云っている、それから判断します」

「なるほど、それはわかります。ですが、まずその拳銃を下してくれませんか? 怖くて、とても怖いんですよ」

 男二人の緊迫するにらみ合い、それを見守る国木とハル。

 そのとき、玄関から足音が聞こえてきた。血流が悪く青白い学者然とした男は、靴も脱がずに駆け上ったことで顔は上気して赤くなっている。

「……!? 三毛、なんだ、これはっ!?」

 その男は嶋田九朗。

 嶋田は未知道でずっと部屋に閉じこもって研究する一研究員、日下はパトロールをしながら街を守る巡査。

 接点なんて有るはずがなく、互いに初対面で有り、状況に対応できなかった。

 拳銃を構える男に警戒する嶋田、拳銃を構えてしまっているという状況に冷静になってしまった日下、様子を見てしまった。

 そんな中、三毛だけが状況を正しく理解していた。“今、実験をしなければ、ふたりの男にこの実験は止められる”ということを。

「動くなと云った!」

「ええ、動きません。“もう終わりました”」

 エンターキーは押下されていたが、何も変化は見られない。少なくとも国木とハルと日下と国木は、さっきまでとの違いを感じ取れず、実験の実態を知る三毛と嶋田だけが対称的な感情を露わにしていた。

「実検は成功したようです。云ったでしょう? 危険はない実検だったんですよ。日下さんも嶋田さんも……大袈裟なんです」

 国木とハルと日下と国木は、緊迫した空間の中で安堵していた。国木とハルと日下と国木は。

「それでは、実験は成功です。ハルちゃんと優ちゃんの人格を元に戻しましょう」

『え、戻しちゃうんですか?』

「安心してください。ハルちゃんに国木さんの身体で歌っていただくときはまた交換すれば良いだけです。なにせ実験は成功ですから」

『それは、そうですけど……』

 日下には、違和感が有った。それは勘より明確なことで、パソコンから聞こえてくる声が変わった気がした。

 先ほどと全く同じ声なのだが、どこか、声がブレているというか、ズレのようなものを感じた。サラウンド。

 嶋田も止めはせず、むしろ前に出てモニターを確認しながら人格を元に戻す処理を行った。どこか諦めたような様子で。

 誰も異を唱えず、ハルはモニターへ戻り、国木は国木の身体に、元通りに戻った。

「……不思議ですね、さっきまでパソコンの中に居たなんて、全然違和感がない」

《私も! けど、空気の味っていうのかな、それを感じたから、今度は何か食べてみたいな!》

「良いよハルちゃん、私、よく行くドーナツ屋さんが有るから、今度そこに歩いて行ったら良いよ!」

 ハルと国木が口々に、ガールズトークを炸裂させる中、パソコンは異常を発信した。文字通りの機械的な残酷さで。

《……え……待って、これ……なん、です、か?》

 国木とハルと日下と国木は、その言葉に驚いたようだった。

 モニターの中からは先ほどと同じ声で、同じ言葉で、国木の言葉が聞こえてきた。“既に国木は肉体に戻っているというのに”。

 嗤った。三毛が。三日月のように、チェシャ猫のように。

「これが実験なんですよ、ひどく簡単でシンプルな実験……“データをコピーしただけです”。国木優というデータを、ね」

 国木とハルと日下と国木は、ハルと日下とふたりの国木は、言葉の意味を理解すると同時に自失した。

《優さん……ふたりになっちゃったの……?)》

「はい! これで実験成功です! 人格交換を使えば人間の心をデータに変えられる! データにすればコピーできる! 当然の結果です!」

 三毛の笑いめいた絶叫が部屋に充満し、嶋田の顔は見る見る青くなっていき、日下は意味こそ分かっても理解していなかった。それが何を意味するのか。

 いや、その意味が分かる人間は、この地上には居ないのだ。ハルの電子音声だけが妙に軽かった。

《嬉しいな、これからはずっと一緒なんだね! 優さん!》

 無邪気なまでのハルの言葉に、答えられる手段は誰も持っていなかった。ただモニター内の国木は、肉体を持つ国木に答えを求めて質問を繰り出すだけ。

《好きなアイドルは、誰?》

「……エッジワークガールズのシイナさん。なら一番好きな歌は?」

《夢のトルネード。それならアイドルになって一番うれしかったことは?》

「この前、日下さんにファンだって云って貰えたこと……好きなドーナツ屋さんの名前は?」

《つまずき屋。そこで一番好きなメニューは?》

「ドーナツじゃなくてハーブティー、アシタバブレンド。 小さい頃、大切にしていたテディベアの名前は?」

《モナコ、どうしてこの名前にしたの?》

「モコモコしてたから。好きだったアニメは?」

《汎用最終兵器ズババン。お兄ちゃんが見てたから一緒に見てた。そこで美味しそうだと思った料理は?》

「カレーライス、ずっと食べてたことがあった。近所のカレー屋さんに食べに行った友達の名前は?」

《すずちゃんとなっちゃん。本名は……ちょっと忘れた》

「あたしも、忘れた……」

《どうして思い出せないの?》

「ずっと前だもの。卒業してから会ってないし、ずっとアイドルの特訓だけしてたから」

《私もそう。アイドルになれると思ってたから、友達に会えなくなっても辛くなかった》

「私も。でもそれでも、三〇歳が目前になってなれないって思って……嶋田さんや三毛社長にネットアイドルになれるって云われて……」

《だから希望が湧いたの。今までが無駄じゃなかったって。生きてきて夢は叶うって、シイナさんの言葉がウソじゃなかったって……》

「無駄じゃなかったって。誰かの夢になれるって思った」

《私はそう思った》

「私もそう思った」

《あなたもそう思ったの》

「あなたと同じく思ったわ。でもどうして?」

《私はあなたなの?》

「あなたは私だったなら、そうよね、コピーだもの」

《なら、もうひとつ教えて?》

「不思議、私も聞きたいことがあるの」

《あなたは私》

「私があなた、そう、だったら」

『私は、誰?』

 何かが崩れる音がした。空気を揺らして耳で聞こえる音ではない。心が鳴らす魂だけを揺らす音だった。 

『あああああアアアアアアあああああああッッッッッッッッ!?』

 電子音声の国木優と、肉体の国木優の絶叫が重なった。

 踊りだすように暴れだした肉体の国木優はパソコンを睨み付ける。

 正気を逸したその視線に警察官の日下だけが肉体の国木を制止しようと動き出すことができた。

 肉体の国木はなにが気に食わなかったのか、両手を振るって日下の手を弾いた。しまうヒマも無く手に持ったままだった拳銃は勢いに任せてLEDを叩き割った。

 暗転。薄明りに目が慣れるまでの数秒後、国木が拳銃を手に持っていると一同が気付いたのは、そんなタイミングだった。

 拳銃をパニックに陥った肉体の国木が持っている。その現実に三毛は笑ったまま凍り付き、嶋田はパソコンを覆いかぶさるように守り、日下はデスクライトのスイッチを入れた。

「……落ち着いて。国木さん」

「落ち着いてます。ただ分かっただけです。初めて……“自分”が見えたんです。私は……ハルちゃんじゃない」

「……え?」

「モニターの中でもハルちゃんは輝いてたのに、モニターの中の私は輝いてなかった。私はアイドルになれない。人の目ばっかり気にして、ちっぽけで、カッコつけてばっかりで、努力したんだって自分に言い訳ばっかりして、弱くて、惨めで、何もできない無能で、凡人で、凡人になりたくなくて、特別になりたいって思いばっかりの凡人で、そんなのが認められなくて、悩んでばっかりで、」

「それでも、僕は……あなたのファンです」

「違うよ! 日下さんは、ハルちゃんのファンだもの! 私は、私で、ハルちゃんじゃないもの!」

「あなたの声だ! あなたの声を、僕は好きになった!」

「違う! 違う! 誰でも良かったの! 誰の声でもハルちゃんの心が歌になってあなたの心を掴んだんだもの! どの肉体でも!」

「優さんの声が有ったから声を引き出せたんだろ!? 他のどの身体にハルちゃんが入ってもその心を伝える声なんて持ってない!」

「それなら、今パソコンの中に居る“私”でもできるもの、もう電子音声になって入っているもの、もう……この身体なんて要らない、辛くて痛くて狡くて弱い私なんて、いらないっっ!」

 拳銃の引き金は、命の重さに比べて驚くほどに軽かった。それは人格をコピーしたキーボードと対して変わらない重さで。

 左のこめかみに入っていた弾丸は、国木の三〇年ほどの人生をあっさりと終わらせた。

《……そっちの優さんも、どこかに行っちゃったの?》

 沈黙を破ったハルの言葉、彼女は嶋田がパソコンを守ろうと覆いかぶさっていたためカメラも隠され、マイクだけで外部から情報を入れており、状況を把握できていなかった。

《パソコンの中に居た優さんも、居なくなっちゃった。ここに居ても私は私だから、って》

 繋ぎっぱなしだったインターネットケーブル、嶋田はデータを調査してハルの言葉が事実であったことを知った。

 データや心は消え去るのみ、だが、そこには肉体だけが残った。頭に穴が開き、磨き続けてきたルックスを血で上塗られた、それが。





「……解体しましょう、この死体」

 云いだしたのは冷静さを取り戻した三毛だった。

「……何、だって?」

「このままの死体が見つかれば、自殺ということにはできても、日下さん、あなたの責任です。この死体、なんとかしなければなりません」

「責任は取りますよ。こうなったのは間違いなく自分の責任です。拳銃を取り出したのも、拳銃を奪われたのも間違いなく」

「そうなれば、私たちも責任を追及されるでしょうし、今回の実験のことも話さざるをえないでしょうね、良いんですか?」

 意味が分からなかった。困るのは三毛であって、それは当然のことであるからだ。

「この実験が表沙汰になれば、ハルちゃんが人工知能であることが世間に知れるでしょうね。良いんですか?」

「……?」

「嶋田さんからも頼んでくれませんか? 私ではうまく説明できないので」

「……俺はこの実験には反対したはずだぞ。三毛……」

「ええ、反省しています。ですが、今はハルちゃんのことを第一に考えるべき、違いますか?」

「ぬけぬけと……お前は自分の保身を考えているだけだろうが」

「そうかもしれません。ですが、結果は同じです。あなたがハルちゃんを大事に思うなら私も守らなければなりません」

 三毛の言葉に、ちょっと向こうに行っていてくれ、と嶋田はパソコンのマイクを切った。

「……この社長は、ハルのコピーがしたかったそうだ。

 だが万が一にも実験が失敗してハルがバグったりしたらハルという商品を失う。だから比較的成功率の高い人間との人格交換実検を使って、国木をデータした上でコピーした」

「それじゃあ人体実験じゃないか……!?」

「人体実験というより、人“心”実検ですがね……おっと、失言」

 嶋田と日下は、今にも殴りそうな勢いで三毛を睨み付けた。

「もし、今回の実験が表沙汰になれば、私はハルちゃんのコピーを開始して販売しますよ。ネットアイドルハルがあなたのスマホに! きっとメガヒットですよ」

「バカな! 実験が世間にしれれば、あんたもタダで済むはずないだろ!?」

「ええ、未知道カンパニーは終わるでしょうね。ただ事件は大きなCMになる。“ポケットアイドル ハル”を売り出す新しい会社は、未知道より大きくなります。

 なにせ、“本物”のハルの人格データです。歌ってもらうのも良し、私では思いつかないような“遊び方”をしても良い、飽きれば削除(アンインストール)、それだけです」

「人身売買も同然じゃないか!」

「人身売買は禁止でも、人心売買を禁止する法律はないでしょう?」

 そこまで来て、日下は嶋田九朗の立場を察した。

 人工知能の研究を続けるにはスポンサーが必要だが、今度はスポンサーと齟齬が生まれた。

 つまり、嶋田九朗は単純に“人工知能を作る”ことが目的だったが、三毛正二は“人工知能を使って儲ける”ことが目的だった。

 ネットアイドルとして会社のCMをするのは良い、それは良い、嶋田九朗はそれだけで十二分に会社に貢献をしたと判断していた。

 しかしながら、三毛正二は、更に儲ける手段が有るなら、それを見逃すわけが無かった。その三毛の欲望が、この状況を生んでいた。

「人格交換の技術は他に買い取ってくれる企業も有りますし、困るのは社長の私ではなく、末端の社員です。ほら、日下さん、今、ここで三人が責任を取るのは皆が後悔するだけですよ?」

「……今、優さんの死体を処理すれば、ハルちゃんのコピーは、絶対にしないと約束するか?」

「そこは今後の話し合い次第ですが、少なくとも、今、死体が発見されれば、私はコピーを強行して売り切るしかありません。

 ですが、この窮地を脱すれば、ハルちゃんはもっと大人気のネットアイドルになってくれます。少なくとも人気が有る内はこの事実を公表するメリットは無いでしょう?

 なにせ、ポケットアイドルになんてなってしまえば、我々が発信しなくても、それぞれに好きな歌を歌わせてしまいます。

 ポケットアイドルはいつでも大きな利益を出せますが、それを急ぐのはデメリットしかないんですよ」

 信じるしか、なかった。

 そして、死体を表立って公表せずに済み、日下には保身ができたことに安堵している自分と、国木優の死体を解体することへの吐き気が襲ってきた。

 着てきた服は脱ぎ、サイズの合わない国木の服を着こみ、頭には髪の毛を落とさないようにタオルを巻いた。

 死体を解体したのは、国木の頭部から弾丸を抜き出すためだった。

 頭部を割ることも考えたが弾痕の火傷はどうしようもないし、首だけ切断するのも考えたが、首から下にも銃殺の形跡を残したくなかった。

 人間はストレスで胃に穴が開いたりするように、ダメージや心理状態は臓器にそのシグナルや形跡を残す。

 その情報を時間経過で消失させるための解体だった。血や水分が流れ出せば、死亡推定時刻は曖昧になり、一応の猟奇殺人犯としての偽装も兼ねる。

 大して道具も無い。何本かしかない包丁で解体した。何度も何度もタオルで血と脂を拭い、香水で匂いを誤魔化しながら換気した。

 嶋田と三毛が何かを話しているのを聞きながら、心の中にハルの曲を流しながら、日下は手を動かした。

 首だけはそのまま持ち帰るしかなかった。国木がネットで生放送をやるときに替え玉をするときに着こんでいた緑のフードを選び出し、ザルでソバの水気を切るように、血を切ってから包み込む。

日下は来たときと同じようにカメラに映らないように配慮しながら脱出した。

 マンションのカメラに映っていた嶋田と三毛は、逆に帰る姿が残っていなければ状況的に不自然であり、普通に帰宅した。

 この映像が、後に米田が未知道カンパニーに辿り着いた手掛かりだったのだが、

 実際にマンションにはカメラに映らずに侵入できるルートがあり、死亡推定時刻も曖昧なことから物的証拠にはならなかった。



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