空想科学探偵 中聖子陽子【シュレディンガーの猫は二度死ぬ】

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序文

二〇〇七年四月一四日

二〇〇七年四月一四日



 城南大学は、山の上という立地が受験を敬遠される最大の要因となっていた。電車でもバスでも自転車でも時間や体力を必要とする。

 ただ、それでも定員割れを起こさないのは、その広大な土地と往来を気にせずに研究ができると、一部の研究者から称賛されていた。

 この環境には、研究員として籍を置く嶋田九朗も満足して、今日も自室でキーボードを叩いていた。

 思索にふける中、けたたましくなる携帯電話。最初は三毛とかいう新興企業の社長かと思ったが、この着信音は息子の秋由からだと気付く。どうせまた下らない要件なのだろう。出ることも無く九朗は電話を切る。

 人格交換という新ビジネスのためにヘッドハンティングをしたいという三毛、事あるごとに助けを求めてくる秋由、どちらも邪魔者であると嶋田九朗は断ずる。


 九朗は考える。優れたコンピューターはそれぞれ課せられた作業を遂行する。

 車を作る機械、すしを作る機械、人間を治す機械、機械を作る機械。

 多様に有るそれらは一概に入力する人間の意思に依存し、独自性と発展性を持たない。

 ならば、心を持つ機械とは、自由意思によって“自らが何を成すべきかを選ぶ機械”ということになる。

 人工知能の有名な実験に、チューリングテストというものがある。

 被験者となる心を持つ人間が無数のコンピューターや人間たちとモニター上でコミュニケーションを取り、その中から人間とコンピューターと思われるものを識別する。

 被験者を騙すことが出来れば、つまり、被験者に心が有ると感じさせれば、それは少なくとも被験者にとっては知性なのである、と。


 また着信が来た。話さずに切ったのだから今は出られないと悟れ、頭の悪い息子よ……九朗は再び通話せずに回線を断ち切る。


 だがしかし、ならば、逆に。

 人間でありながらチューリングテストによって知性のない、と判断された人間はどうなるのだ? 今、まさしく九朗が息子に対して知性の存在を認識できなかったように。

 ただの解釈の誤謬(ごびゅう)か? だがしかし、少なくとも被験者にとってはその人間の知性はコンピューターの幻のようなものにしか感じなかったはずだ。

 我思う故に我在り。

 だが、その“我”という概念そのものが“考える”という機構ではないとなぜ云いきれるのか。

 そんな安易な甘えに浸るヒマは我ら科学者にはない、デカルトよ、お前は永遠にその安寧に沈み、自分だけを眺め続けるが良い……嶋田九朗は、キーボードをひたすらに叩き続ける。

 電子が編み出す、知性の織物。人工知能。


 今度はメールの着信音。鬱陶しいとばかりに九朗は今度こそ携帯の電源そのものを切った。


 人間は生命を創造することができる。

 食用に放牧される動物、様々な効能を生み出す微生物、先の大戦における生物兵器……。だが、それでも人間は新たなる知性を発見してはいない。

 人間は存在するために他者との交流を必要とするが、それはホモサピエンスという種全体においてもそうだ。別種の知性と交わることで、その可能性は何倍にも跳ね上がるはずだ。

 この広い宇宙の中でホモサピエンスは孤独なのか? それとも無数の知性の中の一種なのか?

 シュレディンガーの猫という量子力学的な思考実験は、この場合にも置き換えて用いることができるだろうと九朗は考える。

 二分の一の確率で箱の中の猫は毒ガスで死んでいるが、この猫の死を確かめるには箱を開けるしかない。

 開けた瞬間に生か死かが観測によって確定する。箱が閉じている限り、猫は二分の一で死んでいるが、二分の一では生存している状態なのだ。

 この広い宇宙全てを観測すれば、人間が孤独であるかどうかを調べることが出来るはずだが、その技術は人間にはない。宇宙という箱は人間には広すぎる。

 箱を開けて猫の生存を確かめられないのならば、別の猫を連れてこなければならないということだ。人工知能の完成を目指さなければならない。

 我々はどこから来て、どこへ行くのか? どこを目指し、どこへ行くべきなのか?

 自分が何かを知るには、鏡を見るのが一番いい。人工知能という鏡を作り出さなければならない。

 もう少しまで来ているはずなのだ。手応えが有るが完成できない。手応えがあるのに掴めない、生み出せない。

「がぁあああああああああああ、うがぁああああああああああ!」

 絶叫と共に九朗は倒れ込んだ。

 全てを壊してしまいたくなる衝動、しかし研究室の中に壊せるものなど有りはしない。窓ガラスでも叩き壊したくなる。壁を殴って穴でも開けたいが、拳を壊して手当てをする時間が惜しい。

 そんな冷静な自分に腹が立つ。叫んでも暴れても答えは出ない。答えが出るまで苦しみ続ける。そうだ、この苦しみだ。苦しみをコンピューターが自分で生み出せなければ、人工知能とは呼べない。



【心は生まれ、消えていくものだ。それでなぜいけないのですか?】

【人工知能には、君の目指す人工無脳では辿り着けない真実が有るはずだ】

【苦しみを撒き散らすだけの真実ならば、俺は……要りません】



 ある学生の言葉がまたもリフレインする。一色賢(いっしきさとる)。

 確信めいた態度が、またも九朗の脳髄と心臓を内側から破ろうと膨張する。

 体と心の中の何かが張り裂けそうになる。張り裂けてくれ、そしてこの苦しみから自分を解放してくれ。命と引き換えに真理を得られるというのならば全てを差し出そう。

 自分の分からない物、知らない物、理解できない物、人工知能はそれらの答えを知っている存在であるべきだ。そうでなければならない。

 きっと、猫が居るならば人間の代わりに箱を開けてくれるだろう。だが猫が生きているかを調べるには箱を開けなければならない。パラドックス。

 きっと、猫が生きているならば抱きしめたくなる。しかし開けて死んでいたならばきっと悲しいのだろう。悲しみに耐えたくはない。アンビバレンツ。

 あと一歩なのだ。だがその一歩が水面を歩くような不可能な一歩であるというだけなのだ。

「嶋田さん! 大変だ! 今、息子さんから電話が有って!」

 顔見知りの研究員がドアを蹴破って入って来た。

 愚息が大学にまで電話をしてきたとは……九朗はガッカリとしていたが、研究員の次の言葉に、自分の愚かしさにガッカリした。

 なぜ息子はああまでして自分に連絡を取ろうとしていたいのか、そのことを、なぜ自分は考えようとしなかったのか。知らない間にはなかった絶望が観測によって確定した。

 交通事故が起きていた。その年で一番大きな事故だった。

 公には原因不明。突如として何台かの車が爆発して交通網が遮断され、丸一昼夜流通が止まった。

 後に嶋下交差点事故と呼ばれ、謎の事件として数週間騒がれることとなるが、その真相がどうであれ、嶋田九朗にとってはどうだって良いことだった。

 救急車が止まり、早すぎる陣痛に見舞われた九朗の妻、嶋田美香は救急車に乗ることが出来なかった。

 そんな中でも、嶋田九朗の第一子、嶋田秋由はベストを尽くし、その甲斐もあって、嶋田九朗の妻の美香は一命を取り止めた。命を失ったのはお腹の子供だけだった。

 だけだった。だけだった。名前は春と決めていたが、戸籍上は生まれることも無く、死んだことすらない子供。

 家族四人での生活を夢見ていた嶋田秋由は、その生すら受け入れられなかった。妹の存在を認めれば、それは死すらも認めることになるから。

 秋由は陣痛が判明してからは近所の人々に助けを求め、近所の人々もそれぞれに全力を尽くした。

 嶋田九朗は絶望した。医療に通じる学者である自分が居れば、何か変わったのではないか。なぜ自分は息子からの連絡を無視し続けたのか。理由は無かった。

 意味を持たせたかった。無視した意味がなければ娘の存在そのものを享受できなかったから。


「協力しましょう! 嶋田さん!」


 その男が、なぜここに居るのかと疑うことすら嶋田にはできなかった。

 三毛正二は、遺体と呼ぶことすらできない水子を眺める嶋田に福音を授けに現れていたのだから。

 数か月後、三毛正二の会社、未知道カンパニーは人格交換を世界で初めて発表することとなる。

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