刀剣の神霊武装

 対神学園・ラグナロク、今日も今日とで下校時刻。生徒達は門前に立ち尽くす少女に、さよならと告げて帰っていく。

 一三〇台の小柄な身長。白髪は彼女の姿が透き通るほど透明で、白を基調とした和装と桃色の瞳が印象的な子だ。

 真名は不明。わかっているのはラグナロクの学園長のパートナーであるということと、刀剣の神霊武装ティア・フォリマだということくらい。

 無口どころかまったく喋らない彼女を、ラグナロク生徒は親しみを込めて無口のムゥちゃんと呼ぶ。

 呼び始めたのは、この学校で唯一彼女の声を聞いたことがあるという噂の、彼女と最も仲のいい生徒だった。

「お、ムゥちゃん。今日もお見送りしてくれてんの?」

 ムゥは大きく頷く。そしてその小さな頭を、比較的大きな手で撫で回された。

「そだ。学園長にお願いがあるんだけどさ、アポ取ってもらってもいい? できれば明後日くらいがいいんだけど……」

 ムゥはまた、大きく頷く。基本的に表情が変わらない彼女だが、彼に撫でられると少し口角が緩んでしまうようで、その顔が可愛いけど滅多に見られないレアだと騒がれている。

 故にムゥが撫でられて口角が緩んでいる今、周囲からその愛らしい顔を見ようとやじ馬と化した生徒達がたむろしていた。

 だが無論、屯しているのはムゥの愛らしさだけではない。彼女を撫でているミーリの姿を近くで見たいと、主に女子が集まっていた。

 普段はユキナが隣にいるので近付き難いが、決まってムゥを撫でるときに彼女はいないので、絶好のチャンスというわけだ。

 だが今日はすぐさま、そんな女子生徒らを追い払う人がいた。ロンゴミアントだ。普段ならば気にも留めないが、しかし今回ばかりは違う。

「申し訳ないけれど、今日は遠慮してくれないかしら。ミーリの怪我に障るから……ごめんなさいね」

 ミーリが負傷してからかれこれ三日。

 すでにミーリの負傷が学内全生徒に知れ渡っており、学内は緊張状態にあった。学内最強の負傷という滅多に起こり得ない事象が起こったことで、学内には不安が蔓延している。

 そしてロンゴミアントの言葉でその不安を思い出したのだろう生徒達は、未だ捕まらない通り魔の存在をも同時に思い出し、襲われまいと一目散に寮へと帰っていった。

「ミーリ、まだ傷が治ってないんだからあまり目立たないで」

「ごめんごめん。でもムゥちゃん無視できなかったしさぁ」

 もう、と心配しているが故に少し怒っているロンゴミアント。ムゥはそんな彼女の袖を引き、何かを伝えようとする。が、生憎と無口のムゥちゃんは喋らない。

 だが――

「ダイジョブだよムゥちゃん。ロンは強いから」

 何故かムゥの伝えたいことがわかるらしいミーリ。頭に手を置かれたムゥはまた大きく頷き、トコトコと学内に戻っていった。

「……なんて?」

「まだ外は危ないから、武装になってた方がいいんじゃないのって」

「あぁ、そういう……」

 普段お姉さん気質で、少し強気な部分を見せるロンゴミアント。だがそんな彼女でも、ムゥに心配されていることに関しては嫌なことは思わない。

 それはムゥがロンゴミアントの実力を軽視しているからではなく、単純にラグナロクの生徒達全員とそのパートナーを心配しているだけという無垢な部分が大きいが、しかし明確な理由はもう一つあった。

 それは実に単純な理由。とても簡易的なメカニズム。

 ラグナロク最強の生徒がミーリなら、ラグナロク最強の神霊武装が、ムゥというだけなのだ。

「あ……」

 ムゥは、一人の女子生徒と遭遇した。

 対神学園も教育機関。故に下校終了時間というのも設けられているわけで、基本生徒はその時間までに寮もしくは自宅へと帰宅しなければならない。

 例外として神や悪魔の討伐依頼の報告のため、担当教師の元へ行く生徒がいなくもないが、しかし、ムゥがこのとき会った生徒は明らかに違っているようだった。

 対神学園には学生服というものがないので、服装は個人の自由である。故に彼女のことを外の月明りしかない暗闇で見たムゥは、彼女のシャツとスカートの至るところについているのは絵の具か何かだと思ったが、しかしすぐさまそれを訂正した。

「あぁ、ムゥちゃんか……びっくりしちゃった。先生かと思ったから、思わず――」


「殺そうかと思っちゃった」

 彼女の服にこびりついているのは、まだ変色したばかりだろう滴り落ちる赤い体液、血だった。

 ムゥは生徒証を見ることなく操作し、高速でメールを打つ。

 それに気付いた女子生徒は、後ろ手に隠し持っていた血染めのナイフを振り回した。

  ムゥは暗闇の中でそれを見切り、画面を一瞥することもなくメールを打つ。そして本文を打ち終えるととっさに体勢を低くして踏み出した瞬間の女子生徒の脚を蹴り、転ばせた。

 そしてさらに距離を取る。暗闇の中に姿を隠したムゥを追って、女子生徒は特攻した。

 一切の明かりが点いておらず、頼りは外から差し込む月光のみというこの状況下で、女子生徒は躊躇なく飛び込んでいく。普段から通っている校舎ならば当然かもしれないが、しかしまったく躊躇しないのは恐ろしいものだった。

 しかしこのとき、女子生徒は相手が誰かを忘却していたかのように思われる。自身よりはるか上の実力者が暗闇の中に入ったのだから、逃げの一手のはずはなかった。逃げるという選択肢はあっても、迎撃するという選択肢も存在したのだ。

 霊力探知もできない無芸の女子生徒は、暗闇の中でムゥに横っ腹を突かれる。重心が崩れるよう的確に突いてこられたがために堪え切れず、側にあった階段を転げ落ちた。

 そこにさらにムゥが追撃する。三五キロもない体重で女子生徒の手首を踏むと、反射で開いた手の中から血染めのナイフを蹴飛ばした。

 だが身長も体重もある女子生徒は、軽いムゥを弾き飛ばして立ち上がる。ナイフはムゥより向こう側、下の階に落ちたようだ。

 ならばと、女子生徒は転げ落ちた階段を駆け上る。そしてその目の前にあった窓を体当たりで砕き、そのまま庭へと落ちていった。

 ムゥもまたそれを追い、同じ窓から飛び降りる。しかし神霊武装は人間よりも恐ろしく頑丈で、何事もなく着地したムゥに対して女子生徒は全身ボロボロ、あざと擦り傷だらけだった。

 だが彼女の目は喜々として光り、薄ら笑いを浮かべている。そして血に濡れた腕を差し出すと、その腕に刻印を浮かばせた。

 霊力を糧に発動する特殊な術、霊術だ。

 しかしこれは本来、神々とそれに近付いたほんの一握りの人間しか使えない術。まだ体術もままならない上、ここまでなんの才能も見せていない彼女には、悪いが使えるはずはなかった。

 が、浮かび上がった刻印は鼓動し、次第にその怪しい輝きを強くしていく。霊術は、完全に発動までのカウントを始めていた。

 学校の生徒である以上、あまり傷を作りたくはなかったムゥだったが、しかしここまで傷だらけで血塗れならば、もう傷の一つや二つ増えたところで同じだろう。何より正体不明の霊術を阻止せねばと、ムゥは武装としての能力を発現した。

 左の振袖から短刀を、右の振袖から長刀を取り出し握り締める。月光を映して反射するその白銀の刀身は、邪悪の一切を打ち払ってしまうかのような、聖剣を思わせる精錬さがあった。

 二刀を手に、独特の構え。その構えが、彼女の元の主人である大剣豪のものであることなど、彼に関する資料がほとんどなく、またその語り手も完全なる無口である今、知る人はまるでいなかった。

 故に女子生徒もまた、ムゥが次に繰り出す攻撃がわからない。しかし彼女にはもはや霊術を発動するしか術はなく、腕の刻印を光らせた。

「喰ら……“リビングデッド――”?!!」

 一閃。

 いや、傍目からは一閃したかどうかすらもわからないほどの早業。ただムゥが一瞬で、女子生徒の側を通過しただけのようにも見える。

 しかし女子生徒の腕が血飛沫を上げて吹き飛び、悲鳴が上がったその瞬間、確かにムゥが斬っていたのだとわかる。しかしそれでも血の一滴もついていない二本の刀剣が、まだ見る者を疑わせた。

 とはいえ見ていたのは、たった一人の女性だけだったのだが。

 後ろで二つに結んだ濃い藍色の長髪。紫を基調とした和装で細身であり長身というモデル体型を包んだ彼女は、二人の戦いを食堂である元礼拝堂の屋根上から見下ろしていた。

 何も語らないムゥは、藍髪の女性に一瞥をくれる。しかしすぐさま、背後で呻く女子生徒――に変じていた何かに意識を向けた。

 斬り飛ばされた腕が一人でに立ち、そして指の力だけで跳ねる。そして体の方に引っ付くと、腕の中の血管が絡み合って溶け合い、くっついた。枝を這う芋虫のごとく、気色悪い動きで指が痙攣する。

 そして女子生徒に変じていたそれは、真の姿を現わした。

 地面を這う漆黒の長髪。そしてそれに負けじと伸びている長い袖のシャツ。全身が膨れ上がったのは筋肉で、手足には鋭く尖った爪。そしてその顔は人型ながら鋭い犬歯が並んでおり、目は前髪によって完全に隠れていた。

 その姿を見た藍髪の女性は、面白いものが出て来たと言わんばかりにほくそ笑む。

「その霊力は悪魔でもなければ神ですらありません。元は名もなき人、しかし神々に愛され、愛玩人形に選ばれた者。この世界では確か、こう呼びましたか……無忌の怪物と」

「こㇿス! キョロす! んのヤロー、ジで捻ㇼちゅびゅしてやりゅぅぅぅうううっ!」

 女子生徒に変じていた怪物が、人語とも聞き取れない奇声を上げて突進してくる。だがムゥはその場から動かずに片足を後ろに下げる。

 そして再び、不可視の一閃。

 怪物の口から上が吹き飛び、血飛沫が弾ける。下顎から下が激しく痙攣し、倒れるとそのままのたうち回った。

 しかしそのまま両腕を立て、這いつくばって突進してくる。ムゥがさらに斬り伏せようとしたそのとき、横から黒い霧の塊のようなものが駆け抜けて来て、怪物の体を両断してしまった。

 力なく怪物の体が落ちる。

 ラグナロクの裏ボス、アイシス・ネバーランド。

「ミーリくんに頼まれて、見回っただけなんだけど……まさか学内で敵と遭遇するとは思わなんだ――さて、そこにいる君は敵か味方か、返答次第じゃあお仲間? と同じ目に遭ってもらうけど」

 屋根上の女性は、両手を上げる。何もしませんという意思表示だ。

「私はあなた方の敵ではございません。無論人間ではありませんので、と付け加えさせていただきますが、しかし今の私はあなた方も追う者を追う者、敵対するつもりは毛の先ほどもございません故、剣を収めてくださると助かります。それと――」

 アイシスがムゥのすぐ側――怪物の側に差し掛かったとき、怪物の体が突如激しい光の渦に呑み込まれ、その体を焼き尽くされて消滅した。

 すぐさまその剣を収めて、アイシスは首を振って髪を揺らす。

「あぁ、まぁだあれが生きていることなら気付いていたけど? それで? 質問続けるけど、敵じゃないならあんただぁれって話よ」

「それは――」

「切り裂きジャックだってさぁ」

 暗闇の中から、一人の声。しかしその声を知っているアイシスは、まるで警戒することなくやれやれと言った様子で吐息した。

「来るんならもっと早く来てくれないかなぁ、ミーリくん」

「いやぁ、これでも全速力で来たんだけどねぇ。なんせもう寮でトイレ入ってて――」

「いやいいわ、その先はいいわ。というか私を待機させておいて、なぁんで来たかな」

「いやね? 先輩には保健室で寝てるユキナの様子見て欲しくてさぁ。俺に深夜の学園ウロウロする権利基本ないじゃん? でも先輩なら問題ないかなぁみたいな」

「見回りというのはそういうことね……まぁ安心しな、ミーリくん。彼女なら保健室でスヤスヤ寝息立ててたよ。んでもってその言い分だと、今日ここに先ほどの怪物が出るなどとは、思ってなかったよだけど」

「ムゥちゃんからのメールで知ったよ。まさかこのタイミングで来る? って思ったねぇ……で、君もいるなんて思ってなかったよ、お姉さん。人前にはあまり出ないって言ってなかったっけ?」

「私もそのつもりでしたよ、ミーリくん。しかし私も、まさか今日こんなところにあんな怪物が出るだなんて思いませんでした。被害者はいませんでしたか? アイシス・ネバーランド」

「研究用に飼っていた魔獣が数体殺されたくらいかな。人の被害はない分、マシだった」

「それはよかった」

 そう朗らかに言う女性を、リエンは訝しげに見上げる。ミーリがまぁまぁと間に入り、アイシスを宥めた。

「まぁ、色々言いたいことはわかるけれどね。今は抑えて。ちょっと今、あの人と計画してるんだ」

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