寫撮‐ウツシトリ‐

 彼はいつでも写真を撮っている。


 我が校には伝統ある写真部がある。

 どうも創立当初からずっとあったようで、歴代の所属者のなかには県での賞をもらった人も多くいるときく。


 とはいえ、それも昔の話。


 今は自堕落に過ごしたい、ほとんど帰宅部と同じような部員が数多く所属している幽霊部活のような扱いとなっていた。


 そのなかでたったひとり、精力的に活動している生徒がいる。

 どこか双眼鏡のような形をした、今はなかなか見かけないポラロイドカメラを片手に校内を闊歩する男子生徒。

 今ではそのようなインスタントカメラを見る機会はなかなかないし、撮影した写真はその場で現像されて、カメラ下についた吐き出し口から真四角のフィルムが出てくるのを興味深く見ていた記憶がある。


 クラスの違うわたしは、同学年であれど彼が写真部に所属していることしか知らないが、廊下で、中庭で、校庭で、街中で、どこで見かけても、いつだって彼は柔らかな微笑みを浮かべてカメラを悠然と構えている。

 春も、夏も、秋も、冬も、薄手のマフラーを巻いて、おもちゃみたいなインスタントカメラを片手に、ゆらゆらとあらゆる場を歩き回っている。


 わたしたちが入学した年、その夏ぐらいまでは彼をもの珍しそうに見る目は少なくなかったが、入学から1年以上経った今ではこれは我が校の普通の景色となっている。

 時折、1年生だろうか。不思議そうに彼を見つめる目があるが、周りが気にも留めないことに気付いて、それきり興味を失ったように歩き出す。


 これがいつもの光景。


 彼が写真を撮りながら歩くのも、手にしたカメラからポラロイドフィルムが時折飛んでいくのも、そのフィルムに何も映っていないのも、ただの日常。

 誰も彼に話しかけないことも、彼からも誰にも話しかけないことも、日常。

 彼がひとりぼっち、幽霊のように歩き回ることこそが日常。


 活気ある人の流れのなか、ゆらり、と合間を縫うマフラーの影。


 わたしはその姿を横目に校舎に隣接された図書館へと向かう。

 今日は図書の昼当番の日だ。別に急いでいくほど仕事もないが、ご飯は急いで食べてしまったし、これ以上教室にいてもやることもない。

 だから、今日もすることもなく外へ出て、いつものとおりに彼の姿を見る。


 今日も誰も見ていない、見られていない、写真部の彼の姿を。


 真正面から向かってくる彼はカメラに夢中でこちらのことなどまるで見ていない。

 おかしな話だが、真正面にいて、こちらにカメラを向けているにも関わらず、彼はわたしを見ていない。

 あるいは、なにも見えていない。


 だからこのままではぶつかってしまうし、いつものとおり、わたしは彼を避ける。


 どうにもルートの位置取りが似ているらしく、昨年からこういう事態にたびたび遭遇するのだ。

 そういうこともあってわたしは彼から目を離せないし、今後も離すことはないだろう。

 たぶん、学校で唯一、わたしは彼を見ている。彼はわたしを見ていないけど。


 ぱしゃ、と喧噪のなかから漏れ聞こえる音。

 うぃーん、とフィルムが吐き出される音。

 ひら、とそのフィルムが舞い落ちる音。


 わたしに向かっていたはずのレンズに、わたしが映っていないことを見せつけるフィルム。

 足元に舞ってきたそれをしゃがみ込んで拾い上げる。

 白いふちに、長方形の黒いフィルム。

 現像までに少し時間のかかるそれをぱたぱた振りながら、じんわりぼんやりと浮かび上がる白に「ああ、またか」とほんの少し落胆を覚える。


 今日も、何も写っていない。


 頭上に影が落ちる。誰かがわたしを見下ろしている。まぁ、正面から歩いてきていた誰かさん、だろうけれど。

 ろくすっぽ前など見ていないだろう、と思っていたが、どうやらそうでもなかったようだ。


 上を見れば、案の定、曖昧な笑顔の彼のすがた。


「なにか写ってる?」


 撮った本人が聞くセリフではない。

 でも、わたしはその意味を知っているし、彼も答えは予想していたのだろう。

 手に持ったそれを向けてやれば、がくり、と肩を落として見せた。


「うーん、だよねぇ。なにも写ってないよね」 


 そう言いながらも薄い笑みを崩さない彼を見上げたまま、ずっと気になっていたことを聞いてみる。


「ねぇ、いつも何を撮ってるの?」


 手に取ったそれをもう一度見直してみる。

 クリーム色じみた白をまろやかに広げたポラロイドフィルム。そこにはなにも浮かばない。意味のない空白がわたしを飲み込むように口を広げているだけ。

 カメラを構えているのだから何かを撮ろうとはしてるのだろうけれど、ここからでは彼が何を撮ろうとして歩き回っているのか見当もつかない。


 だから、彼を見上げる。透明な笑みでカメラを持つ姿を。

 薄い笑みのまま、彼が口を開いた。


「このカメラはね、ちょっと特別、なんだよ」

「……特別?」


 見たところ、なんてことない使い古されたインスタントカメラなのだけれど。

 強いて言えば何も写らないことが特別だが、もうそれは故障だとか不良品、という次元のはなしだし。


 まじまじと彼を見つめていると、珍しく笑みを困ったかたちのものへと変えた。

 言葉もなく差し出される手のひら。意味もわからず首をひねると「とりあえず立った方がいいと思う」と引っ張り上げられてしまった。

 スカートの裾に付いた砂を軽く払って礼を告げる。


「ごめん、ありがとう」

「いえいえ。見せた方が早いかと思って」

「見せる?」

「ほら、これ」


 そう言って、彼は制服の胸ポケットから自分の生徒手帳を出した。

 どういうことだろう、と黙って見ていると、ページの隙間から数枚のフィルムが現れる。


「お気に入りのやつを、こうやってはさんでるんだ。俺が撮るほとんどは、失敗作だからね」


 これと同じでさ、とわたしがもつ白いフィルムを示す。

 なるほど、彼にとってこれは失敗作らしい。


「で、成功してるのはこっち」


 はい、と差し出される数枚のポラロイドフィルム。

 受け取ってみてみると、それはいつもの白いフィルムとは違った。


 空白のなか、ぼんやりと立ちすくむ黒い人影。地面に倒れ込む、人のカタチ。こっちに向かってピースを向ける笑顔。

 真っ白な背景のなか、黒い人影がぼんやりと写り込んでいる。


「なに、これ」


 薄ら寒いものを感じて呟く。

 だが、彼はわたしが感じた怖れに気付いた様子もなく、どこか自慢げに説明してくれた。

 

「うーん、俺もよくわかんない。ただ、このカメラは見えてるものは写らないけど、視えないものは写るんだよ。たとえば、このピースしてる写真は公園で撮ったんだけどさ。実際に小学生が学校帰りに遊んでるところにカメラ向けて撮ったんだ。そしたら、見えてる子たちもピースしてくれてたけど彼らは撮れてなくて、代わりにこの子が写ってた」


 それを聞いて、もう一度そのフィルムを眺める。

 にかっ、と笑った黒い影が突き出すピースサインの写真。


「かわいいでしょ?」


 そう言われてみるとかわいいような、やっぱり気味が悪いような。

 

 うーん、と悩みこむわたしを笑ってか、彼が「ふふっ」と笑い声をこぼした。

 その笑顔には、自らが撮ったものへの疑問も恐怖も見られない。撮れたことが重要だ、とでもいうように嬉しそうな無邪気な笑顔だ。


「こわくはないの?」

「なんで? 何がこわいの? 写るならそこにいるってことでしょ。俺たちには視えてなくても……なら、俺はそれでいいよ。これで撮れるなら、なんでもいいし」


 大事そうに抱えられたインスタントカメラ。

 細かい傷がついていることから長く使っていることが伺える。


「じゃあ、そこまでこのカメラにこだわる理由は?」

「小学生のときかなんかだけど、自分でお金貯めて初めて買ったんだ、このインスタントカメラ。初めて、どうしても欲しい、って思ったものを、ね。思い出深くて手放せないんだ。訳有りだし、ポンコツなのはわかっているけど」


 つまり、ただ単にお気に入りで執着がある、という、ただそれだけのことだ。


 それ自体はなんら特別な理由ではない。

 いうなれば、小さいときからずっと一緒だったから捨てられないぬいぐるみ。あるいは、小さくなって着られなくなってもお気に入りのTシャツ。何気ないやりとりのために替えられない携帯。彼にとってこのカメラはそういうものなのだろう。


 彼にとって、写真を撮る、ということは「このカメラを使う」ことであって、撮れるものは問題ではないのかもしれない。


「だから俺はさ、何かそこにいるのにいないナニかが撮れるまで、手当たり次第に撮ってるだけなんだ」

「ほとんど、なにも撮れていないのに?」

「だから撮れるまで撮るんだよ」

「そう、なの」

「そうなんだ」


 彼はにこにこと笑っている。

 笑ったまま、わたしの答えが無いことを悟って、くるん、と背中を向けた。

 

「じゃーね」


 ひらひら、と手を振って軽やかに去って行く背中。

 不安定なその足取りにぼんやりと訳の分からぬ不安を感じながら、わたしは人の声が賑わう校舎を背に図書館へ向かって歩き始めた。

 少し急がないと、図書の貸し出し当番に間に合わないかもしれない。

 

 その日の放課後。


 部活だ塾だと慌ただしく人が行き交う夕方の日常風景に、わたしは溶けあうように昇降口へと向かう。

 途中すれ違う友達に挨拶をしながら、いつもどおり、日常の通り、図書委員の仕事のために図書館に向かう。昼は5分ほど遅れてしまったから、帰宅時間まではきちんと役割を果たそうとほんの少し急ぎ足で。


 昇降口を出れば、いつもどおり、真正面から彼の姿。


 彼は相変わらず曖昧な笑顔を浮かべている。曖昧な笑顔を浮かべて、ふらふらと虚空に向かってシャッターを切っている。


 ひら、とカメラから舞い落ちるフィルム。

 地面に落ちる。

 いつもの真っ白な、何も映っていないフィルムが一枚。

 ひら、と続いてカメラから舞い落ちるフィルム。

 地面に落ちる。

 こちらもいつもと同じ、真っ白な、何も映っていないフィルムが一枚。


 ひら、ともう一枚。

 わたしの足元に落ちる。


 どうせ、なにも写っていない。

 今日もいつもどおり、なんでもない日常のひとかけらとしてフィルムを拾い上げる。

 

 ――そこに在るのは、こちらに向かって伸ばされた黒く、大きな手のかたちをした影。


 ぞくっとして、思わず彼の方を見る。


 ちょうど彼はわたしの真正面にいて、ふわり、と軽やかにわたしを避けるところだった。


 ちらり、とすれ違いざまに揺らいだマフラーの向こう。

 彼の白い首筋にくっきりと浮かんだ、手のかたちをした痣。大きな、赤黒く、真正面から首を絞めるような、手の痕が浮かんでいる。

 ちょうど、わたしの手の中のフィルムに写った誰かの手が、そのまま彼の首に絡み付いたような痕が。


 しかし、やはり彼はそんなことを気にも留めない笑みで、いつも通り、ふわふわと歩いていくだけだった。

 

 たぶん、今日も彼は地に足のつかない曖昧な存在のまま、カメラの向こうにいる曖昧な存在を追っているのだろう。

 わたしにはそれが、ほんの少し、おそろしい。

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