第3話 Side―A 第二章 相川グループ
「へえ~。麻衣、新しいバイト、始めたんだ。」
「うん。ちょうど昨日からなんだけど、やっぱ新しい所って、緊張するね…。」
2016年10月。夏の暑さも一段落し、世間は秋のモードになっている。実際、夏ほどの活発な雰囲気はないかもしれないが、世間はこれから迎える、ハロウィンや紅葉などの秋のイベントに、浮き足だつ雰囲気であった。
麻衣と健吾は、その日からが大学の新学期ということもあり、お互いに午前中で講義を終えた後、学内のカフェで過ごしていた。そのカフェは、なんと図書館の建物の中にあり、「借りた本を、そのままカフェに持ち込んで読める。」
と、学生から評判になっているカフェであった。
また、そのためか内装もどちらかというと落ち着いた雰囲気で、活気のある夏よりも、どちらかというと秋の方がしっくりくる、そんなカフェであった。
「確かにそうだね…。それで、麻衣の新しいバイトって、どんなの?」
「おしゃれな高級レストランの、ウェイトレスのバイトだよ!」
「へえ~。高級レストランか…。行ってみたいけど、ちょっと高めなんでしょ?」
「そうだね…。学生が入るには、ちょっと高いかもしれないね…。
でも、そこのレストラン、内装もすごく綺麗だし、そこに来るお客様も、品のある人ばっかりで、本当にいい雰囲気なんだ!
…まあ、私まだ1日しか、そこで働いてないんだけどね。」
「そっか。でも麻衣が言うなら、間違いなさそうだね!」
「いや、私のアンテナは、当てにならないですよ~。」
「えっ、そうなの?」
「そこは否定して欲しかったな…。」
「あ、ごめん。そんなことないよ!」
「ちょっと、もう遅いよ~。」
こう2人は冗談を言って、笑った。
「ところで麻衣、麻衣は前の…塾のバイト、どうして辞めたんだっけ?」
「あれ、言ってなかった?
実は塾のバイト、私すっごく気に入ってて、大学卒業するまで、ずっと続けよう、って思ってたんだけど、そこの塾、個人経営の塾で、塾のオーナーが、
『ちょっと、経営が厳しくなってきたんで、塾をたたまないといけません。』
って、言ったんだ。それで、私も仕方なしに、辞めることになっちゃった。
まあ、『辞める』って表現が、正しいのかどうか、分かんないんだけどね。」
「そっか…前に訊いたかな?ごめん、忘れちゃった。」
「ちょっと、そんなことではダメですよ~。」
「ごめんね。」
2人のバイトに関する話は、さらに続いた。
「それで、麻衣は何を教えてたの?」
「私は…、中学生が対象の塾だったんだけど、国語と数学!特に、国語を教えるのは、楽しかったな。国語は得意、ってのもあるし、塾の生徒たちが、私のことを、
『麻衣先生、麻衣先生!』
って言って、慕ってくれたんだ。それが私、本当に嬉しかった!
それで、国語だけでは回らない、ってことになって、数学もちょっと、教えてたんだ。あと、
『鈴木さんは文学部なら、英語もいけるかな?』
って塾のオーナーに訊かれたんだけど、
『それはちょっと…。私、英語は苦手なんです。』
って言って、止めてもらったんだ。もちろん、中学英語なら何とかなる、そんな気もしたんだけど…ね。
それに、私より英語の得意な講師のバイトの人もいたから、そっちに任せた方が、生徒のためにもなるし…ね。」
「そうなんだ。でも、これから勉強して、英語を教えられるくらい、英語が得意になれたらいいね!」
「そうだね!
でも、今のバイトも、バイト仲間の人間関係も良さそうだし、ずっと、続けていけそう!とりあえずがんばって、お金、稼がないとね!」
「ようし、僕もバイト、頑張らなきゃな!」
「そうだね。確か健吾も、塾のバイトだったよね?」
「そうだよ!」
「あ、ごめん。私、今日の晩も、レストランでバイトなんだ。
だから、そろそろ帰るね。」
「分かった。じゃあまたね、麻衣!」
「またね、健吾!」
2人はこう言って、その日は帰ることとなった。
そして、麻衣はバイト先の、レストランに来ていた。そのレストランは、麻衣の下宿先のアパートから、大学側とは反対方向に、歩いて10分くらいの所にあった。実は、そのレストランのある辺りは、高級住宅街で、マンションだけでなく、豪邸のような家まである。そのため、例えば一般のサラリーマンにしてみれば、
「少し敷居が高い。」
と感じさせるような独特の雰囲気を、その街は持っていた。
そんな立地条件の店であったため、自然と客層も、いわゆるお金持ちが多く、そこのレストランで働く従業員にも、(たとえバイトでも)気品が求められた。
ちなみに、麻衣はバイトの面接時から、
「この子、可愛らしい子だなあ。それに、品もある。」
と、面接官に思われていた。そして、簡単な模擬接客のテストもクリアし、晴れて、その店のスタッフとして、働くことになったのである。
「いらっしゃいませ。ご注文は、何がよろしいですか?」
麻衣がレストランのウェイトレスのバイトを始めてから、1週間が過ぎようとしていた。その間、麻衣は週5くらい、バイトに入っていたが、麻衣の接客は丁寧で、麻衣はその容姿だけでなく、仕事ぶりからも、
「この子、よく気が利くし、仕事のできる、いい子だなあ。」
と、レストランのスタッフ、また客から、思われていた。
「麻衣ちゃん、麻衣ちゃんは仕事もよくできるし、助かってるけど、ちょっとバイトに、入り過ぎじゃない?麻衣ちゃんも忙しいだろうから、勤務の回数、減らしてもいいよ。」
「ありがとうございます、先輩。でも私、大丈夫です。
もちろん、体調が悪い時には、休みますけど…。」
「そっか。くれぐれも無理しないようにね。」
麻衣は、バイトの初週、週5でバイトに入り、そのペースをこれからも、続けようとしていた。
「ちょっとみんな、集まってくれるかな?」
レストランの開店直前、チーフのシェフが、その場にいた全スタッフに、こう呼びかけた。
『チーフが全員呼ぶなんて珍しいな。何だろう?』
麻衣はそう思いながらも、チーフの呼びかけに応じた。
「実は今日は、この店のオーナーの、相川孝あいかわたかしさん、それに、孝さんのご子息の、相川孝希あいかわこうきさんが、お見えになりました。」
そう言って、チーフはそこにいた2人の男性に、礼をした。
これが、麻衣と相川孝希との、初めての対面であった。
相川孝希は今まで、自分が欲しい物全てを、手に入れてきたと言っても、過言ではない。
比較的苦労して、相川家の財産を作り上げてきた、相川グループ初代の孝とは違い、孝希は、いわゆる「2代目」のポジションに当たり、物心ついた時から、ある程度のお金が、孝希を含む相川家の元に、あった。(もちろん、孝希が小さい時にも、初代の孝は頑張って働き、そのおかげで今の相川グループの成功があるのだが、そういったことは、小さい頃の孝希にとっては、どこ吹く風で、孝希は、生まれながらの金持ちであると、大きくなった今でも、思っている。)
そして、孝の父親はそれほどお金を持っていなかったため、小さい時はお金のことで苦労した経験を持つ孝は、
『自分の息子には、苦労はかけたくない。』
という意識が強く、1人息子に当たる、孝希を溺愛していた。
「孝希、はい、これが13歳になった孝希への、パパからのプレゼントだよ!」
こう言って渡したのは、とある高級ブランドの、フランス製の財布であった。その頃、思春期真っただ中だった孝希は、既にお金持ちの仲間入りをはたしていた父に、
「パパ、俺、かっこいい財布が欲しい。」
と、おねだりをし、孝はそれを止めることも、「お前にはまだ早い。」
と注意することもなく、息子に買い与えたのであった。
また、孝希の母で、孝の妻に当たる、相川裕希子あいかわゆきこは、日本を代表する、「真田グループ」の末っ子で、こちらも親に溺愛され、甘やかされて育ってきたせいか、1人息子を甘やかす癖があり、また金使いも荒く、孝希の誕生日、クリスマス、お正月など、何かにつけては孝希に、高級なプレゼントを買い与えていた。(もちろん、裕希子は、いわゆる自分へのプレゼントも、頻繁に購入していた。)
『俺は、特別な人間なんだ。俺は他の、下等な人間たちとは違う。』
これは、孝希の、心の中の声である。孝希は、自分のことを過剰に愛し、言うことを何でも聞いてくれる両親に育てられた結果、世界の中心には自分がいて、自分を中心に世の中は回っているという、間違った考えを持つに至っていた。
また、孝希の両親への愛も、甘やかされた結果異常に強くなり、孝希はいわゆる、「ファザコン・マザコン」であった。
つまり孝希は、わがままな赤ん坊が、そのまま大きくなったようなイメージの、大人だったのである。(ちなみに、孝希は9月で、26歳の誕生日を迎えていた。)
そして、そんな孝希は、今まで、真剣に女性と付き合ったことが、なかった。
自分が気になった女性には、すぐに声をかける。孝希は、ずっとそんなことを、繰り返してきた。ただ、孝希は、背は180cmと高いものの、顔は決してかっこいいとはいえず、(むしろ典型的なぶ男で、)今までの人生、モテてきたわけではない。ただ、孝希のバックにあるお金につられ、今まで孝希と付き合ってきた女性は、孝希と一緒にいただけのことである。
しかし、孝希のわがままな性格、そして、甘やかされたことから来る、極度のファザコン・マザコンのせいで、孝希の元から、すぐにそんな女性たちは去っていった。
そして、女性たちが去っていく度に、
「孝希、決して、お前が悪いわけではないぞ。相手の女性の方が、お前を見る目がなかったんだ。」
「そうよ孝希。あんな娘、相手にするんじゃないわ。」
と両親から言われ、また、孝希自らも、
「そうだ。結局、あの女はそんな女なんだ。あんな下等な女と、俺では最初から釣り合わない。」
と、自分勝手な言い分を自分自身に言い聞かせ、自分自身で納得していた。(こういうことを、世間一般では、「すっぱいぶどう」と言うのだろう。)
「いやいや、今日は開店前に集まってくれて、ご苦労ご苦労。みんな、励んでくれてるかな?」
「はい、もちろんですオーナー!」
孝の呼びかけに、チーフのシェフが、恭しく答えた。
「それは何よりだ。
今日は、たまたま他の仕事で、この辺りに立ち寄ったので、顔を出してみたんだ。それに…私の息子、孝希は、この店に来るのが初めてなので、みなさんに挨拶させておきたいと思ってね。
ほら、孝希、挨拶しなさい。」
孝にそう呼びかけられた孝希は、ふてぶてしい表情で、ぼそっと挨拶をした。
「初めまして。相川孝希と言います。よろしくお願いします。」
もちろん、挨拶時には敬語を使った孝希であったが、その態度は横柄で、どこか、人を見下した感がある。その様子を見ていた麻衣は、
『この人、ちょっと態度が大きいかも。言ったら悪いけど、なんか、この人、苦手だなあ…。』
と、心の中で呟いた。
「さて、今日は私の息子と、君たちスタッフとの、初めての対面となったわけだし、君たちの方も、自己紹介してくれないかね?
…そうだ君、見ない顔だね?新しく入ったアルバイトの子かな?じゃあ君から、自己紹介をお願いするよ。」
孝に呼びかけられた麻衣は、自己紹介をすることとなった。
「初めまして!私、鈴木麻衣と言います。1週間ほど前に、アルバイトとして雇ってもらい、ここでウェイトレスとして、働かせてもらっています。よろしくお願いします!」
麻衣の快活な挨拶は、いつも周囲の人を和ませる、そんな力がある。この日も麻衣は、はきはきと自己紹介をし、それがこの店の全スタッフに、好印象を与えていた。
「おお、鈴木麻衣、さんか。君は見た目も綺麗だし、挨拶もしっかりしているね。君みたいな子がうちのスタッフにいたら、この店も安心だな。」
「いえいえ、そんな…。
まだまだ不慣れなことも多いですが、頑張って働きます。」
「おお、頼もしいねえ。」
麻衣は、こうして、孝と少し会話をした。
また、その様子を孝の隣で見ていた孝希は、全く別の感情を、持っていた。
「鈴木…麻衣か。かわいい娘だな。
この娘は愛想も良さそうだし…俺の彼女にはぴったりだ。」
少し歪んだ形ではあるが、孝希は、麻衣に一目惚れをしていたのである。
そして、スタッフの自己紹介は続き、最後の人の自己紹介が終わった後、孝・孝希は、店を出ることとなった。
「いや、私たちはこの後も仕事があるので、今日はこの辺で失礼するよ。
今日は君たちの料理が食べられなくて、本当に残念だ。まあ、今日も頑張ってくれたまえ。」
「はい、分かりました、オーナー!」
スタッフ一同は、オーナーとその息子に対して、深々と礼をした。
そして、2人が店を出、孝と孝希と、運転手の3人だけとなった帰りの車中で、孝希は孝に、あるお願いをした。
「いやオーナー、いくらオーナーの頼みでも、それはできかねます。近頃は、個人情報も厳しいですし…。」
その日の閉店後、店のチーフのシェフの携帯に、オーナーから電話がかかってきた。
「何を言っているんだ!君は、今まで君のために色々なことをしてきた、私に逆らうつもりか?」
「いやオーナー、決してそのようなつもりは…。」
「なら話は速い。君は、私に従うまでだ。
それに、今回の頼みは、そんなに難しいものではないだろう?
ただ、あの『鈴木麻衣』っていうアルバイトの子の、連絡先を教えて欲しい、と言っているだけだ。
いや、あの子のことを、うちの孝希がいたく気に入ってね。」
「いやでもそういうことは、本人同士のことかと…。」
「やはり君は、私に逆らうつもりなんだね!」
「…いえいえそんな。
分かりました。
では携帯電話の番号を…。
○○○―○○○○―○○○○です。」
「そうかい。ありがとう。君には、後できっちり、お礼をするからね。」
そう最後に言い残し、オーナーはチーフのシェフとの電話を切った。
「お疲れさまでした!」
麻衣は、店が閉まり、その日の勤務を終えた後、家路についた。
『私、人を第一印象だけで判断するのは良くないけど、あのオーナーもその息子さんも、ちょっと苦手…。』
麻衣は、心の中で、そう呟いていた。
その日の夜は、雲一つない空で、見上げると、秋の星座が、きらきらと光っていた。特に、店のある高級住宅街は、街灯も少なく、はっきり、星空を眺めることができた。そして麻衣は、
『そういえば昔、星座の勉強したっけ。でも、どれがどれか、覚えてないなあ…。
まあ、きれいな星空だし、いっか。』
と心の中で言いながら、家に辿り着いた。
そして、郵便受けを覗いた、その時…。
またも、差出人不明の手紙が、麻衣のポストに、入っていた。
―親愛なる舞へ
今日の気分はどう?ちょっと、嫌な気分になっちゃったかな?
まあ、今日もゆっくり休んでね。
それで、新しい詩のタイトルも、考えたんだ。タイトルは、
『陽だまりの中で』
だよ!
またね!
孝介より―
『また、孝介さん…からだ。
それにしてもこの人、本当に、住所を間違えているんだろうか?』
麻衣の頭は、手紙のことで混乱していた。
『でも、もし住所を間違えているなら、その、舞さんにはこの手紙は届いていない、ってことになる。それに、私、勝手に手紙、読んじゃってるし…。
でも、差出人も宛先も書いていないのは、やっぱり変だなあ…。
まあ、考えても仕方ないか…。』
麻衣は、そこで考えるのを止め、今日はゆっくり休むことにした。
『明日も講義とバイトがあるし、ちゃんと疲れ、とらなきゃ。』
そう思った麻衣の携帯に、深夜、着信が入った。
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