短編作品いろいろ

@tetsuyamamoto

1.居場所がないよ

 勤務地が決まったのは、年明けのことだった。僕は少しずつ引越しの準備を進めた。

 住み慣れた東京を離れるのは心細い。家族も友人も全員が東京にいる。いわゆる地元とは少し違うかもしれないけれど、ここが故郷なんだ。それでも僕はこの場所を離れる決断をした。その決断に誇りを持ちたかったし、肯定したかった。


 鉄道を乗り継いで見知らぬ町に降り立った時、僕は頑張ると決めた。誰1人知っている人がいないこの町で戦う。結果を出して、成長して、一人前になる。ここから新たな人生がスタートするんだ。


 …と、意気揚々と新生活が始まったものの、寂しさはすぐに襲ってきた。良い歳して「寂しい」とか思ってしまう自分が恥ずかしかった。だから、そんな女々しい悩みがバレてしまわないように、目の前の仕事に打ち込んで感情を心に閉じ込める。

 会社の同期も先輩も快く自分を迎え入れてくれたし、良い人たちだらけだ。しかし、どうしても埋めきれないスペースが心にある気がした。


「同僚ってのは、仲間だけれど、友達ではない」


 誰かが言っていたフレーズの意味を理解するまでに、少しの期間がかかった。初めは「期待してるからな!」「良いね!フレッシュだね!」とバチバチ肩を叩かれて人の暖かさを感じたけれど、すぐに一瞬の"ブーム"は去っていった。


 もてはやされなくなった新入社員は、仕事のできない、扱いの難しい同僚でしかない。平常運行の日々は続いていく。それでも自分の選択は間違っていないと信じるしかなかった。やると決めたのだから。


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 僕が唯一、弱さを見せることができたのは、1つのライングループの中だけだ。「光田ゼミ B班」と名付けられたグループのメンバーは3人。班長だった大地と、菜々子ちゃんと、僕。大学のゼミで仲良くなったメンバーであり、卒業共同論文を仕上げたメンバーだ。


 遠い昔のようだけれど、僕たちは1つの論文を完成させるために、各々の心が折れるまで衝突し、励まし合った。数ある論文群の中で僕たちの論文はすこぶる出来が良く、卒業前に学内で表彰されたのは良い思い出だ。


[光田ゼミ B班]

 大宮修斗:[やっと仕事終わりました〜。研修がきついわ〜]

 nana:[お疲れさま(笑) 今日も遅かったね。へこたれるの早くない?]

 大地:[社畜の皆さんお疲れ様です。公務員はもう晩酌を終えちゃってまーす]


 基本的にくだらない会話しか流れないけれど、僕にとっては2人との会話が毎日の楽しみだった。2人にはなんでも言えたし、自分の弱い面も見せられた。というより、既に見せてしまっているのだから、これ以上何も見せられない。


 それに、少しでも強がろうとすると、すぐに見透かされる仲なんだ。


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 新しい街に、コミュニティに、なんとか馴染もうと工夫はした。会社の先輩たちの誘いには快く乗ったし、SNSを通じて勉強会やパーティにも出席してみた。コミュニティは少しずつ増えたけれど、心の溝はやっぱり埋まらない。どうすればいいのかわからなくて、食らいつくように仕事に励んだ。自分を奮い立たせて、クタクタで帰宅する毎日を繰り返す。


 4月に新入社員がやることなんて研修と簡単な事務作業ばかりだ。しかし、ありがたいことに、会社でやることが尽きるなんてあり得ない。「何か手伝いますか?」と、手当たり次第先輩に声をかけては、あらゆる作業をこなす。すぐに「これもお願いできる?」と仕事をお願いされる機会は増えていった。


 チャンスはすぐにやって来た。

「明日商談に行くんだけど、ついてくる?」と先輩が申し出てくれたんだ。僕の同期が相変わらず、研修課題に取り組んでいたり、雑多な作業に追われている。そんな中での一言。嬉しかった。少しばかり汚い感情かもしれないけれど、素直に喜んでしまう。一歩リードといったところだな。




 後日行われた商談は、新人の自分にでさえ、前向きな返事が聞けない雰囲気を感じさせた。それでも最終的に「では、ぜひ宜しくお願いします」と返事をもらえたのは、明らかに僕の功績だった。


 名刺を渡した以降、長らく固まっていた僕は、営業トークに息詰まる先輩を助けようと「こう考えてみてはどうでしょう」と一石を投じたのだ。先走ったかなとも思ったけれど、提案は上手くハマったようで、その場の流れがガラリと変わった。


「いやー大宮君の一言が効いたよー。将来有望だね」

「いやいや。でも僕はあれ以外は黙ってただけですから…」

「それが普通だよ」


 ある程度はお世辞だろうけど、「将来有望」の一言は本意だと感じた。この街でも、会社でも、少しだけ居場所を見出せる気がした。



 しかし、次の日。その期待は偽物だったと気づく。僕の仕事を褒めてくれた先輩も、他の先輩も、同期も、いつも通りなのだ。ここは大人の世界なんだ。どんなことがあっても、すぐに平常運行に戻るんだ。

 

 一度ばかりの成功体験をしたからといって、僕の心の隙間は埋まることはなかった。褒め言葉は応急処置でしかない。結局、誰も自分のことを理解してくれることはないんだ。ここに僕の居場所はない。今後居場所となる保証もない。ただただデスクに向かい、資料とパソコンに向き合うことしかできなかった。


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 その日の夜に家へ帰ると、ダムが決壊したように心に押し込めた感情に襲われた。自分を肯定してくれる人なんて、助けてくれる人なんて、誰もいないんだ。


 自分のやりたいことってなんだっけ?なんでこの街に来たんだっけ?この世界で、僕は一人ぼっちになんだ。大げさにそこまで思い悩んでしまった。自分の性格が嫌になる。


[光田ゼミ B班]

大宮修斗:[2人とも、連休の予定はあるの?]


 頼れる居場所は、スマホの中にあった。


nana:[わたしは友達に会いに東京に行くよ〜]

大地:[俺は大した予定もないし、自分の家でのんびりかな]

 

 よし。東京、行こう。


大宮修斗:[そしたらさ、3人で飲まない?]


 「いいね」と2人は同調してくれた。「珍しいな。なんかあった?」と不審に思ったのは大地だ。あいつのことだから、心の中の女々しい感情に気付かれたかもしれない。でも、それも仕方ない。こいつには隠せない。どのみち話すことになるんだ。2人にしか見せられない弱い部分を。


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 5月3日。僕は鉄道を乗り継いで、慣れ親しんだ大都会に戻ってきた。1ヶ月前に見た景色とは、また違ったように見える。「ここにくれば誰にでも会える」そんな安心感がある。


 待ち合わせ場所の公園に向かうと、街頭に照らされた2人が見えた。大地は白のシャツを着ていて、菜々子ちゃん薄い色のワンピースを着ている。手前の信号で待ちながら、花壇の縁に背を向けて座る2人を眺める。あぁ、懐かしい。


 彼らと会うのは、たったの1ヶ月ぶりだ。それなのになぜか、心が安らいだ。あれもこれも、2人に話したい。何に取り組み、どんなモヤモヤを抱えて1ヶ月を過ごしたのか。受け止めてくれる気がした。理解してくれる気がした。自分の居場所となってくれる気がした。


 信号が変わり、僕は自然と小走りになる。どんな声で、顔で、声をかけよう。どうでもいいか。意気揚々と走り終えて、声をかけようとした瞬間、僕はピタリと足を止めた。地面に吸いつけられるようだった。


「えっ…」 


 大地と菜々子ちゃんは、向き合ってキスをした。自分の目の前で起こっていることが理解できなかった。頭をフル回転させる。でもすぐにショートして、真っ白になる。


 そんな僕をよそに、2人は何事もなかったかのように向き直った。すぐ後ろに旧友が立ちすくんでいることに気づく様子もない。2人の間に、僕が座れるスペースはなかった。

 

 力の入らない体をなんとか動かし、点滅する信号に向き合う。渡れる。僕は全速力で横断歩道を駆け抜け、そのまま駅までダッシュで向かった。


 誰もいない町の静かなアパートを目指して、列車に乗り込んだ。




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