今は遠き憐雪花(おもいで)
杜乃日熊
今は遠き憐雪花(おもいで)
それは白銀の世界を舞う微小の妖精だった。彼らは冬の寒さに震える僕を無邪気にせせら笑う。その行為は悪意のあるものではなく、幼心ならではの無分別的な感情表現だ。それを不快には思わない。むしろ微笑ましく見える。彼らが地に降り立つ末路を見届けると、無性に切ない気持ちにさせられた。
大規模に降った大雪は人々を騒然とさせた。近年稀に見る大寒波らしい。珍しいことに、この辺りでは五十センチメートル以上も雪が積もった。
今日は幸い休日ではあったが、母さんに命じられて僕は家の前を雪かきしていた。せっかくこたつでヌクヌクとみかんを頬張ろうとしていたというのに。まさに鬼の如き所業……などと言えば今日の夕飯を作ってもらえなくなるので、しずしずと雪かきに勤しむしかないのだ。
先ほどまで吹雪いていたが、今では太陽が雲から顔を出し始めている。
スコップを持って労働している中、家の近所では子供たちが雪玉を投げ合っていた。投げては投げ返し、白い玉はひっきりなしに飛び交う。朗らかに甲高い声が鳴り止まない。
子供は元気に遊べて羨ましいな。今の僕からすれば、到底真似できないことだ。しかし、かつては僕も子供だった。彼らと同じように友達と遊んで、外を走り回って、無邪気に笑っていたのだ。そんなことを考えているうちに、ふと懐かしい気持ちを抱き始めていた。
◇
あの日も今日のように雪が積もっていた。その年初めての降雪に歓喜した当時の僕は、家を飛び出して近所の公園へと向かった。そこには僕と同じ喜びを抱く仲間が集まっていた。皆考えることは同じだったようだ。
その集まりのリーダー格であるリーダー(通称)が雪合戦をしようと提案した。皆一様に賛成した。
三対三に分かれて準備に取り掛かった。敵方の編成がリーダー、ノッポ、チビ。対するこちらは僕、メガネ、そして
彼女はとても丁寧に雪玉を作っていた。一度投げれば、四散して跡形も無くなるというのに。表面が滑らかで見た目からして頑丈そうだった。真剣に雪を固めている彼女の横顔を、気がつけば目で追っていた。
あらかた準備を終えて、いざ戦闘開始。リーダーが発声すると共に、雪玉が空を飛んだ。投げては避け、補充してはまた投げた。何投目かして、ノッポが最初の犠牲者になった。当たったのは僕の球だった。あの時はなぜかノッポを執拗に狙っていた気がする。チビはとてもすばしっこかったし、リーダーは当てるのがとても恐れ多かった。となれば、自然とターゲットはノッポに絞られた。僕だけでなく、メガネも彼女も重点的に狙っていた。
真っ白な自然のマットに目一杯の足跡が刻まれた頃。皆がお揃いで服を白く染めていた。ただノッポの服は元々の色が分からなくなるぐらいに変色していた。
そんな時。リーダーが彼女を狙って球を投げようとしているのに気づいた。なぜか僕は「危ない」と思った。真っ白に染まったノッポへ投げようとした手を止め、無意識に走り出した。雪に足を絡め取られながらも進んでいく。その時、思考は既に停止していた。ここぞとばかりにリーダーの豪速球が放たれた。ほぼ直線上に飛ぶ球。なんとか僕は彼女の前に立ち塞がることができた。コンマ数秒後には僕の視界が白一色に覆われた。
顔面と背後に冷たい感触。僕は仰向けに倒れていた。そんな僕を見下ろす他の皆。覗き込むや否や、ドッと笑い出した。何がおかしいのか、と呆けたように黙っていた。そういえば鼻頭がじんわりと熱っぽいな、と思っているとチビが、僕の鼻から血が垂れていることを教えてくれた。体を起こして鼻の下を人差し指で擦ると、赤い流体が付着した。それを見て、急に恥ずかしくなった。
と、そこで気がついた。この姿を彼女が見ているのではないか、と。視線を移すと案の定、彼女も皆と一緒に笑っていた。そこで目が止まった。彼女の笑顔がとても眩しかったのだ。
大口を開けて涙目に、お腹を抱えながら体を震わせていた。さらに頬を赤に染めた彼女の笑顔が白い雲と重なって見えた。そのおかげで、彼女の目映い光が一層際立っていた。
僕の体温がみるみる上昇していった。鼻から液体が流れるのを感じた。また笑いが起きた。それから、しばらく雪合戦は休戦となった。
◇
こうして思い返してみると、ちょっとした満足感が得られた。僕にも純粋に楽しかった出来事があったのだ。そう思えるだけで自信が持てた気になる。あの日は思い出の中でも決してかけがえのないものとなっている。
さて、気合いを入れ直して雪かきをしようか。家の門扉周りは白色の窪みが広がっている。無心で掘り続けて、思いの外仕事が捗ったようだ。
そう思った時、鼻に冷たい感触が伝わった。まもなくして、また雪が降ってきた。
日光が差し込まれると共に再び現れた妖精たち。暖かい光に包まれ、地へと降り立って行く。先ほど現れた時よりも楽しげに踊っているように見えた。
手持ちのスコップで雪を掘り起こす。気のせいか、掘り起こす手が先ほどよりも軽快になったようだった。キリのいいところまで終えたら、ホットココアでも淹れよう。そして今度こそこたつでまったりと一日を過ごすのだ。自分へのご褒美を想定すると、一層スコップを持つ手が速まった。
ジャク、ジャクと小気味いい音がする。遠くの方から子供たちの笑い声が聞こえた。
今は遠き憐雪花(おもいで) 杜乃日熊 @mori_kuma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます