第30話「マザーアウト・ラヴァーイン」

 その日は朝から、優輝ユウキは大忙しだった。

 いつも激務の中で働き詰めの母、アキラが休みを取っているからだ。狭い団地の一室に、母一人子一人。警察官僚として『日本一有名な婦警さん』でもある母は、日頃から休日が極端に少ない。そして、休みは寝てるか、撮り貯めた録画をさかなにお酒を飲むかである。

 いつだって輝には、たまたまの休みしかない。

 彼女が率先して休みを取るのは、優輝のためぐらいだった。


「優輝、どうしよ! ちょっと、おかしくないかしら。派手はで過ぎない?」

「大丈夫だと思うよ、母さん」

「ああん、もうこんな時間……チケットは持ったかしら。そうだわ、拳銃!」

「……い、いらないよ、それ。ってか、持ってるの? え、この家にあるの?」

「ないから困ってるんじゃない!」

「絶対に、必要、ありま、せんっ!」


 めかしこんだ輝は、優輝の言葉に自信なさそうな顔を向けてくる。

 今日の母は、普段の五割増しで綺麗だ。

 いつもは、凛々りりしく格好いい仕事のできる女……異性より同性のハートを撃墜し続けるキャリアウーマンだ。だが、今日は違う。明るいグリーンのドレスに、肩掛けを羽織はおっている。いつもは犯罪を全力疾走で追いかけるスニーカーだが、これからかかとのやや高い靴でお出かけなのだ。


「ああ、緊張してきたわ。こんなの、指定暴力団のカチ込みに応戦した時以来よ」

「……母さん。その……例えが物騒だよ」

「あの時はやばかったのよね。ニューナンブを両手に二挺拳銃トゥーハンドで、並み居る極道ゴクドーを」

「それ、週刊誌で昔見た。懐かしいな、もう十年前……もう、あゆの、駄目だからね?」


 輝は「はぁい」と弱気な返事を返してくる。

 そんな母の両肩に手を置いて、優輝はゆっくり言い聞かせるように話した。


「母さん、今日は捜査でも仕事でもなく、デート。いい? 楽しんでくるのが大事だから。大丈夫、きっと上手くいくよ」

「優輝……あんた、死んだ父さんに少し似てきた?」

「私は絶対に母さん似、そうでしょ?」

「そう、ね……フフ」


 今日、珍しく輝はデートにでかける。

 相手はあのシイナの父親、ヨハンだ。

 そう、あれから紆余曲折うよきょくせつを経て、二人は時々会うようになっていた。最初は口実に優輝も引っ張り出されたし、その先で必ずシイナと会った。彼氏彼女である優輝とシイナに比べて、二人の親のなんと初々しいことか……ぶっちゃけ、もどかしい。

 お互い以前のパートナーとは決着がついてるし、死んだ人間は戻ってこない。

 そのことは、優輝がはっきりと輝に告げたことでもある。

 死んだ人間のために、生きてる人間が苦しむ必要はない。楽しむことを、幸せになることを罪と思ってはいけないのだ。そう言って優輝を育ててくれたのは、他ならぬ輝である。だから、父親のいない家庭を優輝はあまり気にしたことがなかった。


「じゃあ、行ってくるわね! ……優輝、ありがと。父さんも、許してくれるかな?」

「当然。だって父さんは」

「私が選んだ男だもんね! そうよ、なんか燃えて来たわ! 必ず倒す、勝ぁつ!」

「……勝負じゃ、ないよ? うう、心配になってきた……」


 ここ最近、ようやく二人は娘と息子を介さず会えるようになったのだ。

 険しく長い道のりを経て、ときめきに素直な男と女になれたのだと思う。大人って面倒臭めんどうくさいし、体面や常識、世間体がふわりと締め付けてくる。

 でも、優輝は母には幸せになってほしかった。


「では、御実苗輝オミナエアキラ警視! 行ってまいります! お土産みやげ、期待しててねぇん?」

「そゆのいいから、楽しんできて。いってらっしゃい、母さん」


 ピシリと敬礼してからウィンクを残して、輝は行ってしまった。

 ドタバタが過ぎ去り、まるで台風一過のような静けさが戻ってくる。

 日曜日、時刻はまだ朝の九時だ。休日に二度寝をする習慣のない優輝でも、今朝はちょっと眠い。朝から母の完全武装……もとい、オシャレの手伝いをしなければいけなかったからだ。優輝が言えた義理ではないが、輝は女子力に欠けたところがあるかもしれない。


「さて、と……行った、よね?」


 忘れ物を思い出して、引き換えしてくることはないか? 急にメソメソして、怖気おじけづくことはないか? 答えは否だ。断じて否、大丈夫。輝は男気だけは男以上にあるのだ、好きな人が待ってれば約束は破らない。それに、男女の色恋沙汰に鈍い優輝にもわかる。

 あれは、両想いだ。

 まるで、失ったものが欠けたままの二人が、互いの風穴かざあなに相手を埋めるような時間。

 家族ぐるみで食事をしたりする時、優輝はそれを敏感に感じ取っていた。


「……よしっ!」


 不意に優輝は、携帯電話を取り出してメールを打つ。

 それから、軽く全ての部屋を巡回してチェック、母の脱ぎ散らかしや雑誌などを片付ける。ついでに、ゴメンねと前置きして仏壇ぶつだんの父の写真を伏せておいた。

 後ろめたさがないと言えば、嘘になる。

 そして、優輝以上に輝が、真剣にそれを感じ取っているはずだ。

 母親の律儀で義理堅いところを、優輝はよく知っていた。

 でも、だからこそ、幸せになってほしい。

 そんな母を許す父だと、思わせてほしかった。

 程なくして、古びたチャイムが来客を告げる。


「はいはーい! 開いてるよ! っと、やばっ!」


 玄関へと駆け出せば、無駄に重い団地特有の扉まですぐだ。本当に狭い我が家で、ダイニングキッチンと和室、そして優輝の使ってる部屋しかない。あとは狭いトイレとお風呂である。

 待ち人が来た瞬間に限って、優輝は気付いてしまった。

 自分の選択した下着が、まだ部屋干ししたままだった。

 慌ててそれをひったくり、急いで部屋に放り込む。

 どうにか玄関に戻れば、そこには愛らしい恋人の姿があった。


「おはよ、優輝! ……エヘヘ、来ちゃった」

「うん……おはよう、シイナ。いらっしゃい」


 そこには、コートを羽織ったシイナの姿があった。

 季節は秋も深まり、天高く晴れ渡っていても風が冷たい。

 輝と入れ違いに、優輝は彼氏のシイナを出迎えたのだった。これには訳があって、シイナもここ最近は父親との時間が長かった。離れて暮らしていたからだろうか、ヨハンは息子との時間を大事にしてくれている。

 勿論もちろん、輝との二人の時間もだ。

 でも、シイナと二人きりで会えなくなった優輝は、少しさびしかったのだ。

 そしてそれは、どうやらシイナも同じらしい。


「ごめんね、昨日の今日で。どうしても、優輝の暮らしてる家が見てみたくて」

「ううん、ちょうどほら、うちも母さんがでかけたから。ヨハンおじさんと、上手くいくといいけど」

「大丈夫だよ、パパって結構甲斐性かいしょうあるから。それに……最近、学校でしか会えなかったから……少し、少しね? ちょっぴり、寂しかった」


 そう言ってはにかむシイナが、犯罪的にかわいかった。

 乙女心がキラキラまばゆい、背景に花が咲きそうな笑顔だった。

 それで思わず、優輝は顔が火照ほてるのを感じてしまう。

 シイナの家にはあれから何度か行ったが(主に輝がヨハンと会いに行く口実だが)こうして自宅にシイナを招くのは初めてである。


「狭くてびっくりした? ま、あがって。お茶でも出すから」

「うんっ! 狭い、かな……狭いよね。本当に映画や漫画で見た通りなんだ」

「そそ、ここは公務員官舎だからね。母さんはキャリア組だから、もっといい暮らしもできるんだけど」

「おばさん、不思議な人だよね。なんていうか、自分より周りの人を大事にしちゃう。そゆとこ、優輝に似てるかも」


 言われて嬉しいことを、言ってくれて嬉しい人が口にした。

 照れくさかったが、シイナの人物評は的確である。そして、そういうところは不思議と、シイナの父ヨハンにも共通することだった。

 二人は、我が子を優先し、仕事の仲間を優先してきた。

 大事な伴侶はんりょを違う形で失い、残った自分を子供のために使ってきた人なのだ。


「そうだよね、うん……やっぱり私、母親似だよね?」

「そだと思うけど? どしたの、優輝」

「いや、なんか父さんに似てきたってさっき」

「男前、って意味だよ。きっとそう。だって、僕の彼女なんだもん!」


 なんだかむずがゆくて、前身の細胞が桃色に染まっていくような感触だ。

 コートを抜いだシイナは、今日はチェックのプリーツスカートにセーター姿だ。タートルネックでも、ほっそりとした首筋は同年代の女子達より色気を感じる。

 だが、視線に気付いたシイナは少し悪戯いたずらっぽく笑った。


「ふっふっふ、実は……!」

「え? 実は?」

「優輝、実はね……タートルネックだと、喉仏のどぼとけが隠せるのだよ!」

「ああ、なるる。プッ! 気にしてるんだ、一応!」

「あーっ、笑った! 女装って、すっごい労力なんだからね!」

「それは知ってるけど、ドヤ顔で言うんだもん。そっか……確かにね」


 優輝が笑っても、シイナはふくれっ面になったものの、怒らなかった。言葉では傷つけられない程に、深まるきずなは確かだったから。なんでも言い合えるし、言ってはいけないこともすぐにわかる。

 相思相愛という関係性に、説明のできない力学を最近優輝は感じるのだった。


「とりあえず、座って。ふむ……シイナ、インスタントコーヒーでいい?」

「えっ? なにそれ……あっ! あ、あのっ、粉のやつ? お湯を入れるだけのやつ!」

「正解。まあ、それくらいしかないんだけどね、うち」

「しゅごい……アニメの中でしか見たことないよ。魔女宅でしか見られないよ、そんなの! 流石さすが日本、インスタント食品大国! なにそれすごーい!」


 お湯を沸かして、普段はめったに使わない来客用のマグカップを取り出す。それが昔は、父親のものだったのを優輝は思い出した。

 でも、気にせず持てば、軽く感じた気がした。

 ケトルが沸騰を歌うまでの間、ダイニングでシイナと並んで座る。

 こういう時間が久々だからだろうか、すぐにどちらからともなく、身を寄せ合った。服の布越しに、互いの肩が触れる。体重同士が寄り合い、体温が伝わってくる。

 二人の特別な日曜日も今、まさに幕を開けようとしているのだった。

 それが人生にとっての、になるとも知らずに。

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