第30話「マザーアウト・ラヴァーイン」
その日は朝から、
いつも激務の中で働き詰めの母、
いつだって輝には、たまたまの休みしかない。
彼女が率先して休みを取るのは、優輝のためぐらいだった。
「優輝、どうしよ! ちょっと、おかしくないかしら。
「大丈夫だと思うよ、母さん」
「ああん、もうこんな時間……チケットは持ったかしら。そうだわ、拳銃!」
「……い、いらないよ、それ。ってか、持ってるの? え、この家にあるの?」
「ないから困ってるんじゃない!」
「絶対に、必要、ありま、せんっ!」
めかしこんだ輝は、優輝の言葉に自信なさそうな顔を向けてくる。
今日の母は、普段の五割増しで綺麗だ。
いつもは、
「ああ、緊張してきたわ。こんなの、指定暴力団のカチ込みに応戦した時以来よ」
「……母さん。その……例えが物騒だよ」
「あの時はやばかったのよね。ニューナンブを両手に
「それ、週刊誌で昔見た。懐かしいな、もう十年前……もう、あゆの、駄目だからね?」
輝は「はぁい」と弱気な返事を返してくる。
そんな母の両肩に手を置いて、優輝はゆっくり言い聞かせるように話した。
「母さん、今日は捜査でも仕事でもなく、デート。いい? 楽しんでくるのが大事だから。大丈夫、きっと上手くいくよ」
「優輝……あんた、死んだ父さんに少し似てきた?」
「私は絶対に母さん似、そうでしょ?」
「そう、ね……フフ」
今日、珍しく輝はデートにでかける。
相手はあのシイナの父親、ヨハンだ。
そう、あれから
お互い以前のパートナーとは決着がついてるし、死んだ人間は戻ってこない。
そのことは、優輝がはっきりと輝に告げたことでもある。
死んだ人間のために、生きてる人間が苦しむ必要はない。楽しむことを、幸せになることを罪と思ってはいけないのだ。そう言って優輝を育ててくれたのは、他ならぬ輝である。だから、父親のいない家庭を優輝はあまり気にしたことがなかった。
「じゃあ、行ってくるわね! ……優輝、ありがと。父さんも、許してくれるかな?」
「当然。だって父さんは」
「私が選んだ男だもんね! そうよ、なんか燃えて来たわ! 必ず倒す、勝ぁつ!」
「……勝負じゃ、ないよ? うう、心配になってきた……」
ここ最近、ようやく二人は娘と息子を介さず会えるようになったのだ。
険しく長い道のりを経て、ときめきに素直な男と女になれたのだと思う。大人って
でも、優輝は母には幸せになってほしかった。
「では、
「そゆのいいから、楽しんできて。いってらっしゃい、母さん」
ピシリと敬礼してからウィンクを残して、輝は行ってしまった。
ドタバタが過ぎ去り、まるで台風一過のような静けさが戻ってくる。
日曜日、時刻はまだ朝の九時だ。休日に二度寝をする習慣のない優輝でも、今朝はちょっと眠い。朝から母の完全武装……もとい、オシャレの手伝いをしなければいけなかったからだ。優輝が言えた義理ではないが、輝は女子力に欠けたところがあるかもしれない。
「さて、と……行った、よね?」
忘れ物を思い出して、引き換えしてくることはないか? 急にメソメソして、
あれは、両想いだ。
まるで、失ったものが欠けたままの二人が、互いの
家族ぐるみで食事をしたりする時、優輝はそれを敏感に感じ取っていた。
「……よしっ!」
不意に優輝は、携帯電話を取り出してメールを打つ。
それから、軽く全ての部屋を巡回してチェック、母の脱ぎ散らかしや雑誌などを片付ける。ついでに、ゴメンねと前置きして
後ろめたさがないと言えば、嘘になる。
そして、優輝以上に輝が、真剣にそれを感じ取っている
母親の律儀で義理堅いところを、優輝はよく知っていた。
でも、だからこそ、幸せになってほしい。
そんな母を許す父だと、思わせてほしかった。
程なくして、古びたチャイムが来客を告げる。
「はいはーい! 開いてるよ! っと、やばっ!」
玄関へと駆け出せば、無駄に重い団地特有の扉まですぐだ。本当に狭い我が家で、ダイニングキッチンと和室、そして優輝の使ってる部屋しかない。あとは狭いトイレとお風呂である。
待ち人が来た瞬間に限って、優輝は気付いてしまった。
自分の選択した下着が、まだ部屋干ししたままだった。
慌ててそれをひったくり、急いで部屋に放り込む。
どうにか玄関に戻れば、そこには愛らしい恋人の姿があった。
「おはよ、優輝! ……エヘヘ、来ちゃった」
「うん……おはよう、シイナ。いらっしゃい」
そこには、コートを羽織ったシイナの姿があった。
季節は秋も深まり、天高く晴れ渡っていても風が冷たい。
輝と入れ違いに、優輝は彼氏のシイナを出迎えたのだった。これには訳があって、シイナもここ最近は父親との時間が長かった。離れて暮らしていたからだろうか、ヨハンは息子との時間を大事にしてくれている。
でも、シイナと二人きりで会えなくなった優輝は、少し
そしてそれは、どうやらシイナも同じらしい。
「ごめんね、昨日の今日で。どうしても、優輝の暮らしてる家が見てみたくて」
「ううん、ちょうどほら、うちも母さんがでかけたから。ヨハンおじさんと、上手くいくといいけど」
「大丈夫だよ、パパって結構
そう言ってはにかむシイナが、犯罪的にかわいかった。
乙女心がキラキラまばゆい、背景に花が咲きそうな笑顔だった。
それで思わず、優輝は顔が
シイナの家にはあれから何度か行ったが(主に輝がヨハンと会いに行く口実だが)こうして自宅にシイナを招くのは初めてである。
「狭くてびっくりした? ま、あがって。お茶でも出すから」
「うんっ! 狭い、かな……狭いよね。本当に映画や漫画で見た通りなんだ」
「そそ、ここは公務員官舎だからね。母さんはキャリア組だから、もっといい暮らしもできるんだけど」
「おばさん、不思議な人だよね。なんていうか、自分より周りの人を大事にしちゃう。そゆとこ、優輝に似てるかも」
言われて嬉しいことを、言ってくれて嬉しい人が口にした。
照れくさかったが、シイナの人物評は的確である。そして、そういうところは不思議と、シイナの父ヨハンにも共通することだった。
二人は、我が子を優先し、仕事の仲間を優先してきた。
大事な
「そうだよね、うん……やっぱり私、母親似だよね?」
「そだと思うけど? どしたの、優輝」
「いや、なんか父さんに似てきたってさっき」
「男前、って意味だよ。きっとそう。だって、僕の彼女なんだもん!」
なんだかむず
コートを抜いだシイナは、今日はチェックのプリーツスカートにセーター姿だ。タートルネックでも、ほっそりとした首筋は同年代の女子達より色気を感じる。
だが、視線に気付いたシイナは少し
「ふっふっふ、実は……!」
「え? 実は?」
「優輝、実はね……タートルネックだと、
「ああ、なるる。プッ! 気にしてるんだ、一応!」
「あーっ、笑った! 女装って、すっごい労力なんだからね!」
「それは知ってるけど、ドヤ顔で言うんだもん。そっか……確かにね」
優輝が笑っても、シイナはふくれっ面になったものの、怒らなかった。言葉では傷つけられない程に、深まる
相思相愛という関係性に、説明のできない力学を最近優輝は感じるのだった。
「とりあえず、座って。ふむ……シイナ、インスタントコーヒーでいい?」
「えっ? なにそれ……あっ! あ、あのっ、粉のやつ? お湯を入れるだけのやつ!」
「正解。まあ、それくらいしかないんだけどね、うち」
「しゅごい……アニメの中でしか見たことないよ。魔女宅でしか見られないよ、そんなの!
お湯を沸かして、普段はめったに使わない来客用のマグカップを取り出す。それが昔は、父親のものだったのを優輝は思い出した。
でも、気にせず持てば、軽く感じた気がした。
ケトルが沸騰を歌うまでの間、ダイニングでシイナと並んで座る。
こういう時間が久々だからだろうか、すぐにどちらからともなく、身を寄せ合った。服の布越しに、互いの肩が触れる。体重同士が寄り合い、体温が伝わってくる。
二人の特別な日曜日も今、まさに幕を開けようとしているのだった。
それが人生にとっての、本当に特別な日になるとも知らずに。
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