第23話「ラン・アンド・ランニング」

 日曜日の早朝。

 まだまだ残暑の厳しい九月も、朝夕あさゆうはこんなにもすずしい。

 御神苗優輝オミナエユウキは一人、スポーツウェアで汗を流す。町で一番の中央公園は、その中に一周が5kmキロのランニングコースを内包していた。

 走り切ってスピードを落とし、そのままゆっくりとあしを止める。

 首にかけたタオルで汗をぬぐえば、自然と呼吸が落ち着いていった。


「ふう……やっぱり初日から5kmはまずかった、かな?」


 朝の6時、公園に人通りはほとんど無い。

 先程、犬の散歩をする老婆ろうばと挨拶を交わしたきりだ。

 今日、優輝は親友に頼まれてコーチを引き受けていた。勿論もちろん、依頼主は雨宮千咲アマミヤチサキである。彼女のダイエットのため、毎朝一緒にランニングをすることにしたのだ。

 そして、振り返ると……ふらふらしながら千咲が駆けてくる。

 見るからに憔悴しょうすいしてるが、ちゃんと最後まで彼女は走り終えた。

 まるまると太ってしまったが、彼女の決意は本物である。


「お、終わったー! はぁ、はぁ……もーだめ、死ぬ」

「おつかれ、千咲。凄いね、脚とか痛くない? 初日からこんなに飛ばして大丈夫かな」

「あー、疲れた! でも、だいじょーぶっ! アタシ、せるから! マジで!」


 夏休みの終盤、宿題のラストスパートもあって……不規則極まりない生活をした挙句あげく、千咲は激太げきぶとりしてしまった。

 昔は、花よちょうよと育った御令嬢ごれいじょうのオーラが出まくってた。

 でも、親友になってからは気さくで優しい快活な少女だった。

 今は……何度も言うが、

 それを気にするからこそ、本人もこうして頑張っているのだ。

 千咲は草原にふらふらと倒れ込み、ゴロリと大の字になった。


「うおー! 今日だけでアタシ、絶対痩せた! 10kgキロは痩せた!」

「いや、それ無理……っていうかね、千咲。急に痩せたら病気だから。でも……うん、1kgは痩せたかな? 頑張ったもの」

「わはは、それほどでもー? ……でも、痩せたい。取り戻したいんだ、以前のアタシを」


 不意に千咲が、遠くを見るように視線を天へと向ける。

 その横顔は、もっちもちのぽっちゃり女子になってても、不思議な魅力で優輝の目を釘付くぎづけにする。やはり横幅が少し増えても、千咲は美少女なのだ。

 どう見ても美少年にしか見えない優輝とは、骨格レベルで違う。

 でも、もうそんなことを気にする季節は終わっていた。


「そういや、さ。シイナは?」

「あ……あれ? 一緒にスタート、したよね?」

「うん。アタシと一緒にさっきまで走ってたんだけど……やばっ! へばって倒れたとか?」


 ガバッ! と身を起こしたものの、千咲はどうやらもう動けなさそうだ。

 だが、優輝が心配して見に行こうと思った、その時だった。

 向こう側からフラフラと、スパッツ姿のシイナ・日番谷・ラインスタインがやってくる。まるでフルマラソンの42.195kmを走ったかのように、千咲以上にグロッキーになっていた。

 だが、彼は長く結ったポニーテイルを揺らして必至に走っている。

 そして、優輝の姿を見るや弱々しく笑った。


「あ、優輝……ボ、ボクも、ゴール……しても、いいよね。もう、ゴールしても……いいよね」

「シイナ! っとっとっと……大丈夫?」


 あわてて優輝は、小さなシイナを抱き留める。

 自分の胸へと倒れ込んだ少年は、美少女としか形容できぬ容姿で見上げて微笑ほほえむ。


「ゴメン、ね……なんかボク、体力なくて。その……男と、して、もっと、たくましい、方が」

「ううん、シイナはシイナだよ。男らしくも大事かもしれないけど……私には、シイナはシイナらしくが、一番嬉しいかな」

「優輝……エヘヘ、ありがと」


 だが、気付けばニヤニヤと千咲が笑っていた。

 彼女は腰に下げたポーチから財布を取り出しつつ、わざと下世話げせわな笑みを浮かべてにじり寄ってくる。


「おのーうれ! このバカップルめ、イチャコラしやがってー! でも、アタシもシイナはシイナのままでいいと思うな。人って、嫌でも変わってくからさ。変えたくないものくらい、自分で頑張って維持しなきゃね」

「そ、そうなの! あのね、千咲。優輝も……ボクも、ほら、男だから……やっぱり、ちょっと気を抜くと、体重、増えるし」

「わかる! わかりみ! ……まあ、優輝には縁のない話かもだけどー? ニシシ」


 千咲の言う通りで、何だか申し訳ない。

 確かに優輝は、生まれてこの方ずっと体重を気にしたことはない。いつでも女子の理想の数値を維持してたし、胸や尻に余分な肉がないから長身でも軽かった。

 そのくせ筋肉はアスリートとして細身の身体にしなやかに宿って、運動能力は抜群だ。

 そもそも、周囲から女として見られたことがなかった。

 でも、ずっと彼氏が欲しかったし、見事な理想体重は自分の密かな自慢だった。

 今はシイナがいてくれるから、昔とは違う。

 本当に千咲の言う通り、人は意識せずとも変わっていくのかもしれない。

 成長、忘却、洗練、喪失……様々な変化が自分達を待ち受けているのだ。


「よーし、シイナ隊員! ちょっと自販機に行ってきたまえー! はいこれ、三人分!」

「は、はひっ、千咲隊長! えっと、千咲はポカリでいい? 優輝はいつものね。ちょっと行ってくる」

「あっ、大丈夫? 私が行こうか? 疲れてるのに」


 シイナは「へーき、へーき!」と、自動販売機へ向かってフラフラ走り出した。

 急がなくてもいいのに、一生懸命走ってる。

 その背を心配そうに見送っていると、千咲がひじで小突いてきた。


「ちょっとー、聞きました奥さん! 、ですって!」

「え、あ、いや……いつものは、いつものだよ……午後ティーのレモン」

「くーっ! いつもので通じる仲! これぞ正しく、彼氏彼女カレカノォ!」

「ま、おおむね私が彼氏で、シイナが彼女だけどね。でも……うん、シイナと仲良くさせてもらってる。これも千咲や朔也サクヤのお陰かな」


 シイナは大事な恋人で、まだまだ未熟で青い少年少女としては、とても大切な存在だ。そこに、女装が趣味だとか、自分より美少女だとかは関係ない。

 そう思わせてくれたのは、よき友人達に恵まれたからだ。

 そんなことを考えていると、また千咲が乙女の素顔をのぞかせる。


「恋ってさ……人を変えるんだよね」

「ん、そうだね。……千咲は? 恋、してる?」

「ん……してるよん? そらもー、バリバリだじぇ! わはは!」


 おどけてみせたが、千咲は周囲をキョロキョロしてから顔を近付けてくる。

 すぐ間近で見上げてくるほおは、ぷくぷく太っていても、それはそれで愛らしい。そして、真剣な瞳は生来の整った顔立ちの中で輝いていた。


「あのさ、優輝……朔也って、どう?」

「どう? って……いい奴だよ?」

「だよねー! でも、さ。もう、なんつーか……いい奴じゃ、すまなくて、その」


 優輝は驚いた。

 知らぬ間に千咲も、自分の恋を見つけていたのだ。

 それも、自分のよく知る少年へと向けている。

 それは、両者の友人としてとても嬉しいことだった。

 だが、千咲は恥ずかしそうに俯き、へらへらと笑う。そうしてないと多分、深刻にさえ思える言葉が重過ぎるからだろう。


「朔也さー、反則じゃん? あんなに格好良くなっちゃって……あの、笑わない?」

「笑わないよ、千咲。どうして笑えるのさ」

「いや、でもさ……朔也がイケメンになったら、れたの。今までずっと、いい奴だなって思ってた。ボケとツッコミも完璧だし、人を値踏ねぶみしたり上下を決めたりしないじゃん? 朔也って。でも、恋愛対象じゃなかったのに……見た目だけでアタシ、ずるいよね」

「そう、かな?」


 確かに今、柏木朔也カシワギサクヤは超がつく程のイケメン男子になってしまった。

 なお、中身は超絶ディープなオタク少年そのままである。

 だが、見た目だけジャニーズなキラキラ美少年になってしまったため、女子の中で人気急上昇中なのだ。そして、オタク趣味も以前はキモいとか言われてたのに、今はカワイイだの素敵だの……これがいわゆる『ただイケ』こと、『』である。

 イケメンにはあらゆることが許されるのだ。


「アタシ、軽薄だよ……見た目が変わっただけで、朔也のことを好きになっちゃった」

「そんなことないよ、千咲! 気持ちに偽物にせものも本物もないさ。好きなんだろ?」

「……うん。凄い、好き。だから! 痩せるの! 今の朔也に並べる女になったら……なったら、その……告白、する」


 過酷なダイエットにも耐えてみせた、千咲の覚悟は本物だ。

 そして、不意に背後で声が響く。


「千咲っ、ボク応援するよ!」


 そこには、飲み物を買ってきたシイナが瞳を輝かせていた。

 彼はみんなに飲み物を配りつつ、自分もスポーツドリンクのボトルに口を付ける。のどを鳴らして飲むシイナの姿を見て、優輝は漠然ばくぜんとだが思った。

 美少女そのものに見えても、シイナはちゃんと異性、男の子だ。

 男の娘オトコノコなことが多くても、喉仏のどぼとけがあるしちゃんと男の子なのだ。

 そしてそれは、嬉しいことなのだ。

 シイナは「ぷあっ!」と口元をぬぐうと、身を乗り出してくる。


「ボクもダイエット、応援するよ! ……その、ボクもね、ちょっと太っちゃって。入らない衣装とか、あって」

「あ、コスプレ?」

「うん。あ、そうだっ! 二人共、今日はひまかなあ? ボクんにこない? サウナがあるから、そこで汗を流して痩せようよ!」


 優輝は驚いた。

 同時に、この日が来たかとも思った。

 彼氏の家に行く……二人きりではなくても、かえってそれがありがたい。

 二人きりになったら、何か間違ってしまいそうだから。

 そして、後悔よりも喜びを感じてしまいそうだし、シイナもそうだったら嬉しい。

 でも、それは高校生の男女には早過ぎる……この時はまだ、そう思っていた。


「マヂでー! シイナの家にサウナがあるの!? どうして、どうやって!?」

「エヘヘ、ちょっとした豪邸なの。でも、パパが仕事で飛び回ってるし……ママはもういないから。だからいつも、ボクが一人なんだ。遊びに来て、くれる?」


 さらっと重い背景が明らかになったが、上目遣うわめづかいのシイナの破壊力は抜群である。その可愛過ぎてなんでも言うことを聞かせてしまう可憐かれんさを、優輝は実を持って知っていた。

 それでこの日は、朝食を三人で軽くコーヒーショップで済ませて、シイナの家にお邪魔することになったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る