ii.苛性劣等

30.幽閉舟

   瀬戸内は……

   黄泉比良坂よもつひらさか

   瀬戸内は

   黄泉比良坂 瀬戸内は

   あの世この世を分かつ帯


  岬の生家から眺めた太平洋うみ

 はるかのはるかの

はるかまで何もない

  幾分まるく

 膨らんでいる水平線

見渡す限りの青が深い

  陸地の終点のひとつの

 ここから望めば今朝発った

はずの都会は夢か幻

  都会むこうの生活を

 つどつど訊かれ これでは

臨死体験者か何ぞのようだ

  テレビのチャンネルをくさくさ回し

 あんまり退屈でしかたがない

山手の畑ではくわ打つ音か

  聞こえたり またやまったり

 また聞こえたり やまったり

延びきった時間を奏でた


   黄泉比良坂

        瀬戸内は

   黄泉比良坂

        瀬戸内を

            いずれに渡るも

        黄泉の国


田舎者

 独り都会まちを歩き

  ひたひた 言葉も侵蝕されはじめた時節

電車に乗って窓外に

 視線を投げれば錆びた

  街の裏側が見え

通りはオス鳥のようにとりどりの

 色の看板やネオンで人目を吸着あつめる

  それがこの 裏手のみすぼらしさ

ガラスもタイヤも失って錆び茶けた

 廃車が視界を擦過した

  無法の草で半ば埋みそれは

すっかり用から解放棄てられ弛緩した

 笑みを浮かべるようだ あした

  また 学校がある

その先の先には就職が――

 大人への階梯は しかし

  茫漠として ようとして

見えはしていなかった

 それなのに

  ひとりでに進んでいくんだな


   黄泉比良坂――

   黄泉比良坂――

   ――彼岸に渡る


ああ……

 幽閉舟だここは

  補陀落へ往く

  幽閉舟だ

 どこで鳴く

春の鳥

どこで――

 故郷はすっかり

  変わっちまいました

  おまへは何をしてきたのかと

 故郷は

すっかり

便利になっちまいます

 私のことなど

  お忘れで

  私はみずから――

 いえ 望まぬ

おのずのうちに

補陀落船にて度海する

 昏い室の舟にて往く

  前途昏く ここも昏い

  しかし不穏に

 揺れは乱れてきた

時化か

時化として

 どうのしようもない

  ここは幽閉舟

  故郷は

 私のことなど

お見捨てです


   異郷だけだ

   異郷だけ


異郷だけがただ

あるものなのだ

   故郷などない

   ないとしたところで

   こうして瞼を焼く

故郷の情景を否定することもできない

一度もありはしなかった

故郷に帰る道ははじめから

一度としてあったことはない

   昔 感熱紙に

   印刷した小説は日光に読書された

白紙の身ひとつ

しかし白紙にも白紙なりの

   歴史の退色があり

   かなしい退色があり

   他者がいる

私でないものが私の

表面を覆い

それがこの私のイメージの一部として

他者には映り

私の強いイメージとして

私を侵犯する


 ああ

   幽閉舟だ

ここは

   前途昏く

ここも

   また昏い

幽閉舟だ

    補陀落へゆく

海の藻屑

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