第2話 彼女のdiary
「もしもし、俺、優だけど。時間がある時でいいから、電話かメール、してきてくれないかな。俺、やっぱり史香がいないと、ダメなんだ。まだ、史香のことが好きだよ。だから、せめて、『別れよう。』って言った理由だけでも、教えてくれないかな?もちろん、悪い所は直すから。
とにかく、連絡待ってます。」
優は、史香に留守電を入れたが、一向に返答等は返って来なかった。史香は、あの日、「私たち、別れない?」
と言った後から、優の連絡を無視し続け、今まで全く、優と話をしようとすらしていない。
「史香ちゃん、最近は学校にも、あんまり来てないみたい。優さ、もう、史香ちゃんのことは忘れなよ。他にも、いい女の子だったら、いっぱいいるんじゃない?何なら、俺が紹介してやるよ。」
優の男友達の、鈴木卓也すずきたくやが、優を見かねて、そう優に伝えた。卓也は、優の高校時代からの親友で、たまたま同じ大学に、進学することになったのであった。そして、卓也の方は史香と同じ、教育学部に進学したため、史香とも顔なじみになり、優と史香が付き合っていた頃は、優、史香、卓也、卓也の彼女の4人で、ダブルデートをしたこともある。
「ありがとう、卓也。でも、俺…、史香のことが忘れられない。」
優は、卓也にこう答えた。
「そっか。まあ史香ちゃん、かわいいもんな。それに、かわいいだけじゃなくて、意外と、って言ったら失礼だけど、しっかりしてるし、芯も強そうだし…、傍から見てても、お前ら2人はお似合いのカップルだったよ。
まあ、優の中では、『だった。』じゃなくて、今でも『お似合いのカップルだ。』なんだろうけどな。ただ、連絡がとれないんじゃ、どうしようもないよな…。史香ちゃんが何に怒ってるのかも、分かんないしな。」
「それなんだよ。まあ、付き合ってる時、確かに忙しい時もあって、それで史香に連絡をあんまりとってない時もあったことは事実だよ。それで、そのことで怒ってるのかもしれない、とりあえず謝ろう、って思ったんだけど…。それでも、冷静に考えてみると、それだけのことで、連絡も全くとらないほど、怒るようなことではない、って思うんだよね。
それで、他に思い当たる節を考えてみたんだけど…、ないんだよ、別れる理由が。史香の気持ちが冷めちゃったのかな、とも思ったんだけど、きっちりしてる史香のことだから、それならそうと、はっきり言ってくれると思うんだよね。その辺が、謎、っていうか…。
やっぱり、俺が何かして、史香に完全に、嫌われたのかな?」
「その辺は俺には分かんないな…。わりぃな、ろくなアドバイスもできなくて。」
「そんなことないよ、卓也。俺の話、聴いてくれるだけでもありがたいよ。いつもありがとな。」
「おう。」
優はその日、たまたま大学で出会った卓也と、立ち話をして、その後自分の家へと戻った。
「あら、おかえり。今日は早かったわね。」
優の母親が、優が返ってくるなり、そう優に呼びかけた。優の実家は、小さな町工場で、父親はその町工場を経営している。しかし、最近はその町工場も、うまくいっていないらしい。
「これなら、俺にとって不幸のダブルパンチだ…。」
優は心の中で、そう思った。
「そういえば、史香ちゃん…だっけ?最近はうまくいっているの?何なら、前みたいに、家うちに連れてきても、大丈夫よ。」
優の母がそう言った。それを聞いて優は、説明するのは面倒だし、そういう気分でもないが、嘘をつくわけにもいかないと思い、史香と別れた経緯を、母に話した。
「あらまあ、そうなの…。ごめん何にも気づかずに、言っちゃって。
でも、それはよく分かんないわね。多分、優が何かしたんだと思うわよ。とりあえず、連絡待ってみるしかないわね。」
「そんなこと、言われなくても分かってるよ!
…ごめん。俺、自分の部屋に上がってくる。」
優は、母親の言葉にイラッとしたが、それが八つ当たりであることにすぐに気づき、謝った。
「何やってるんだろうな、俺…。」
優は、そんな自分に嫌気がさした。そして、窓の外を見れば、そこにはポツポツと、雨が降り始めていた。そういえばこの時期は、晴れたり、雨が降ったりを繰り返す時期だな、優はそれを見て、ふとそんなことを思い出した。今外で降っている春の雨は、しとしと降るものだが、今の自分の気持ちは、土砂降りの夏の雨のようだ…。優はそんなことも考え、1人自分の部屋の中で、暗い気持ちになった。
優はしばらく感傷にふけった後、こんなことばっかりもしていられないと思い、とりあえず、大好きなエレキギターを取り出して、練習することにした。
「こういう時には、好きなことを思いっきりやって、気分転換するに限る。とりあえず、洋楽バンドのコピーでもするか。」
優は独り言を心の中で言いながら、ギターのチューニングを始めた。
しかし、電池が切れてしまったのか、チューナーが全く動かなくなった。
「困った。確か、今家に予備の電池はない。この雨だと、買いに行く気にもなれないし…。仕方ない。自力でチューニングするか。」
優は心の中でそう呟き、音叉を取り出して、自力でチューニングを始めた。
ちなみに、エレキギターに限らず全てのギターは、音叉を用いてチューニングをすることができる。5弦の「ハーモニクス」と呼ばれる音を出し、それを音叉の音と合わせて基礎となる音を作り、その後、完成したその5弦の音と、他の弦の音とを合わせて、チューニングを完成させるのだ。(ただ、最近はチューナーが簡単に手に入るので、この方法を使う人は少なくなったが。)
そして優は、チューナーに頼らず、自力でもチューニングができるようになりたいという気持ちも持っていたので、この方法も、時々練習していた。そして、ギターを弾き始めてからしばらくした後に、この方法をマスターしたのである。
しかし…、優はこの日、全く集中できなかった。どうしても、音に入り込むことができない。きれいに、音を合わせることができない。この日優の部屋に響いたのは、チューニングの合っていない楽器の不協和音、もっと言えば雑音の羅列であった。
「くそっ、チューナーが動けば、こんなことにもならなかったのに。いや、それも言い訳だ。こんな日には、俺、何もできない…。」
優の心の声は、頭の中にがんがん鳴り響き、(実際に声に出したわけではないのでそんなことはあり得ないのだが、)まるでその声が部屋中に響き渡り、不協和音を構成しているかのようであった。
そして、その不協和音を打ち消すかのように、優は、さっき弾こうとしていたお気に入りの洋楽バンドの、CDをかけ始めた。そのバンドは、最近売れ始めたアメリカの西海岸のバンドで、優はいち早く、そのサウンドに目をつけたのである。
しかし、いややはり、そのバンドのサウンドも、今の優にとっては、雑音にしか聴こえなかった。
「あんなに好きなバンドなのに、なぜ…。やっぱり、史香がいないとダメってことなのか…。
そうだ、やっぱり俺には史香が必要だ。史香と一緒なら、好きなバンドの音楽も、史香と一緒に2倍楽しめる。それに、ギターだって、史香の上手なピアノと、セッションすることだってできる。それで、史香も大好きな音楽の話をして、史香の楽しそうな顔が見たい。
それだけじゃない。街で聴く音楽、見る景色、俺はそんな日常の全てを、史香と共有したい。史香の喜ぶ顔が見たい。それで、史香が落ち込んでいる時には、史香を支えてあげたい。
とにかく、俺は今でも…、史香のことが好きだ。
今頃史香は、どうしているんだろう?」
優は心の中でそう叫び声をあげ、その日は早く休むことにした。
翌日は、大学は休みであった。そして、特にすることもなく、また、何もする気になれない優は、
「もしかしたら、史香の実家に行けば、史香に会えるかもしれない。」
という、一抹の期待を持って、史香の実家に行くことにした。
大学のすぐ近くにある優の実家とは違い、史香の実家は、隣の県にあり、大学から電車で片道2時間ほどの距離であった。そして優は、その史香の実家に、何度か遊びに行ったことがある。また、大学の講義やサークルがある日は、いつも2時間かけて通学しなければならないため、史香は、前に優に、
「私、大学の近くにアパート借りて、一人暮らししたいって、思うんだ~。やっぱり、毎日片道2時間はキツいし、それに、アパートに下宿って、何か、大学生、って感じするじゃない?」
と、こぼしていたことがある。
そして、優は電車を乗り継ぎ、史香の実家へと向かった。その日は、昨日の雨が嘘であるかのような、快晴の日和であった。また、その車中、窓の外には、桜の木が所々にあったが、昨日降った雨のせいで、花びらはだいぶん落ちてしまっていた。いつもなら、
「ああ、桜の花もそろそろ終わりか。残念だな。」
と思う程度の優であったが、(もちろん、それでも寂しい気持ちにはなるが、)この日の優は、昨日と同じく気持ちがふさぎ込んでいたため、
「この桜の花びらのように、俺と史香との関係も、散ってしまうのかな…。」
などと、いらぬことを考えてしまうのであった。
最寄り駅から少し歩いた所に、史香の実家はあった。史香の実家は、さすがお嬢様、というだけあって、大きな洋風の建物で、風格を兼ね備えていた。また、庭も大きく、芝生等の手入れも行き届き、そこに住んでいる人の品格を感じさせるような、そんな佇まいであった。
今日は大学は休みだが、史香は家にいるのだろうか?いや、そもそも、史香は会ってくれるのだろうか?優はそんなことを考えながら、史香の家の玄関の、インターホンを押した。
「はい、どちら様でしょうか?」
インターホンから聞こえてきたのは、聞き覚えのある、史香の母親の声であった。
「すみません、大野優です。史香さん、いらっしゃいますでしょうか?」
「ああ、優くん。ちょっと、待ってくださいね。」
史香の母親が答えた。
「ちょっと待って、ってことは、史香は中にいる、ってことだろうか?もしかしたら、史香に会えるかもしれない。」
優は心の中でそう呟いた。その瞬間、優の頭の中に、少しの期待がよぎった。
そして、外に出てきたのは、史香の母親1人であった。
「ごめんね優くん。史香なんだけど、今家にいないの。前から史香、
『下宿したい。下宿したい。』
って言ってたんだけど、今日はその準備で、大学の近くまで出てるの。
遠い所からわざわざ来てくれたのに、ごめんなさいね。
それで優くんは、史香の下宿のことなんかは、聞いてなかったの?」
「はい、『下宿したい。』っていうのは聞いていたんですが、実際に準備しているっていうのは、今初めて知りました。」
「そう…。
そういえば、優くん、史香とケンカでもしたの?昨日なんかも、
『史香が一人暮らしをし始めたら、優くんと、もっと頻繁に会えるわね。もちろん、優くんは優しそうな男の子だし、何も心配はしていないわ。ただ、お母さんやお父さんは、史香に毎日会えなくなって、ちょっと寂しい気もするけど…。』
って話をしたんだけど、史香、浮かない顔をしてたの。それで、それ以上は何も訊かなかったんだけど、最近、うちの史香とうまくいってる?」
「実はそれが…。」
優は、ここでも史香との経緯を話す羽目になった。
「あらそう…。何とお詫びを言っていいか…。優くん、ごめんなさいね。」
「いえ。お母さんが、謝ることではありませんから。大丈夫です。ただ、史香さんと、せめて連絡だけでもとりたいんですが、史香さんの下宿先の住所、分かりますでしょうか?」
「それが、史香に、
『ところで優くんには、一人暮らしの話はしてるの?』
って訊いても、
『してない。その話はもうしないで。あと、優には私の下宿先、絶対に教えないで!』
って、口止めされてるの。それもあって、優くんに、さっきの質問をしたんだけど…。
本当にうちの史香、失礼ね。後で注意しておきます。ただ、下宿先はそういうことだから、教えられないわ。本当に、ごめんなさいね。」
「そうですか…。分かりました。今日はわざわざお出迎え頂き、ありがとうございました。」
「こちらこそ、何もできずにごめんなさいね。」
優に向かって何度も謝る史香の母親の姿を見て、この人は史香に似て、感じのいい人だな、優はそう思った。
しかし、何の収穫もなく、優は史香の実家から、帰ることになったのである。
翌日、優は大学の講義に出ていた。前日、片道2時間の小旅行をしたせいで、優の体には、少しばかりの疲労が残っている。優は、「史香は、毎日これを経験していたのか、大変だな。」
と思い、史香への思いをますます強くした。
その日の1限は、マクロ経済学の講義であった。ただ、この講義は経済学部の専門科目ではなく、一般教養科目に位置づけられていたので、教育学部の史香も、
「私、経済学部の講義も、受けてみたい!」
とのことで、履修をしていた。
そして、例えば、
「優、ケインズ経済学の所、難しくて分かんないよ~。教えてくれない?」
など、経済学初心者の史香は優によく質問をし、その度に優は、史香に頼られている気がして、少し嬉しい気持ちになったのであった。
ただ、この日は史香は、講義を欠席していた。卓也の言う通り、史香は最近、大学にも来ていないらしい。
90分後、この日の経済学の講義は終わった。講義中、ウトウトしていた優は、講義が終わっても眠気が完全に払拭できず、そのため講義室を出るのが、1番最後になっていた。
そして、優が講義室を出ようとした瞬間、1冊のノートが、目に留まった。その装丁からして、女の子のノートであるらしい。これは誰かの忘れ物に違いない。だとしたら、とりあえず教務に届けないといけない―。そう思った優は、そのノートを、手にとった。
次の瞬間、優は固まり、その場から動けなくなった。なんとそのノートには、
「新川史香」
と、名前が書かれていたのである。今日は史香は講義に来ていないはずなのに、どうしてこの講義室に、史香のノートがあるのだろうか?優は、少し疑問に思った。
しかし、それよりも何よりも、これは史香のノートだ。そして、よく見ると、これは日記帳であるらしい。これはすぐに、史香に届けないといけない―。でも、電話にもメールにも返答・返信がなく、史香の下宿先も知らない状態で、どうやってこれを史香に届ければいいのか?優は、少しの間、考えた。
結局、優はいい考えが思いつかず、とりあえず、その日記帳を、自分の家へ持って帰ることにした。
家へ戻り、自分の部屋に入った優は、日記帳のことを、まだ考えていた。しかし、いい案は思い浮かばない。史香の携帯に、日記帳のことについて連絡を入れても、返信が来る気がしない。かといって、また片道2時間かけて、史香の実家に届けるのは大変だ。優は、そう思った。
そうこうしているうちに、優はある好奇心にとらわれた。それは、
「史香の日記帳を、少しだけ、見てみたい。」というものであった。もちろん、これは褒められた行為ではないかもしれない。しかし―、
「ごめんね、史香。」
優は心の中で謝りながら、史香の日記帳をめくった。
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