空は快晴後に雨

みとゆひや

 空はあの頃と変わらない幼気な笑顔で、僕を出迎えた。彼女が僕へ向ける笑顔は、どこか寂し気なものが多かったが、そんな影はいまやどこにもない。

「やっと、僕に迎えに来てくれたね。晴之」

 七年の歳月を証明するように、死んだはずの彼女の体は成長していた。

 僕の中の止まっていた時間の針が微かに動くのを感じた。


 教室の窓から空を見上げると、雲一つない青空が広がっている。

 元気をくれる晴天。心に雲を浮かばせる曇天。登校する気がなくなる雨天。

 それぞれ特徴があり、眺めていて面白い。人間を相手するよりもずっと楽だ。

 ころころ変わる僕の好きな景色。

 変わり続けるその姿に、机から突っ伏して見上げる。

 空。小学生の時に出会った友人の名前。

 相模 空。

 七年前にこの世を去った友人の名前。

 活気があり、太陽の笑顔でいつもみんなの輪の中心にいた。女の子の割には、サッカーや鬼ごっこ、鉄棒と汗を掻くことが好きな子だった。周りを気にせずに、あどけない顔立ちから垣間見る、その笑顔が好きだ。

 僕と空は田舎には似つかわしくない国道の側の森にある隠し小屋を、二人の秘密基地にしていた。

 九年前の今日。普段なら笑うだけの他愛もないことが、その日彼女の心をキズつけた。

 僕を突き飛ばした空は小屋を飛び出し、一目散に逃げた。

 必死に彼女の背中を掴もうと追いかけたが叶わなかった。

 無我夢中で森を抜け国道へと飛び出でた空は、白の軽トラに跳ねられた。

 数秒、宙を舞った彼女の体は、振り回されたおもちゃのように壊れた。

 脳からはみ出た脳漿のうしょう。歪曲しもう正常な機能をなさない手足。焦点が合わず宙を漂う眼球。

 これまで好きだった者が、ただの肉塊になるのを目の当たりにした。

 昼に食べたパンの残骸が胃液とともにこみ上げてくるのを感じ、地面に膝をつき、我慢できずに嘔吐した。

 吐瀉物にまみれた顔で彼女の亡骸に目をやる。

 晴れていた空は嘲笑うように、いつのまに彼女の死体へと雨を降らしていた。

 運転手はその場を逃げ去ったが、後に捕まった。

 日が当たらない植物は乾涸ひからびるしか、道はなかった。


 母親特製のお弁当を机に広げる。

 赤、青、緑と野菜が見事に器の中を彩っている。敢えてそれをさけて、卵焼きから口に入れる。普段よりも塩が強く、顔を歪ませる。今日、母は寝坊したようだ。

 口の中にぐにゃぐにゃとした不快な感触が広がる。

 これは無精卵という生命になれなかった残骸だ。

 次いで、野菜を箸で掴んで口に入れる。

 シャキシャキとした食感を口内で確かめる。

 九年前まであった噛み応えのある食感はもう口は覚えていない。

 無惨に弾けた空の死体は、肉食の僕から栄養源を根こそぎ奪い取っていった。


 五限終了のチャイムが鳴り、重いまぶたを上げる。禿頭とくとうが目立ち始めた国語教師の山田先生が荷物を整えて、教室を出て行くところだった。

 退屈なホームルームを終えて、同級生たちは思い思いの行動を起こし始める。

 部活に励む者。趣味に興じる者。帰路につく者。

 同級生たちの波に乗って、僕も教室を後にする。感傷に浸っていたせいか、帰路につく足取りが重い。

 部活へと向かう友人に、別れの挨拶代わりに手を振って、生徒用玄関を出た。

 人間以上に表情が豊かな青空は、あの日から僕を見下ろしては、お前のせいだと責め立てる。

 ……もういいじゃないか。

 贖罪を果たすことはもう叶わない。


 これまで避けてきた森へと僕は足を運んだ。ここに来るまで車が何台が横を通り過ぎたが、白の軽トラは一台も見なかった。

 林の入り口。空が死んだ場所。

 脳裏に焼き付いては離れない彼女の死体。

 内側からこみ上げてくるものを必死に抑えて、周囲を確認する。

 路傍には花束が一束供えられていた。

 空のご両親だろうか?

 二人の顔を思い出そうと、記憶を巡った。

 笑顔が空にそっくりなきれいな母親だった。女優をやっていると言われても信じてしまうだろう。

 父親は、インテリのような顔立ちだが、話してみると温かい人柄の持ち主だとわかった。人を見た目で判断してはいけないことを教訓として学んだ。

 二人は今も空と過ごしたあの家に住んでいるそうだ。娘を失った地で二人は何を思うのだろうか。

 花束を一瞥して、森へと踏み入れる。

 二人で通った道は、好き勝手に万歳した草木によって隠されていた。

 パキッパキッと枝の折れる音が耳に響く。

 空はこの音が好きで、華奢な体に擦り傷をたくさんつけては、道なき道を歩いた。

 森にはどこかの都市から投棄された洗濯機や扇風機などが転がっている。無邪気に駆け回る彼女は、足をガラスの破片で切ってしまった。これまでとは比べ物にならない血が彼女の足を流れていた。

「一生消えないかもね」彼女は笑っていた。けれど、心の中では涙を流していたのかもしれない。

 あの日、それを思い出した僕は空に傷のことを聞いてしまった。

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