第三十九話
少年は名を加賀美武司と言い、貧しい母子家庭で育った。武司の母は未婚で武司を生んだ。武司を生んですぐにできた男に借金を担がされ、そもそも芳しくなかった生活はより悪化した。
武司の母は、昼間は運送会社の事務員をして、夜はスナックで働き、家では内職もしていた。6畳2間の狭いぼろアパートの1室は内職部屋になっていたので、武司の勉強部屋と2人の寝室は同じ部屋だった。
親子とは言え男女2人。風呂とトイレが一体のその家はプライバシーの概念さえなかった。
武司はその貧しい生活から小学生の時はよく周囲の児童たちに揶揄われていた。履き古した靴によれよれのシャツ。風呂も毎日入るわけではなく、体は臭う。
中学校に上がるとそれはいじめと化した。毎日のように殴られ、そして辱められる。給食費や財布に入っていた現金は盗られた。母が朝から晩まで働くので、家事は武司が任されており、学校帰りに食材の買い出しに行くための現金だった。程なくして武司は現金を持ち込むのを止め、一度帰宅してから買い物に出るようになった。
それでも武司は、勉強は頑張った。参考書を買う金などはないので、徹底的に教科書の予習復習をした。成績は常に学年トップだ。
しかし、中学3年に上がったある日。彼は気づいた。そして夜中内職をしていた母に訪ねた。
「母さん、中卒で働くならどんなとこがいいかな?」
「は? 何言ってんのあんた。高校行きなさいよ」
「高校って……金掛かるじゃん」
「そんなこと心配しないの」
そう、高校に進学するための資金が無い。だから武司は進学をあきらめ就職を考えたのだ。だから母に就職の相談をしたのに……
翌日武司は学校で、昼休みを使って進路指導室に出向いた。そこで進路指導担当の教諭に相談した。
「一番お金が掛からない高校ってどこですか?」
「まぁ、普通に考えたら公立だけど。職業訓練しながら高卒の資格を取れる学校もあるしな……。あ、君なんか学力いいからA高校なんてどうだ?」
「A高校って私立じゃないですか?」
「そうなんだけど、このA高校、推薦入試を主席合格したら入学金と3年間の学費が免除なんだよ。県内では名門の進学校だし」
「本当ですか?」
「あぁ。推薦は各学校から1人まで。その次に県内の推薦入試受験者の中から1人主席合格を決める。まずは学校推薦に選んでもらえるよう担任の先生に相談しなさい。担任の先生からの推薦状が必要だから」
「わかりました。ありがとうございます」
普通高校に通えるかもしれない。スポーツ推薦のように学力にもこのような推薦があるのか。武司の足取りは軽かった。とは言え気掛かりなこともある。
武司はその日の午後の授業を受けるべく進路指導室を出た。午後一番目の授業は担任が担当する英語だ。授業後の休み時間にでも相談してみようと思った。
そして開けた教室の扉。窓際の武司の席には瓶に立てられた花が置かれていた。
「またか……」
武司はうんざりしながら席に向かった。すると椅子には大量の画鋲が。武司にとってはもうこの手のいじめは慣れたものだ。そこでチャイムが鳴った。武司が画鋲を集めていると担任の教諭が入ってきた。
「おーし、始めるぞぉ、って武司は何やってんだ?」
「武司は昨日お亡くなりになりましたぁ」
担任の声に1人の男子生徒が反応した。教室中の半数以上の生徒がけらけら笑っている。
「あぁ、そう言えば武司は昨日死んだんだったな。ご愁傷さま」
担任のこの言葉に教室中がどっと沸いた。そう、武司の担任に対する懸念事項はこれだった。いじめを見過ごすどころか、一緒になって笑うのだ。こんな教師に進路相談をしなくてはいけないのかと思うと憂鬱になる。
この授業が終わり武司は教室を出たばかりの担任に駆け足で追いついた。そして歩きながら話を始めた。
「あの、A高校を推薦で受けたいんですけど」
「ん? A高校をか?」
「はい」
「まぁ、武司の成績なら問題ないし、今のところ他に誰からもそういう相談を受けてないから武司で進めておくわ」
「本当ですか? ありがとうございます」
意外とすんなりと話が進んだ。あまり卑屈にならなくて良かったようだ。
それから一カ月ほど経ち、武司が校内の推薦者に選ばれたと担任から聞かされた。武司は舞い上がるほど嬉しかった。すぐに母にも報告し、母も喜んでくれた。
そして夏休みを終えたある日、武司が家に帰ると母が既に帰宅していた。玄関の靴で気づいたのだ。いつも残業してそのままスナックの仕事に行く母にしては珍しいこの時間の在宅だ。男用の靴もあるので来客だろうか?
奥の部屋からくぐもった声が聞こえてきた。武司は玄関で耳を澄ます。武司はその声が母から発せられているもので、今何をしているのかが次第にわかってきた。
武司は部屋に上がると恐る恐る奥の部屋に近づいた。襖の隙間から中の様子が見える。武司の目に写ったのは裸の母と、その母に絡む裸の男だった。
武司は見てはいけない物を見てしまったと思い踵を返した。一度外で時間を潰して来ようと思ったその時。武司は気づいた。
あの男、どこかで見たことがあるような……
武司はもう一度襖の隙間から行為中の室内を覗いた。今度ははっきりと男の顔を確認した。その瞬間、
『バッ』
武司は勢いよく襖を開けた。驚いて武司に視線を向ける母と男。男は武司の担任の教諭だった。
「母さん、なんで近藤先生と……」
「ちょ、武司。帰って来てたなら声掛けなさいよ」
母は慌てて毛布で体を隠した。手櫛で紙を溶かす仕草も見せる。全裸姿の武司の担任は最初こそ驚いたようだが、すでに動揺した様子はなく武司と正対した。
「おう、武司、おかえり。お前のお母さんすっげー美人だな」
武司の頭は沸騰した。拳に力が入る。それを察した母が裸のまま武司を宥め、部屋から出した。
「なんで先生と母さんが?」
「大人の事情よ」
「なんだよそれ」
「武司はわからなくていいの」
しばらく母に宥められていると、担任が出てきた。服は既に着ている。
「冷めたからもう帰るわ」
「あ、先生ごめんなさい。次はゆっくり」
それ以降担任は言葉を発することなく玄関を出て行った。
それからしばらく担任が武司の家に寄り付くようになった。ひとしきり母を抱いては帰る。このパターンだった。家庭だってある人なのにと武司は納得ができていなかった。
するとある日、2人の会話を聞いてしまった。なんと母は武司の推薦をもらう代わりに自らの体を差し出していたのだ。最初に母が進んでそうしていたのかはわからない。しかし「推薦ほしいなら俺の愛人を続けろ」と言う言葉を耳にしたのだ。
しかしその母は年末に倒れ帰らぬ人となった。死因は過労だ。武司は途方に暮れた。他に身寄りはない。これから1人でやっていけるのかと。しかし武司は天国の母を心配させまいとすぐに気を取り直した。A高校の推薦を首席で合格し、アルバイトをしながら高校に通うのだと決意を新たにしていた。
しかし入試についての話が一向に来ない。担任は進めていると言うばかり。しかしそろそろ願書を提出しなくてはならない時期。すると教室で願書を書いている女子生徒が目に入った。その表題に書かれた「A高校」の文字。それを見て武司は驚愕した。
すぐに武司は担任に詰め寄った。すると担任は悪びれた様子もなくこう言ったのだ。
「あぁ、それなら見たまんまだ。他の奴に推薦回しといた。そいつの親がどうしてもって言うもんで」
担任は他の生徒の保護者とも繋がっていた。母は死ぬまでこの男に体を差し出していたのに。それほどまでに俺の高校入学を楽しみにしていたのに。武司はその場で担任を殴った。顔の原型がなくなるほどに。そして停学処分を受けた。
中学を卒業すると武司は働き始めた。相続放棄を知らず、母の負の財産を相続してしまったため借金を背負っていたのだ。周りにそんなことを教えてくれる大人はいなかった。無知だった自分が悪いと責めた。朝は工場で肉体労働をし、夜は道路工事の警備員のアルバイトをした。
しかしそんな不幸な武司に転機が訪れたのは中学を卒業して1年が経過した時だった。武司はこの時、働きながら1年遅れで通信制の高校に入学していた。中学の同級生は高校2年生がほとんどで、武司が高校1年生の時だった。
実の父親の存在がわかったのだ。いや、わかった時には亡くなっていたのだから存在と言うには語弊がある。
実の父親は県内有数の資産家で、武司は多額の相続を受けた。もちろん積極財産だ。
現金、株、有価証券に不動産。武司はまず、売れるものをほとんど売り払い現金化した。そして母から受けた自身の借金を完済した。
「これで復讐の準備ができる」
次に武司は相続した不動産の中にあった山に建物を立てた。山は売却していなかった。窓のない、壁と扉だらけの建物だ。南北と東西方向を5室に割った合計25室の個室もある。母に育てられたプライバシーの概念のない続き間の、薄暗いぼろアパートを思い出す。武司はこの建物の内部の一部がルービックキューブを思わせることからキューブマンションと名付けた。
武司は実父からの相続の際、腹違いの兄がいることを知った。なかなか個性の強い兄で、動物の解剖や、ホラー映画を見るのが好きな兄だった。その兄が登記や契約などの手続き関係はすべて代行してくれた。
武司は兄と共謀してこのキューブマンションでデスゲームを企てた。
まず海外へ出向き、外国人浮浪者を傭兵として雇った。その傭兵には黒子の格好をさせた。
次に決行。3月だ。武司の中学3年の時のクラスメイトを集めた。皆が高校3年への進級を控えていた。延べ31人。武司へのいじめの主犯は多くがこのクラスの生徒だったのだ。男子には女子の名前を語り、女子には男子の名前を語り、宝くじが当たったので宿泊型参加無料のクラス会を開くと呼び寄せた。
当日は大型バスを使い級友をキューブマンションまで運んだ。一部不参加だった生徒がいたので、彼らは傭兵に拉致させて連れ込んだ。そして兄をゲームマスターに据え置き、武司もキューブマンションでのゲームに参加した。ゲームマスターとなった兄は自らをキキと名乗った。
武司はミッションを口実に多くの生徒を殺し、犯し、更には他の生徒が死にゆく様を、モニターを通して腹を抱えて笑った。
そして最後に生き残ったのは武司と1人の女子生徒の2人。最後の階で1室ずれ、それぞれクリアした2人だ。女子生徒は精神を病んでおり、まともな日常生活はもう二度と送れないであろう状態だった。
ゲームが終わると武司は兄からこの施設を譲ってほしいと提案された。武司は少し考えた。もう1人、一番許せない奴がいる。そいつにも絶対に復讐をしたい。
武司が出した結論は、そいつに復讐をしてくれるのなら譲ってもいい、だった。そしてそのデスゲームから4年後。兄は武司との約束を果たすべく再びこのデスゲームを企画し、そして武司の復讐の対象者が今ここにいる。
「ですよね? 近藤先生」
キキのその言葉に、壁に繋がれ拘束された状態の近藤は俯いたまま何も言わない。郁斗はこのゲームの成り行きを聞かされ困惑していた。
「あなた前の移動ゲームの時、県外の高校に赴任してたでしょ? だから居場所が分からず武司が直接参加したんですよ。まぁ今回はしっかり見つけましたけど。けど今回は生徒の人数がちょうど32人なんだもんなぁ。あなたの参加枠がないんだもん。だからあなたには自分のせいで何の罪もない生徒の死にゆく姿を見てもらおうと思って」
郁斗は話を聞き終えると納得がいかなかった。近藤が恨みを買ったせいで、悪趣味のキキがやる金持ちの道楽のせいで。郁斗は沸き立つ怒りを抑えるばかりだった。
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