第三十六話
4月18日 AM5:45
ゆっくりと開いた回廊側のE扉。姿を現した2人の黒子。手には死体袋を持っている。部屋のモニターには、
『収容のため今から黒子が作業をする。その間に開いた扉から出ることは禁止とする。また、黒子に危害を加えることも禁止とする。これを破れば失格になる』
と表示されている。そして俺の傍らで眠る菊川。俺は黒子の姿を捉えると死体袋を引っ手繰った。
「俺がやる。神聖な菊川の体に触るな」
俺は黒子から引っ手繰った死体袋を床に広げた。黒子は微動だにせず、開いた扉の前で立っている。顔を隠しているのでどこを見ているのかもわからない。俺は菊川の体をそっと抱え上げると広げた死体袋の上に置いた。
「菊川、ゲームクリアして必ず迎えに行くからな。それまで寒いけど安置室で待っててな」
俺はしばらく動かいない菊川に話し掛けた。そして名残惜しさを感じながらも死体袋のファスナーを上げた。俺が菊川から距離を取ると黒子が菊川の体と荷物をマンションの外に運び出した。
AM6:00 第34ターン
『ジリリリリッ』
『6時の移動ターンの時間です。今から15分以内に移動する扉を選択して下さい』
部屋の片隅で佇んでいると鳴り響く警報音とアナウンス。また次のターンが始まる。ゲーム開始12日目、拉致13日目だ。残るプレイヤーは14人。随分と減った。1Fの脱落のペースが早い。とにかく今後の他のプレイヤーの無事を祈るばかりだ。俺はS扉を選択した。
『ジリリリリッ』
『時間になりました。扉を開きます。今から15分以内に移動をして下さい』
開き始めたS扉。9番の部屋から大輝が移動してくる。ちょうどいい。このまま外周を左に回っても3番の部屋までは出口がない。このまま俺の後ろに付いてきてもらおう。
「郁斗……」
名前を呼ばれると俺は大輝に抱擁を求めた。大輝は応じてくれた。俺より背の高い大輝。俺は大輝の耳元に囁いた。
大輝が元いた9番の部屋には田中が移動してきた。その南の14番の部屋には牧野がいる。俺と大輝はそれぞれの身に起きたミッションの経緯を説明した。田中と牧野は難しい顔をしていたがなんとか納得してくれたようだ。8番の部屋が中継部屋であることも伝えられた。
俺は田中の移動先の部屋まで歩み寄り田中に抱擁をした。
「ちょ、なに――」
今まであまり面識がなかった田中。抵抗を見せる。しかしもう誰にも死んでほしくない。俺は田中の耳元で囁いた。
俺は次に牧野の部屋に移動し、同じように牧野にも抱擁をした。牧野も驚いた様子を見せる。1年の時は面識がなくこのゲームの1ターン目で「初めまして」の状態だった牧野。やはり死んでほしくない。俺は牧野の耳元で囁いた。
「郁斗、そろそろ閉まる時間だ」
「あぁ」
俺は大輝のその言葉に牧野の部屋を出た。俺と牧野は隣の部屋だが、直接は繋がっていない。田中と大輝の部屋を回り込んで進んだ。やがて扉は閉まった。
『ジリリリリッ』
『同室1室確認。ミッションを発令します。モニターをご覧下さい』
絶望の音とアナウンスが鳴り響く。俺の願い虚しく表示されたテロップに表わされたのはこのフロア。
『高橋卓也、園部歩美。1Fミッション』
ショックが大きかった。2室先にいる園部。その園部が卓也とのミッションに当たった。2人と言葉を交わすこともできない。どうか、どうか、2人とも無事でいてくれ。
昨晩は菊川と過ごして寝ていない。けど眠れない。長い7時間半が更にとてつもなく長く感じられる。菊川はもう安置室だろうか。当たり前だが、マンションの外に出た脱落者はゲームマスターからの音沙汰が何もない。
更に時間が経過し、端末の時計を見ると午後1時57分。昼食もろくに喉を通らなかった。こんな凶器に囲まれた部屋では当たり前だ。あと3分でターンが終わる。卓也と園部はどうしている。心中する気なのか? と思ったその時。
『ジリリリリッ』
『脱落者確認』
そんな……。また誰かが死んだ。俺は怒りと憎しみと絶望と、そして何もできない自分へのふがいなさに憤怒する気持ちを抑えながらモニターに顔を上げた。
『園部歩美脱落』
「くそぉぉぉぉぉ!」
発狂した。声を上げたところでどうにもならないのはわかっている。けど堪えることができなかった。
園部は卓也に殺されたのか? それとも自殺か? 菊川の時にわかったが、1Fは自殺でも『リタイア』と表示されない。ただ『脱落』と表示される。本田のように自殺か事故か殺されたかが判断できないケースもあるからだろう。
PM2:00 第35ターン
『ジリリリリッ』
『2時の移動ターンの時間です。今から15分以内に移動する扉を選択して下さい』
早くこのゲームを終わらせなくては。俺の思いはただこれだけだ。この焦る思いが重要なことを見落とさせてしまった。この移動ターンで俺は予定通りS扉を選択した。
『ジリリリリッ』
『時間になりました。扉を開きます。今から15分以内に移動をして下さい』
開いたS扉、その先に見える人のいない20番の部屋。その20番の部屋もS扉が開いている。更に奥に見える25番の部屋。そこにはマットの上で血まみれの女子生徒が倒れていた。そして開いた扉の前には外傷が見当たらない男子生徒が倒れている。
「卓也」
俺は20番の部屋を飛び越えて、25番の部屋で倒れている高橋卓也に駆け寄った。目が半開きだ。
体を起こすが重い。野球部で坊主頭の卓也。それなりのガタイをしている。血まみれの女子生徒は園部だ。状況からも表示されたテロップからも既に絶命していることは疑いようがない。大輝も後ろの部屋から悲痛な表情を向けている。
「卓也、次は20番の部屋なのか?」
「あぁ」
俺と大輝は卓也を20番の部屋に運んだ。室内で床に座り、俺は卓也の上体を支えた。少し考えればわかることだった。園部と同室になった卓也なのだから、園部と同じ進行方向の俺が次に同室になる可能性はかなり高かった。焦りが判断力を低下させた。
「郁斗もここか?」
「あぁ」
「俺って本当運がねぇなぁ。こんな状態じゃ勝ち目ねぇじゃん」
「俺はお前を殺すつもりなんてないよ。何があったんだよ?」
卓也は時々咽込む。吐血もしているのか口の中が赤い。俺が大輝に頼むと、大輝が園部の体も20番の部屋に運び込んだ。
「見たまんまだよ。俺が園部を殺した。あいつも意外としたたかな奴でさ、いつの間にか俺の水にカプセルの毒を盛ってやがった。それに気づかず俺、ドジっちゃったよ」
「それを飲んだのか?」
「あぁ。それでこのザマだ」
だから卓也はこんな状態なのか。ただ卓也がまだ生きているということは、水に溶かされた毒が薄まったのと、恐らく少量しか口にしていないからだろう。この体格の良さもあるのかもしれない。
卓也は荒い呼吸を整えるようにしばらく休んだ。横になりたいと言うので俺は卓也をマットに寝かせた。すると扉が閉まった。大輝はもう自分の移動先の15番の部屋だ。
『ジリリリリッ』
『同室3室確認。ミッションを発令します。モニターをご覧下さい』
3室だと? Bフロアであってくれ。しかしBフロアにはまだ真子がいるかもしれない。Bフロアでも無茶なミッションは止めてくれ。
『高橋卓也、波多野郁斗。1Fミッション』
『木部あい、田中利緒菜。1Fミッション』
『渡辺正信、牧野美織。1Fミッション』
くそっ。木部、田中、正信、牧野まで。正信と木部は隣同士の部屋だったのか? 連なった2人ずつがあの後合流してしまったのか?
すると回廊側の扉が開き、黒子が死体袋を持って来た。俺は園部の遺体も死体袋に入れ、見送った。
しかしなぜ卓也と園部は制限時間ぎりぎりのタイミングで殺し合いになったのだ? 起こるなら敦と正信の時みたいにそれほど時間は掛からないと思うのだが。俺のその疑問を知ってか知らずか卓也が話し始めた。
「俺さ、B2の時は赤坂がずっと後ろ追いかけて来てたんだけど、あいつぶりぶりしてるしすっげー鬱陶しかったんだよ。だから投票で入れなかったら恨まれちゃって。そしたら赤坂がへそ曲げて反対周り初めて。
B2の連中はさ、みんなで話し合って回り方決めてたのに。それで赤坂ミッションによく当たるようになって」
木部の予想通り、赤坂はずっと卓也の後ろを付いていた。そして真子が懸念したとおり、卓也が投票せず最悪の事態が起こっていた。
「俺、園部とキャッチボールのミッションやったじゃん? あれが思いの外楽しくてさ。ミッション終ってからもずっと2人で部屋の中でやってたんだよ。そしたらミッションのノルマでは園部できたのに、モニターが暗転した途端ぼろぼろボール落とすんだよ。それが面白くて」
「卓也……」
不安と恐怖ばかりのゲームの中でささやかな息抜きの時間だったのだろう。俺はBフロアの時、大輝や真子がいてくれて心底良かったと思う。
「俺、野球と勉強しかやってこなかったからあんま女子と話した事なくてさ。あぁしてしょうもないキャッチボールしたり、話したりってすげー楽しいんだなって思った。恋愛感情とかよくわかんねぇし、園部は好きな奴いるって言ってたから、仲のいい女子になれたらなって思ってたんだよ」
俺が中学生の時に真子に抱いていた感情に似ている。俺の場合はそれがいつしか恋心に変わったが。
卓也は時々間を空けながら目を閉じたままゆっくり話す。扉が閉まってからどのくらい時間が経っただろうか。そして無常にも響く警報音。
『ジリリリリッ』
『脱落者確認』
『牧野美織脱落』
それに続き、脱落者を知らせるテロップ。脱落者が止まらない。
「次は誰だ?」
「牧野だ」
「そうか。じゃぁ正信が生きてんのか」
落ち着いて脱落者の名前を言える当たり、俺もだいぶこのゲームに感化されてしまったのだろうか。
「どこまで話したっけ? そうだ。そしたら園部と1Fで同室になっちゃってさ。お互いショックでよ。しょうがないから心中するかって話してたんだよ。俺、赤坂が死んだことに責任感じてたのもあったから。けどだめだな。俺、弱かったよ。制限時間が10分を切った途端焦り始めて。死ぬのが怖くなっちゃって。気づいたら園部を刺してた」
「卓也……」
切ない。これで卓也を責めることなんてできるのか? いや、そんなことはできない。けど園部は死んだ。悔しい。やるせない。
「園部も俺と同じだったんだろうな。土壇場で怖くなったんだろ。水のペットボトルにいつの間にかカプセルの毒を入れててさ。俺がずっと口を付けてたはずのペットボトルだから、あれは土壇場で入れたんだろうな。完全に油断してたわ」
園部のしたことだって責められない。理解はしてあげられないけど、責めることはできない。誰も悪くない。悪いのはこのゲームだ。
「ごほっ、ごほっ……」
「卓也、大丈夫か?」
「俺もう寝るわ。郁斗、早くこんなクソゲーム終わらせろよ。そんで生きてここを出ろよ」
すると卓也の体から力が抜けた。
『ジリリリリッ』
『脱落者確認』
まさか。俺は卓也の右腕の脈を確認してみた。
「嘘だろ……」
卓也の脈は止まっていた。俺は部屋でむせび泣いた。
『高橋卓也脱落』
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