第三十話

 俺と真子は緊張した面持ちで勝英と赤坂の回答が終わるのを待っていた。モニターに映る赤坂の慌てふためき様。恐らく出口未経験者で間違いないのだろう。回答するのが怖いのだとわかる。そうかと言って回答しなければミッション不達成だ。


 やがて8時近くになった。まだ床下から取り出した朝食に手を付けられない。すると勝英が動いた。赤坂はマットの上で祈るように座っている。答えるのか? すると勝英の口が動いた。その途端モニターが暗転した。


「どうなった?」

「わからない」


 俺と真子は祈るような気持ちで反応を待った。すると……


『ジリリリリッ』

『脱落者確認』


 最悪だ。大輝と勝英の部屋は正解を言えなかった。真子が俺の胸に顔を埋めシャツを強く握る。俺は唇を噛み締める。俺には何もできないのか。

 すると作動したモニター。それは暗転したばかりの勝英と赤坂の部屋だった。脱落者は初期配置がB4フロアの勝英ではない。これは明らかだ。そして表示されるテロップ。


『赤坂真美、ミッション2室不正解のため脱落』


 画面の中で赤坂はパニックになっている。勝英は青ざめた表情をしている。そして赤坂が左腕を押さえ始めた。すぐに床に転げ回った。また人が死ぬ。


「くそっ」


 ひとしきり床を転げまわると、やがて赤坂は動かなくなった。そしてモニターが暗転した。すでに真子が泣いているのがわかる。俺は小さく口を開いた。


「真子、終わった」

「うぐっ。誰、だった?」

「赤坂」

「真美……」


 この日俺と真子は朝食が喉を通らなかった。


 4月14日 PM2:00 第23ターン


『ジリリリリッ』

『2時の移動ターンの時間です。今から15分以内に移動する扉を選択して下さい』


 俺は食欲が戻らなかったが、なんとかこの日の昼食は完食した。真子も食欲がなく、半分ほど残したが、それでもなんとか食べた。赤坂が死んだことのショックはまだ続いている。そしてあまり会話もないまま昼2時の警報音とアナウンスを聞いた。


『ジリリリリッ』

『時間になりました。扉を開きます。今から15分以内に移動をして下さい』


 俺と真子は5番の部屋に進むべくE扉を選択していた。そしてその先にいる3人。


「え……」


 真子が声を発した。俺は口を半開きにしたまま声が出なかった。行き先の5番の部屋はN扉が開いていた。室内にいる大輝、木部、本田は開いた扉の方向を向いている。右回りなら本来は本田が来た方向のS扉が開くはず。角部屋の5番はN扉とE扉は回廊に続くはずだ。


「大輝、もしかして……」

「あぁ、出口だ」


 出口は5番の部屋にあったのだ。


「いっくん」


 隣で真子が俺の腕を掴み安堵の表情を見せる。ということは出入り口変更後、この部屋からスタートしたのであろう敦はすでに1Fだ。B2フロアスタートの敦。B3フロアとB4フロアは既に閉鎖。すれ違ってもいないし間違いない。既に1Fに到達したプレイヤーがいる。不人気投票のような全員参加型のミッションはもう起こらない。

 俺と真子は軽い足取りで5番の部屋に入室した。


「先に1F行ってるな」


 大輝はそう言い残すと回廊に出た。それに続くように木部と本田も動いた。すると真子が木部を引き留めた。


「あいちゃん。次はどっちの向きに回る?」

「角部屋に近い方。真ん中か角部屋スタートなら左回り。ただし、B2の入り口部屋で誰かに会ったらその情報で変えるかもしれない。その時はごめん」

「わかった」


 そう言い残すと木部は本田とともに出口を出た。木部の次はB2フロアか。それを真子が追いかける。大輝と本田の次は1Fだ。近づいている。ゲームの終わりに。


「瀬古君、元気なかった?」


 閉まりゆくN扉を見ながら真子が言った。確かに気落ちしているように見えた。出口に喜びの表情も見せなかった。前のターンで赤坂が死んだ。不正解だったことを気にしているのだろう。やるせない。

 俺が大輝の心配をしていると、ふと真子が言った。


「利緒菜ちゃんが心配だ」

「え?」


 真子は25マスの方眼が書かれたノートを広げて何やら考えていた。


「順調に右回りで進んでるなら今2番にいる。次の出入り口変更までに届く。美織ちゃんは右回りである以上残念ながら届かないけど。

 ただ利緒菜ちゃんは瑞希ちゃんと橋本君がミッションをやらなかったことで、25番が出口部屋だと惑わされて、逆回りに進み始めたら届かない。けど利緒菜ちゃんと橋本君が同室にならなかったからそれはない。ただ……」


 『けど』や『ただ』を繰り返す真子。気になる。


「ただ何?」

「私シュミレーションをしてみたの」


 真子は25マスの方眼が書かれたノートの上で説明を始めた。


「出入り口変更時の利緒菜ちゃんのスタートは21番。そこにいる時に恐らくB2フロアから渡辺君が上がってきた。この時はここが入り口部屋だったから」


 なるほど。俺達の先のミッション結果から正信が上がってきたのは確実だ。そして入り口部屋でのミッションはない。


「19ターン目、利緒菜ちゃんは右回りに進むべく16番に移動した。渡辺君とミッションをしていないから渡辺君は22番に進んだ。美織ちゃんは渡辺君と入れ替わりで21番、橋本君が24番。橋本君の動向は瑞希ちゃんから聞いてるから」


 ふむふむ、その動きで間違いないと思う。


「けどこの時、橋本君と瑞希ちゃんにミッションが発生しなかった。それで25番が出口だと思った。私達もそうだったように」


 確かに。俺も大輝も木部もそう思っていた。


「そして20ターン目で引き返す。するとこの時渡辺君と橋本君が同室になった。これはミッションが起きたから確認済み。美織ちゃんも引き返していたとしたら間の美織ちゃんを介して3室4人が繋がった」


 あ、わかってきたぞ。けどこれはかなりよろしくない。


「橋本君がいることで25番が出口部屋じゃないことを知る。その次の21ターン目は橋本君と利緒菜ちゃんのミッションがなかったから、また右に回るべく引き返した」

「あ、あぁ。それだと田中は牧野とともに2ターンロスしてる」

「そうなの。だから出口に届かない。瑞希ちゃんと橋本君に惑わされていなければいいけど」


 こんなところにも悪影響が及ぶとは。もしかして赤坂も同じパターンだったのではないのだろうか。卓也に投票されず、わだかまりができて逆に回り始めた。それでミッションに多く遭遇した。B2フロアのプレイヤー達がB1フロアのプレイヤー達と同じ作戦を取っていればだが。

 しかも卓也と赤坂が近くにいたこと自体、あくまで憶測だ。物的根拠はない。


「けど渡辺君は出口に届く」

「おぉ、しかもこのフロアで地下コンプだな」


 納得していると扉が閉まった。次のターンで真子と一緒にこのフロアを出られる。そして俺は1Fだ。ただ真子はB2フロア。とうとう真子と離れなければならない。


『ジリリリリッ』

『同室1室確認。ミッションを発令します。モニターをご覧下さい』


 俺達だけだ。真子とこなす最後のミッションになる。俺達2人だけが映されたモニター。そして表示されるテロップ。


『波多野郁斗、太田真子は制限時間まで愛し合え。制限時間は次の移動ターン開始まで』


「……」

「……」

「なんだこれ?」

「いや、わかんない」


 俺達の頭の周りに多くの疑問符が飛び交っている。するとモニターが消えた。慌てて腕の端末を見る。しかし『ミッションクリア』は表示されない。


「私達って愛し合ってるよね?」

「うん。真子が告白して、俺が真子を好きって自覚してからずっと。少なくとも制限時間までに気持ちが冷めることはない」

「うん、私もそれははっきり言える」


 愛し合う? 既に愛し合っているのだが、どうすればいいのだ。まさかセックスをしろと言っているのか? いや、それならモニターが消えた理由が不明だ。


「どうしよっか? いっくん」

「愛の形っていろいろだしな。何をもってしてクリアなのかもわからん」

「このままだと不達成になる?」

「そんな理不尽なミッションはないだろ。少なくとも今までミッション達成の判断だけは公平だよ、このゲーム」

「そうだよね。愛の形……とりあえずキスしよっか?」

「う、うん」


 俺は真子の肩に手を置いた。改めてこうして真子を見ると照れる。暗い部屋で横になっている時、欲に任せてするキスとは違う。ミッションのために水を口移しで飲むのとも違う。初めての性交をミッションですることになり、盛り上げるためにしたキスとも違う。

 ただただ照れる。真子も目が泳いでいる。そう、真子がファーストキスをやり直してほしいと言った時の気持ちに似ている。


 俺は真子に顔を近づけた。真子はそれに合わせてそっと目を閉じる。やがてお互いの唇が触れた。真子の唇の感触をしっかりと脳裏に刻むと俺は真子から離れた。


「あわわわわ。何だこれ。改めてするとすっごい照れる」

「……」


 真子のうろたえ様に俺は何も言葉が返せない。俺も動揺しているのだ。真子はそのまま俺の胸に額を預けた。俺は真子の肩に手を添えたまま。


「私達の愛の形が見たいのかな? ゲームマスターさんは」

「それなら今までたくさん盗み見してきただろうに」

「だよね」


 この後特別なことをすることもなく、俺と真子はこの狭い部屋の中で過ごした。ただ話をして、ただ手を繋いで、ただ一緒に夕食を食べて、時々キスをして。途中からミッションの最中であることすらも忘れて過ごしていた。

 こんな理不尽で恐怖を感じるゲームの中、身近な人が死ぬ環境の中、不謹慎ながらも一時の幸福を得ていた。

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