移動ゲーム

生島いつつ

第一話

 4月7日 AM5:30


 目が覚めると俺は真っ白な部屋の中にいた。床は白いタイルが敷き詰められていて、壁と天井は白の壁紙で統一されている。広さは8畳もないくらいだろうか。体には毛布が掛けられていた。


 俺は体を起こした。ベッド……いやマットと言うべきか。俺は部屋の中央に置かれた布団くらいの大きさのマットの上で寝ていたようだ。

 どこだろう、ここは。俺はまだ覚めきらない頭を無理やり稼動させ部屋を一周見渡した。窓がない部屋。4面の壁の中央辺りに扉が一箇所ずつある。4つの各扉の上には壁掛け式のテレビが設置されている。室内の状況からしてモニター画面だとわかる。扉にはそれぞれ『S』『W』『E』『N』と表記されていた。方位を表しているのだろうか。


「ちっ、北枕かよ」


 これが目覚めて最初に口にした言葉だった。目を凝らしてよく見てみるとどの扉にもドアノブがない。これでは扉を開けられない。完全に監禁である。


 部屋の片隅には便器が設置されている。脇を腰高の壁で仕切られた簡素な造りだ。上蓋すらない。その腰壁からはスマートフォンの充電器のようなコードが伸びている。ドアの表記を方位と捉えて間違いないのであれば、便器は北西の角にあることになる。

 ここはまるで牢獄のような造りの部屋だ。とは言え、白で統一された内装と明るい照明のおかげで牢獄と言うのにも違和感を抱く。


 俺は立ち上がろうとマットに手をついた。すると左腕に違和感を覚えた。腕を見てみるとスマートフォンのような機械が固定されている。液晶画面には日付と時刻が表示されていた。タッチしても何も起こらない。側面にボタンもない。スマートフォンではないようだ。液晶画面は手の甲の側ではなく、手のひら側を向いている。便器横の腰壁から伸びたコードはこの端末の充電器で間違いない。

 ただこの端末は何かがおかしい。左腕を顔に近づけよく見てみた。するとわかった。この機械を腕に固定しているバンドに止め具がないのだ。このバンドは金属の蛇腹のような形状をしているが、腕時計のように緩めたり分離できたりしない。どのようにして腕に巻きつけたのかまったくもって謎である。


 そもそも何故俺はこんな場所にいるのだ。身は、通っている桜学園高校の制服に包まれている。ネクタイは緩んでいるがブレザーはしっかり羽織っている。マット脇には革靴と通学鞄が無造作に置かれている。


「そうだ」


 俺は思い立つと同時にその言葉が口を吐いた。通学鞄を漁るが目当ての物がない。ポケットも確認するがあるのは学生証だけ。


「スマホがない」


 徐々に不安の波が押し寄せてきた。しかしすぐに頭を切り替え、何故ここにいるのかを再び考え始めた。覚えているのは学校での出来事。


 2年生になったばかりの俺、波多野郁斗は新クラスを確認し、始業式を終え、ホームルームを済ませた。荷物もまとめたその時、翌日の入学式の準備に駆り出されると言われクラス全員で教室を出た。しかし新担任に案内されたのは学校敷地の一番奥にある旧校舎。入学式の準備でなぜこんな場所に用があるのか理解できなかった。新しいクラスメイト達も皆一様に怪訝な表情をしていた。


 旧校舎の脇には現在出入りに使われていない裏門があるのだが、その外に観光バスが停まっていたことは覚えている。なぜこんな場所にバスが? と疑問に思ったものだ。駐輪場も駐車場も駅もバス停も正門側にあるので、生徒、教職員とも裏門を使う人は皆無だ。部活の遠征や修学旅行などでも道幅の広い正門側にバスは待機する。

 そんな違和感をよそに俺たち2年A組の生徒は担任から旧校舎の一室に入るよう指示を受けた。木製の床とコンクリートの塗り壁に囲まれた古い造りの教室だ。そこに入ると甘い香りが鼻を付いた。そして全クラスメイトが入室した頃、1人の女子生徒が床に倒れた。後を追うようにバタンバタンと何人かの生徒が倒れていき、霧掛かる視界の中俺は意識を失った。


 そして目覚めたたらこの真っ白な部屋だ。腕の液晶を見る限り日付は翌日に変わっている。つまり今日が入学式だ。


「どうなってんだ……」


 俺はとりあえず便器で用を足し、再びマットの上に座った。すると突然、


『パッパカパーン♪』


 頭上から陽気な音楽が流れてきた。それなりの音量に驚いて音の方向を見上げると、天井に設置されたスピーカーから発信されていることがわかった。


『おはようございます。起床の時間です』


 音楽の音量が小さくなると同時に人の声が聞こえた。機械で地声を加工しているのだろう、頭に響くやや甲高い不快な声色だ。頭痛すらも感じる。頭に感じる痛みからどうやらこれは夢ではなさそうだ。


『ようこそキューブマンションへ』


 キューブ? 何のことだ? マンションとは? 部屋を意味するマンションのことか?


『お目覚めのところ早速で恐縮ですが、皆さんにはこれからゲームをしてもらいます』


 ツッコミ所が満載である。まず恐縮といいながら陽気な掛け声。この声の主は意図的にこの状況を作り出し楽しんでいる。そして皆さんと言った。この状況に遭遇しているのは俺以外にもいる。複数人でゲームをさせるということなのか?


『私はゲームマスターのキキです。キキの由来は某アニメ映画ではありません。ナイフを刺したら海賊が樽から飛び出る玩具から名づけました』


「どうでもいい」


 俺は思わず毒吐いた。それよりも早く本題に入ってほしい。むしろ願わくはこの状況が嘘であると言ってほしい。


『名前の由来はどうでも良くないですよ。皆さんも様々な願いを込めて名づけてもらったんでしょう? それにこの状況は嘘でも夢でもありません。現実です。今からルール説明をするのでしっかり聞いて下さいね』


 口にした言葉なら盗聴ということもあるのでともかく、心の中まで読まれたのだろうか。いや、このくらいの感情や疑問は予測できる範疇か。


『まず皆さんは3.3メートル四方の部屋にいます』


 壁厚を考慮しても8畳に満たないくらい。やはりそのくらいの広さか。


『皆さんは東西方向5室、南北方向5室の碁盤目上に間仕切られた合計25室のうちのどこか一室に配置されています。この25マスをマンションと言います。スタート時点で1室に複数人はいません。奇数の部屋に男女2人ずつ、偶数の部屋に男女2人ずつの合計8人、男女比が公平なスタート配置となっています』


 つまり俺以外に男が3人と女が4人いる。誰なのだ。どんな人がここに送り込まれているのだ。ただ奇数と偶数の意味がわからない。


『皆さんは1日に3回の移動ターンがあります。朝6時と、お昼の2時と、夜の10時です。この3回の時間が移動ターンの開始です』


 8時間毎ということか。


『最初の移動ターンはこの後6時。これがゲーム開始です。まず15分でどの扉の部屋に移動するかを決めてもらいます。左腕の端末のタッチパネルに操作ボタンが出ますので、それで決めて下さい。一度決めたら変更できませんので注意して下さいね。

 次の15分で各自が決めた扉が開きますのでその間に移動して下さい。選んだ先の部屋にしか行ってはいけません。そして6時半になったら扉が閉まります。それから7時間半は部屋の中にいて下さい。これを1日に3ターン、毎日繰り返します。皆さんは出口を探し出し、碁盤目上の部屋の外を目指して下さい。以上』


 いや、ちょっと待て。説明が少なすぎるだろ。碁盤目上の部屋の外に出られない限り、何日もここにいなくてはならないのか?


『一つ言い忘れていました。皆さんの荷物は通信機器を除いてお手元に置いてありますので。通信機器はゲームクリア後にお返しします。移動の際は毛布など備え付けの物は持ち出さないで下さい。支給品は移動自由です。私物はすべて持って出て下さい。これ破ると失格です。例えば置手紙とか』


 俺は慌てて通学鞄からノートとシャープペンを取り出した。確かにスマートフォン以外は揃っているようだ。そしてノートに5×5の方眼と方位記号を書いた。


「俺はどこの部屋にいるんだ」


 まったくもって状況が把握できない。そうかと言って監禁状態のこの閉鎖空間から出るにはキキとか言うゲームマスターの放言に付き合わなくてはならない。不満、怒り、疑問、焦り、不安、様々な感情が頭の中を駆け巡る。まだ起きて30分未満だというのに。


 4月7日 AM6:00 第1ターン


 25マス書いたノートのページと睨めっこをしていると、


『ジリリリリッ』


 という警報音が部屋中に鳴り響いた。


『6時の移動ターンの時間です。今から15分以内に移動する扉を選択して下さい』


 キキとは打って変わって事務的で機械的な女の声だ。予め録音された自動音声だろう。

 すると腕の液晶画面が光った。扉に記されたアルファベット4文字が表示されている。更に6時を表示する時間の下に14分台のカウントダウンが1秒毎に表示されている。カウントがゼロになるまでに扉を選択しなくてはならないということか。

 俺は部屋中を見回した。出口へのヒントになりそうなものは何もない。


 俺はカウントが1分を切るまで粘り『W』のボタンをタッチした。そしてカウントゼロになると再び、


『ジリリリリッ』


 という警報音が鳴った。


『時間になりました。扉を開きます。今から15分以内に移動をして下さい』


 前回同様無機質なアナウンス音だ。

 俺は『W』のドアの前に立った。すると程なくしてドアが自動で開いた。


「あ」


 思わず声が出た。開いた先の部屋にはクラスメイトの中川信二が立っていた。中川は俺の声に反応し、横向きだった体を俺に向けた。


「えっと、波多野だっけ?」

「あぁ、波多野郁斗。中川だよな?」

「あぁ。君もここにいたんだ」

「そうみたいだな」


 1年の頃はクラスも違い、また中学も離れていたのでまともな会話は記憶の限りこれが初めてだ。恐らく今まで挨拶もしたことがない。

 俺は中川がいた部屋に足を踏み入れた。俺が元いた部屋とまったく違いがない。白い内装に中央のマット。部屋の片隅には便器。更には4面の壁に設置されたノブのない扉。アルファベットの表記も同じだ。アルファベットは方位を表していると見て間違いないだろう。中川は開いた北側のドアの前に立っていた。


 するとそこに女の声が聞こえた。


「あ、えっと、どうも」


 中川がその声に反応し、開いた先の部屋を見た。俺は中川の横に並び、中川の先の部屋を見た。そこには同じ学校の制服を着た女子生徒が立っていた。中川もこの女子生徒もブレザーの左の袖口から液晶機器が見える。


「あ、えっと……同じ学校の人ですよね?」


 女子生徒は俺と中川を交互に見て遠慮がちに聞いてきた。


「俺は2Aの中川」

「俺は波多野。同じ2A」

「え、私も2Aです。牧野美織です」


 どうやらこの女子生徒も同じクラスの生徒だったようだ。一学年に9クラスもあり、昨日クラス替えをしたばかり。まだ顔と名前を覚えていない。


「もしかして他の5人も2Aの生徒かな」


 中川が小首を傾げて言った。


「そうかも」


 それに俺は同調した。旧校舎で意識を失ってからの出来事。そしてここにいる8人中3人がクラスメイト。他の5人も2年A組の生徒である可能性が高い。


「とりあえず俺移動するわ」


 そう言うと中川は牧野がいる部屋に入った。


「同じ部屋の人がいて心強いです」

「あぁ、8時間よろしく」


 牧野の強張った笑顔に中川が答えた。確かに情報が少ないこの状況で同室の人間がいるのは心強い。


「波多野もこっちの部屋に来るか?」


 俺の表情を読み取ったのか中川が気を利かせた提案をしてくれた。


「あぁ、ぜひ」


 俺は中川の移動した先の部屋に移動した。しかしその時扉に生じた違和感。扉の枠に設置されたゴム材。俺は開いた状態の扉を叩いてみる。やはり反動が何か違う。


「なぁ、この扉反対側から叩いてみてくれないか? できるだけ強く」


 俺は中川にそう言うと扉に耳をつけた。そして中川が扉の反対側に向かった。

 それから少しして、「叩いたぞ」と中川が言った。


 やはり。この分厚い扉、中にクッション材が入っている。吸音効果で、叩いても反対側に音がほとんど伝わらない。閉じた状態なら枠のゴムも吸音してなおさらだろう。これほど完璧なまでの部屋を作り監禁するようなゲームマスターのやること。この先何があるかわからない。今はまだ素直に従って様子を見た方がいいのではないだろうか。


「やっぱ同じ部屋はやめとくわ。まだわからないことだらけだから。次会ったらまた誘ってくれよ」

「そうか。じゃぁ、また会ったらな」


 そう言葉を交わして俺は1つ前の部屋に戻った。

 そしてしばらくすると左腕の液晶のカウントが0になり、警報音に続きドアが自動で閉まった。

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