百物語
ここね
第1話 哲学の部屋
白峯 詩楼佳−しろみね しろか−は夢も希望もなく憧れも憐れみもなく慟哭や憤怒もなく—――要するに無感情で無為に毎日を過ごしている。
学校という閉鎖空間にいて何事もなくやり過ごして何も目的もなくただ時間だけがいたずらに過ぎていくそんな日々に、どうにかしなきゃと思うものの、かと言ってどうにかする方法もなく、どうにかしたいという思いすらめんどくさいしなぁという気持ちの方が上回った結果、だらだらと過ごして高校三年の今に至るという末期である。成績は平凡で中庸で得意もなければ不得意もない。平均点というよりは中央値のど真ん中をストレートで生きている。進路は進学を考えてはいるが特に行きたい大学があるわけでもないので、一番近いいけそうな大学ってだけで選んでいる。
まぁここまでできればいいでしょうという妥協のみで生きている。そんな彼女であるが―――他人に興味がなくどうだっていいとさえ思っている彼女が、ここ最近一つだけ気になっている出来事があった。
―――隣席に座っている少年、黒々城 国悟−ここしろ こくご−というクラスメイトが熱心に何かをつぶやいてはノートに何かを書き連ねている。
「……平等という概念がすでに平等ではない証とするならば、平等とは一体なんだ? どうしたら平等にできる? 公平であろうとするにはそれは……」
なんて小難しいことを言ってるかと思えば
「青は青い」なんて当たり前のことを呟いている。「赤はもちろん赤い」
さながらイデアを探す哲学者のようでもあるが、ただの中二病だと私は思っている。気になるのはその中身ではなく—――その熱心に筆を走らせる情熱はどこからきているのかという興味だった。
多くのクラスメイトが何かを惰性で、あるいは命令なんかで続けていて、やる気はあっても熱意なんかも少しは感じられることもあるがそれでも彼のようなひたむきさはない。少なくとも私はそう感じている。
意味は分からないが、その狂気なまでの熱意と集中力に私は畏敬と羨望を覚えるのであった。
その意味が理解出来たなら私にもやりがいだとか熱意なんてものを持てるのだろうか。なんて思いつつ、今日も彼の特異な挙動を観察するのだった。
だからある日、彼に聞いてみたことがある。
「あなたは何をしたいの?」と。唐突な質問に彼は、逡巡し、数秒考えたあとにぼそっと「なにもしたくない」と答えた。そして
「何もしたくはないが―――何もしないこともしたくないんだ。だから考えてる。何かをいつも。答えは出ないけどそれでいいと思ってる」なんて自分に言い聞かせるようにいう。彼の行動原理はきっと彼自身もわかっていないのだろう。
「さながらメアリーの部屋―――いいえ。哲学の部屋ね」
「ほう―――シロミネからそんな単語を聞くとはおもわなかった。じゃあ彼女は新しい何かを得たと思うか?」
知っていたのは彼が前につぶやいていた赤は赤いという言葉から、少し調べたことがあっただけである。哲学の部屋とはフランクキャメロンジャクソンが提唱したとされる思考実験だ。
メアリーという白と黒の部屋しか見たことがない女性がいるとする。
その女性はありとあらゆる科学・物理知識をもっていると仮定する。この部屋からでたことはない。そしてまた、白と黒以外の「色」を見たことがない。
この状態で、メアリーが外をでて初めて「色」を見たときに新しい何かを得るだろうか? という問いである。
「答えはノー。すべてを知っているというのなら、どういうものかは知っているべきね。前提からしてファンタジーなんだから回答だってファンタジーよ」
「ヘンペルのカラスみたいなものだな」
「そうね」
―――彼がいっているのは、この世のカラスはすべて黒い。が正しいとき。この世のすべての黒くないものがカラスではないが真である。という論理の基礎である。つまりはすべてのものを調べることはできないってことでもある。もっとも白いカラスを出せばいいので解決ではあるが、現実的にすべてのものを調べることはできない。
ゆえにファンタジーなんだ。っていう私の意図をすぐ読み取るあたりがよくもわるくもいかれている。
―――――――。
春。大学の初日。
哲学の話をした日々が、ほんの少しだけ、私の夢も希望もない日々に彩りを与えてくれていたことに気づいたのは、卒業して、その日々がなくなったときだった。
コクゴの情熱がどこからきていたのかはよくわかってはいないが―――結局、そのどうしようもない日々を打破したくて、彼もきっともがいていたんだと思う。
彼とは結局、連絡先も交換してないし、する気もなく、そのまま卒業して離れ離れになった。
ああ、あの日々こそが哲学の部屋だったんだな。と私はふと思う。
私は、また楽しい会話ができる相手とめぐりあうことを期待して、大学の門をくぐった。
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