ソルティ

プロローグ

その日は晴れだった。


物が焼ける匂いで目が覚めた。

心なしか暑くて、水を飲もうと布団を捲った。その時気付いたのだ。

窓の外が、赤いことに。

「………えっ」

言葉を発した途端、壁の向こうで爆発音が聞こえた。破裂して、壁に小さな窪みができる。

ドアが開く。

「おとうさん!?」

ドアの向こうから現れたのは、煤で汚れた父の姿だった。が、すでにその体には服が張り付き、所々火傷が見える。

息を切らした父の姿から、なにか尋常ではないことが起こってることがわかる。

「なにが———」

私の言葉を遮って、父が私の手を引く。


部屋から出ると、私は目眩を覚えた。

見慣れた部屋が、リビングが、家が、炎によって赤々と燃えていた。

剥き出しになった天井から焦げた木が降り、柱が倒れ、煙が充満している。

「おとう、さん…」

「こっちだ!」

今まで聞いたことのないトーンで言われ、私は父にしがみつく。

それを優しく引き剥がし、外に繋がる扉へと向かう。父の手に炎がかかり、火傷を作る。

扉に手をかけ、父が固まる。

「………あ」

「おとうさん…」

「………」

黙り込む父の上に、木片が降ってくる。

それに気づき、ギリギリで躱したその勢いのまま、私に近づいて抱き上げる。

ふわりと体が浮いた。そして、今の今まで立っていた場所に、本棚が倒れかかっていた。

業火の中、父の汗が私の頬に張り付き、それがまだ自分が生きていることを証明してくれている気がした。

外に出ることも叶わず、逃げ道が見当たらない。

父が歯ぎしりをした。


父は、聡明な人だ。

私がした質問は、なんでも詳しく教えてくれる。

勝負ごとも得意で、負けることはたまにあるらしいが、私の眼の前では勝っていた。

その代わりか、体が弱く、私にもそれは受け継がれた。しょっちゅう風邪を引き、今日の朝だってかなり高い熱が出ていた。そのおかげで、今日のお出かけの予定はなくなってしまったのだが。

そんな父の癖は、歯ぎしりをすることだ。負けそうになった時、危なくなった時、焦った時などによくする。

父は、私の身長に合わせてしゃがみ、目を真っ直ぐ見つめて言った。

「いいか、俺たちは助からない。」

答えることはできない。「だから」

「………だから、お前だけでも生き延びさせる。」

父は、優しく微笑んだ。


父に強く強く抱きしめられ、一番火の手が少なかった私の部屋で丸まる。

炎が父を焼き、私の左半身も焼き始める。

悲鳴を上げそうになるが、父が口を押さえて黙らせた。


痛い。熱い、痛い、熱い熱い痛い痛い痛い。


そのうち私は、意識を失った。

父が最期に、言葉を発する。


「幸せに生きろ、アカツキ。」

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