第2話 シャボン玉の消え行く空に

 梨奈と涼太と陽子の三人は夏のよく晴れた空に向かい、シャボン玉を飛ばし始めた――。

 通り過ぎる人たちも三人の楽しそうな姿に思わず頬をほころばせ、シャボン玉の行方に同じように目をやる。

「涼太くん、ありがとう。日傘を差してたらこんな綺麗なシャボン玉が飛ぶところなんてきっと見られなかったね」

 陽子が涼太に笑顔でお礼を言う。涼太は恥ずかしそうに顔を少し赤らめ、新しいシャボン玉を膨らませる。それを見て、陽子もまた笑顔でシャボン玉を膨らませ、風に乗せて飛ばす。

 そんな二人のやり取りを不服そうに頬を膨らませて見ていた梨奈は、ストローにたっぷりとシャボン玉液をつけ、涼太の背後に忍び寄る。そして、肩を叩いて振り向いた涼太の顔に向かってシャボン玉を大量に吹き付けた。

 それを見て、陽子は声を上げて笑い出し、涼太は怒ることを忘れ、釣られて笑い出す。

 しばらくして、涼太は顔がべたつき、「うわぁあ……」と不快そうな声を漏らす。それがまたツボに入ったらしく、陽子はさらに大きな声で笑う。すっきりした顔の梨奈も陽子と一緒に笑いだす。

「今度は君の顔が私の日傘みたいにベタベタになっちゃたね」

 陽子が笑いながら口にする。

「じゃあ、傘と同じように涼太にも水をぶっかけて綺麗に洗ってやろうか」

 梨奈が陽子に乗っかり、陽子はさらに大きな声で笑う。

「やれるもんならやってみやがれ! 水でも炭酸でもなんでも持ってこいやー!!」

 涼太もその流れに乗っかる。梨奈は、「こいつ、やっぱバカだ」といいながら腹を抱えて笑いだす。陽子も笑いすぎて涙を浮かべていた。


 子供たちの楽しげな笑い声に誘われるかのように、一人の三十過ぎくらいの女性が近づいてきて、声を掛ける。

「あ、陽子! やっと見つけた。勝手に出かけたらダメでしょ!」

 陽子は声を掛けられ、さっきまでの笑顔が急に沈んでいく。

「あっ、お母さん……」

「うちの陽子がお世話になったようで、本当に申し訳ありません」

 陽子の母親は梨奈の母親に向かって頭を下げる。

「いいんですよ。ウチの子も楽しんでいたし、気になさらないでください」

「ですが……それじゃあ、陽子。そろそろ帰りますよ」

 陽子の母親はそう陽子に声を掛ける。

「私、まだ帰らない……ううん、まだ帰れない」

「どうして、そんなワガママ言うの?」

 陽子の母親は陽子と同じ目線になるようにしゃがみ、事情を尋ねる。陽子はまた腰辺りの服の布地を握りしめる。梨奈の母親が助け舟をだそうと、話しだそうとした瞬間、先に陽子が話し始める。

「お母さん、ごめんなさい」

「どうして、謝るの? 勝手に出かけたから?」

 陽子は首を横に振る。

「違うの。お母さんの大事な日傘、勝手に持ち出して汚しちゃって……」

「いいのよ、それくらい」

 陽子の母親は陽子の頬に優しく触れながら答える。

「あの、おばさん! 僕が悪いんです。ごめんなさい!」

 二人のやり取りを横で見ていた涼太が頭を下げる。

「どうして、君が謝るの?」

 陽子の母親が不思議そうな顔で涼太に聞き返す。

「その……汚したの、僕なんです。怒るなら僕を怒ってください!」

「君が? それで日傘はどうしたの?」

「それは私のお母さんが綺麗にしてくれました。だから、陽子ちゃんを叱るのは……」

 今度は梨奈が陽子をかばうように話に入ってくる。その三人の様子を見ながら陽子の母親は大きく息を吐く。

「大丈夫。おばさんは陽子を叱ったりしないわ。だから、二人とも顔を上げて? 陽子もね」

 三人は顔を上げ、それぞれ顔を見合わせ笑顔になっていく。陽子の母親は三人の顔を順に見回し、最後に陽子に向けて、

「まだこっちに来たばかりなのに、さっそくいいお友達ができたみたいね」

と、笑顔を向ける。陽子は「うんっ!」と、笑顔を弾けさせる。

「陽子ちゃんのお母さん。今、日傘は陰干しをしている最中なので、よかったら乾くまでご一緒しませんか?」

「ええ、お願いします。この度は色々とお世話になったようで……」

 陽子の母親は梨奈の母親に小さく頭を下げる。

「じゃあ、シャボン玉の続きして遊ぼうよ!」

 涼太の声かけで、また楽しそうな声が響き渡りはじめる。シャボン玉を飛ばしながら駆け回り、楽しそうな声が響き始める。

 陽子の母親は自分の娘のそんな姿を優しい眼差しで見つめる。

「自己紹介が遅れました。私、陽子の母親で沢井さわいと申します。主人の仕事の都合で引っ越してきたんです」

「そうだったんですか。それは大変ですね。困ったことがあればなんでも言ってください。私はあの子、梨奈の母親の桑原くわはらといいます。男の子の方は近所に住む、町谷まちや涼太くん」

 梨奈と陽子の母親は自己紹介をし、会釈えしゃくを交わす。

「私、恥ずかしながら、陽子があんなに無邪気に笑う姿を久しぶりに見ました。そして、帰らないと言われたとき正直驚きました」

 陽子の母親は陽子のことを目で追いながらこぼすように話し出す。

「あの子、昔から引っ込み思案で、人見知りで――そんな子が初めて会った子達とあんなに楽しそうに遊んでるなんて……今回の引越しはあの子にとってはよかったのかもしれません。転校した先でクラスに馴染なじめるかとか心配だったんですけど、これだと大丈夫かなって思えてきます」

「失礼ですが、陽子ちゃんは、どちらの小学校に? あと何年生なんですか?」

「四年生です。小学校はたしか、近くの公立の――」

 陽子の母親が思い出そうと首をひねる横で、梨奈の母親は子供たちに目を向ける。

「この辺りで公立の小学校は一つしかないので、ウチの梨奈や涼太くんと同じ学校になりますね。クラスも学年で一つですし、あの子達も同じ四年生なので、きっとすぐに馴染めると思いますよ」

「そうなんですか。それは本当によかった。これから娘共々よろしくお願いします」

 陽子の母親は挨拶をすませ、子供たちの楽しそうな姿に安心した表情を浮かべ見守った。




 日が暮れ始め、子供たちの楽しそうな声とシャボン玉は夏の夕暮れに溶けていき、暗さを増していく空には涼太、梨奈、陽子のこれからの関係を暗示するかのように夏の大三角形が浮かび上がる。

 アルタイルは涼太で、梨奈と陽子どちらがベガになるのか? それとも――。



 夏のよく晴れた暑い日に炭酸水の雨が結んだ関係は、恋愛になるにはまだ早く――――。

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